優雅な引退生活を送る高齢名馬4頭(フランス・イギリス 後篇)【その他】
トランポリーノ(Trempolino 30歳)
一部の読者にとって1987年は子供の時の記憶かもしれず、それ以上に昔の出来事かもしれない。その当時を思い出させるものとしては、BBCの天気予報士マイケル・フィッシュ(Michael Fish)氏によるハリケーン英国上陸の否定(実際には上陸して大きな被害をもたらした)が有名である。この大嵐(Great Storm)上陸の数日後、ウォール街の株価大暴落はあっという間に世界中に広がり、後に“ブラックマンデー”として知られるようになる。そのような中での明るいニュースは、ポール・ド・ムーサック(Paul de Moussac)氏とブルース・マクナル(Bruce McNall)氏が生産した単勝オッズ20-1(21倍)のトランポリーノが凱旋門賞を制したことである。
世界経済危機から27年後、30歳となったトランポリーノは故ムーサック氏のメズレー牧場(Haras du Mezeray)で引退生活を満喫している。
ムーサック氏の息子シャルル-アンリ・ド・ムーサック(Charles-Henri de Moussac)氏は、「他の種牡馬を見に来た人々は多くの場合、引退しているトランポリーノを見せてくれるように頼みます。それは彼が優れた種牡馬だったからだけではなく、凱旋門賞馬だからです」と語った。
この発言が最も納得できるのは、ノルマンディーの毎年恒例の種牡馬巡りツアー(Route des Etalons)の期間中である。この地域の牧場約30場がその門戸を開放し、トランポリーノはこの冬のツアーで絶対に欠くことのできない役割を務める。シャーペンアップ(Sharpen Up)産駒のトランポリーノは、2000年にケンタッキーのゲインズウェイ牧場(Gainesway Farm)から戻ってきて以来、この有名な馬産地のスターである。
ムーサック氏は、「ゲインズウェイ牧場でアンソニー・ベック(Anthony Beck)氏にトランポリーノを戻してもらうよう話したのは、メズレー牧場を引き継いでから4〜5年目のことです。彼は芝向きの優れた産駒を送り出しているので、フランスでより多くのチャンスに恵まれると思いました。それゆえ、彼を種牡馬として取り戻そうとしました」と語った。
トランポリーノは生まれも育ちも米国だが、その産駒が芝に適していることは同馬の競走成績を見れば当然である。英ダービー馬リファレンスポイント(Reference Point)が最後の直線で失速した時に、パット・エデリー(Pat Eddery)騎手を背にほぼ最後方から先頭に立つパフォーマンスで観客を呆然とさせた凱旋門賞優勝に加え、ニエル賞(G2)優勝やジョッケークリュブ賞(G1 仏ダービー)2着の成績を収めた。
ムーサック氏は、アンドレ・ファーブル(Andre Fabre)調教師の凱旋門賞7勝の最初の勝利となったこのレースを思い出しながら次のように語った。「エデリー騎手が父に凱旋門賞でトランポリーノに騎乗させてくれるように頼んできたのを思い出します。他に多くの選択肢があったので、少しばかり意外でした。父はレース前にトランポリーノの所有権を半分売却していましたが、自身の勝負服で走らせることを望みました。父もエデリー騎手も間違っていませんでした」。
米国での唯一の出走となったBCターフ(G1)でトランポリーノは5勝目に手が届きそうだったが、シアトリカル(Theatrical)の2着に敗れた。その後牧場入りし、種牡馬生活はごく最近の2012年まで続いた。
ムーサック氏は、「老いが見られるようになったのは今年になってからです。いつも活動的で、昨年の冬になるまで誰も彼が30歳になろうとしているとは思っていませんでした。彼は夏はずっと屋外で過ごし、馬着を着る冬は夜だけ馬房に入ります」と述べた。
多くの王や錬金術師、ハリウッドスター達を何世紀にもわたって一様に困らせてきた究極目標“長寿”の秘訣について話を進めたところ、ムーサック氏は、トランポリーノの若さの秘密を特定することはできなかったが、このテーマについてじっくり考え親愛の情を込めて次のように語った。
「明言するのは難しいですが、トランポリーノは大きい馬ではなく、いつも精力盛んでした。今でも他の種牡馬と同じ量を食べます」。
「彼を見るとき、ちょっとした何か特別なものがあると感じます。現役時代も彼を他の馬よりも強くならしめた何か特別なものがあったはずです」。
「トランポリーノは父が生前所有した馬でした。そして今は私たちの馬で、メズレー牧場を代表する馬です」。
By Katherine Fidler
グリーンデザート(Green Desert 31歳)
ダンシングブレーヴ(Dancing Brave)と対戦した馬がまだ元気なのを目にするのは驚くべきことかもしれない。そしてその馬が、スーパースターのマイル馬キングマン(Kingman)の祖父として今日の競馬シーンにおいて顕著な影響力を持ち続けていることにも驚かされる。
