レッドカドー、手術後の合併症のために安楽死措置が採られる(オーストラリア)[その他]
レッドカドー(Red Cadeaux)は肢の手術後に“回復不能”な合併症を発症し、エド・ダンロップ(Ed Dunlop)調教師と馬主のロニー・アーカリ(Ronnie Arculli)氏は、安楽死措置という極めて辛い決定を余儀なくされた。彼らは、この世界中で活躍した厩舎のスター馬に心から敬意を表した。レッドカドーは、メルボルンカップ(G1)で3回2着となった。
9歳だったレッドカドーは、8ヵ国を跨ぐ冒険に満ちた競走生活において、500万ポンド(約9億2,500万円)の賞金を獲得した。ところが今月、5回目の出走となったメルボルンカップ(フレミントン競馬場)で故障を発症した。
緊急手術を受けた後、回復が期待されていたが、故障を発症した左前肢への血の流れが止まり、合併症が生じ、厳しい決定を下さざるを得なかった。
人気馬レッドカドーはその賛辞に相応しく、フレミントン競馬場に埋葬されることになる。この競馬場は、同馬の数多くの海外遠征で、最も見事な活躍を何度も見せた場所である。
ダンロップ調教師は、声明において次のように語った。「競馬に関わるようになってから一番悲しい日です。レッドカドーは、私たちの家族の一員でした。私は、馬主のアーカリ(Arculli)氏や厩舎スタッフと悲しみを共にしています。特に、ロビン・トレヴァー-ジョーンズ(Robin Trevor-Jones)氏とスティーヴ・ニコルソン(Steve Nicholson)氏は、毎日レッドカドーを世話していました」。
「残念ながら合併症は回復不能で、安楽死措置はもの凄く辛いことでしたが、レッドカドーにとっては最善の決定でした」。
「レッドカドーは世界中で素晴らしいパフォーマンスを見せ、我々と競馬ファンに沢山の喜びを与えてくれました。素晴らしい気質をもつ強靭な競走馬であり、誰もが寂しく思うでしょう」。
レッドカドーの海外遠征は豪州だけではない。レッドカドーは2011年カラカップ(G3・カラ競馬場)で9馬身差の圧勝を決めたのち、2012年香港ヴァーズ(G1)で優勝し関係者を喜ばせた[訳注:日本遠征では、2012年ジャパンカップで8着、2013年天皇賞(春)で3着、2014年天皇賞(春)で14着となった]。
アーカリ氏は、「国を休止させるレースに、国を感動させる馬を出走させることができて幸せでした。レッドカドーがいなくなり、ひどく寂しくなります」と語った。
世界中からレッドカドーの死を悔やむ声
ヴィクトリアレーシングクラブ(Victoria Racing Club)のCEOサイモン・ラヴ(Simon Love)氏も、豪州で7戦して多くのファンを獲得したレッドカドーについて愛情を込めて語った。「馬の死はいつでも非常に悲しいことです。レッドカドーのように豪州の競馬ファンに愛された馬はほとんどいません。現在感じられている以上に悲しみは広がるでしょう」。
「レッドカドーは豪州を愛し、豪州はレッドカドーを愛しました」。
By Jack Haynes
(1ポンド=約185円)
(関連記事)海外競馬ニュース 2015年No.45「レッドカドー、手術後快方に向かい豪州で引退生活を送る予定(オーストラリア)」
[Racing Post 2015年11月21日「Connections devastated at loss of Red Cadeaux」]