メルボルンカップ12勝のバート・カミングス調教師が87歳で死去(オーストラリア)[その他]
60年間の調教師生活でメルボルンカップ12勝を果たした豪州の伝説的な調教師、バート・カミングス(Bart Cummings)氏は、8月30日、シドニーにおいて87歳で亡くなった。
カミングス氏の息子アンソニー・カミングス(Anthony Cummings)調教師はツイッターにおいて、「父は今朝早く、家族に囲まれ眠るように穏やかに息を引き取りました。人生を全うしました」と伝えた。
数年前から闘病していたカミングス氏は、昨年11月から入院していた。
カミングス氏は、ガリリー(Galilee)、レッツイロープ(Let's Elope)、セイントリー(Saintly)、ライトフィンガーズ(Light Fingers)、タージロッシ(Taj Rossi)、シンクビッグ(Think Big)、ソーユーシンク(So You Think)など多数のチャンピオン馬を管理した。G1・266勝を挙げ、歴代では282勝のT・J・スミス(T.J. Smith)氏に次ぐ2位である。
12勝したメルボルンカップのうち5勝において、管理馬がワンツーフィニッシュを決めた。カミングス氏は親しみを込めて“メルボルンカップのキング(The Cups King)”と呼ばれた。
カミングス氏は、1965年にライトフィンガーズで初めてメルボルンカップを制した。その後、以下の管理馬で同レース優勝を果たした。
1966年:ガリリー
1967年:レッドハンディッド(Red Handed)
1974年:シンクビッグ
1975年:シンクビッグ
1977年:ゴールドアンドブラック(Gold And Black)
1979年:ハイパーノ(Hyperno)
1990年:キングストンルール(Kingston Rule)
1991年:レッツイロープ
1996年:セイントリー
1999年:ローガンジョシュ(Rogan Josh)
2008年:ビュード(Viewed)
カミングス氏は、豪州のG1レースのほぼ全てを制しており、そのうちいくつかは以下のように複数回制している。
オーストラリアンカップ:12勝
コーフィールドカップ:7勝
ニューマーケットH:8勝
コックスプレート:5勝
ゴールデンスリッパー:4勝
また、豪州内のさまざまな州が施行するダービーとオークスをそれぞれ32勝と24勝した。通算で約7,000勝を果たし、そのうちステークス競走を750勝以上している。
カミングス氏は、2001年に豪州競馬の殿堂入りを果たし、2008年に“レジェンド”のステータスを授与された。ニュージーランド競馬の殿堂入りも果たしている。
アデレードで生まれ育ったカミングス氏は、1953年に調教師免許を手にするまで、父ジムの厩舎で働いていた。調教師として、1955年にウェルズ(Wells)で初勝利を収め、1958年にSAJCダービーをストーミーパッセージ(Stormy Passage)で制しG1初勝利を収めた。
1974年にカミングス氏は、豪州だけでなく英連邦においても、100万ドル以上の賞金を獲得した初めての調教師となった。
カミングス氏の遺産は、家族を通じて受け継がれるであろう。2013年、カミングス氏は孫ジェームズ氏と共同で調教を開始した。ジェームズ氏は、アンソニー氏の息子であり、シドニーの厩舎の主任を務めていた。もう1人のアンソニー氏の息子エドワード氏もまた、父の厩舎の主任である。
バート・カミングス氏とヴァルメイ(Valmae)夫人は、8月28日に61回目の結婚記念日を迎えた。また、8月29日にはジェームズ&バート・カミングス名義の管理馬が最後の優勝を果たした。
By Myra Lewyn
[bloodhorse.com 2015年8月29日「Australian Trainer Bart Cummings Dies at 87」]