現在31歳のグリーンデザートは日常の大半を放牧地で過ごしている。同馬を称賛するシャドウェル牧場(Shadwell)のリチャード・ランカスター(Richard Lancaster)場長は次のように語った。「グリーンデザートは彼にふさわしい静かな引退生活を送っています。同馬が自身の影響力を築いてきた道のりは素晴らしい物語です」。
引退後に繋養されているハムダン殿下(Sheikh Hamdan)のノーフォーク州にあるナンリースタッド(Nunnery Stud)で隣の馬房に居る馬アルサクブ(Al Sakbe)は、現代のサイアーラインで最も目立つ馬の1頭となったグリーンデザートと著しい対照をなしている。
アルサクブはグリーンデザートと同様、アラブ競馬界においてトップクラスの競走馬だった。マクツームチャレンジ3レースのうち1レースを優勝し、種牡馬となることができたが、生殖能力に問題があることが判明したことで、間もなくここに繋養されることになった。
グリーンデザートはそれとは対照的にトップクラスの種牡馬の父として遅咲きであった。種牡馬として活躍している同馬の産駒には、オアシスドリーム(Oasis Dream)、シーザスターズ(Sea The Stars)の父ケープクロス(Cape Cross)、キングマンの父インヴィンシブルスピリット(Invincible Spirit)などがいる。グリーンデザートの名を口にすれば、ハムダン殿下の牧場にいる誰もが誇りに満ちた笑みを浮かべる。
1984年にドバイの故マクツーム殿下(Sheikh Maktoum)の代理人がキーンランドのセリでグリーンデザートを65万ドルで購買した時にすべてが始まった。
同馬はサー・マイケル・スタウト(Sir Michael Stoute)調教師に管理され、のちにその産駒に伝えることになるスピード能力を見せつけ、5ハロン(約1000m)のフライングチルダーズS(G2)を優勝して2歳シーズンを終えた。
短距離が得意分野に違いなかったが、それは1986年英2000ギニーでニューマーケット競馬場のディップ(The Dip 訳注:ローリーマイルコースの決勝線の200m手前。400m手前からは下り坂だがここからは上り坂となる)で先頭に立った時まで判明しなかった。その後、グリーンデザートはあらゆる抵抗を試みたが結局ダンシングブレーヴの後塵を拝した。
グリーンデザートは同年のジュライカップ(G1)で、最高の勝利を達成する。破った馬の1頭には、その後BCマイル(G1)を制することになるラストタイクーン(Last Tycoon)がいた。これに続くヘイドック競馬場のスプリントカップ(G1)で、グリーンデザートの種牡馬としての地位は確実なものとなった。当時マクツーム殿下は牧場を創設しておらず、ランカスター場長は、「殿下がグリーンデザートを繋養するように私たちに依頼して下さったことはとても幸運でした」と語った。
アーチ(Arch)やチャンピオン牝馬アルセア(Althea)も出している米国の傑出した牝系出身のグリーンデザートは、ダンジグ(Danzig 父ノーザンダンサー)の典型的な産駒で、素晴らしい馬体に恵まれていた。ダンジグ産駒はやや小柄であるが、頑丈なタイプが多い。「彼の後ろに立てば、その力に満ちた後躯を目の当たりにするでしょう。実際よりも自身を大きく見せる馬で、典型的なノーザンダンサーの馬格です」とランカスター場長は語った。
ダンジグの種牡馬の父としての影響は多大である。もう1頭のダンジグ産駒デインヒルもクールモア牧場(Coolmore Stud)で自身の遺産を確立することだろう。しかし、グリーンデザートはその特徴でもある2つの大きな障害を乗り越えた。
「1〜2年の例外的なシーズンを除いて、グリーンデザートは種付頭数が年間60頭を上回ることは決してありませんでした。あまり生殖能力が高い馬ではありませんので、グリーンデザートの成功は、その種牡馬生活において非常に親密に管理を行っている獣医師のデヴィッド・エリス(David Ellis)氏によるところが大きいのです」。
産駒の少なさはグリーンデザートがエリート種牡馬に仲間入りすることを妨げなかった。もっとも、その産駒の中には結局出走しなかった英2000ギニーで1番人気に推されるほどニューマーケットのトラックマンを魅了したグリーングリーンデザート(Green Green Desert)がいる。しかし、結局のところ、同馬は障害競走である程度の成功を収めるにとどまった。
よくあることだが、ハムダン殿下は、20年にわたってシャドウェル牧場の名に光を当て続けた種牡馬グリーンデザートでトップクラスの競走馬を生産することはできなかった。しかし、それは同馬が殿下の心の中の特別な場所を占めることを妨げはしなかった。
ランカスター場長は次のように語った。「グリーンデザートは100頭以上のステークス勝馬を送りましたが、残念なことに本当に私たちを楽しませてくれる産駒を残してくれませんでした。しかし、グリーンデザートはシャドウェル牧場の一部となりました。彼に親愛の情を抱いているハムダン殿下をはじめ、誰もが彼のことを大好きなのははっきりしています」。
By Julian Muscat
[Racing Post 2014年8月27日「Still Going Strong」]