島田明宏
2012年7月16日から20日まで、トルコのイスタンブールにて第34回アジア競馬会議(略称ARC=Asian Racing Conference)が開催された。アジアのみならず、ヨーロッパ、北米、南米、アフリカ、オセアニアの47カ国から597人もの出席者が集まり、多彩なプロフィールのパネラーが講演し、各国の最新情報の共有と、活発な意見交換が行われた。
今回が34回目であることからおわかりのように、ARCの歴史は古い。設立されたのは半世紀以上前の1960(昭和35)年。提唱したのは日本で、第1回目の会議はその年の5月、69名の参加者を得て東京で行われた。
現在の加盟国は日本のほか、香港、シンガポール、UAE(アラブ首長国連邦)、オーストラリア、南アフリカ、そしてインドなど22カ国。なお、2001年、タイのバンコクで行われた会議でアジア競馬連盟(略称ARF=Asian Racing Federation)が設立され、「ARC」は会議そのものを指すようになった。09年、JRAの佐藤浩二総括監がARFの会長に就任し、現在に至る。
前回のARCは2010年にオーストラリアのシドニーで開催され、その前は08年に東京、07年にドバイ......と、ほぼ1年半か2年に一度のペースで開催されている。
私は、今回のARCに出席することが決まってすぐ、前回のシドニー大会に参加したキャスターの鈴木淑子さんに、
「今度、アジア競馬会議に行くことになったんですけど、実際出てみて、どうでした?」
と訊いた。すると彼女は「すごく面白かったわよ」と目をキラキラさせ、こうつづけた。
「どのテーマも関心のあることばかりだったから、ずっとメモをとりっぱなしになっちゃった」
結論から言うと、私も淑子さんと同じように、すべてのセッションでパネラー全員の講演を聴き、ずっとメモをとりっぱなしで、ノート一冊がビッシリ字で埋まった。それも、仕事だからしょうがなくメモった、という感じではなく、期待していた以上に楽しむことができて、長時間のセッションをまったく長く感じなかった。
初日の7月16日の月曜日に参加者受付が行われ、翌17日の朝から夕方にかけて、メディア非公開のARF執行協議会、国際裁決委員会議、アジア血統書委員会などが実施された。
17日の夕刻、ウェルカムレセプション(歓迎会)が行われた。これがまたお洒落な雰囲気で、正装した参加者が、海が見えるコンベンションセンターのテラスでグラス片手に歓談したのち、開会式へ。そこで、佐藤総括監が「第34回アジア競馬会議のテーマは"世界の架け橋"です。なぜなら、ここトルコは、東洋と西洋の両方をつなぐ"架け橋"だからです」と英語でスピーチし、大きな拍手を浴びた。
佐藤総括監が「架け橋」と表現したように、トルコはアジアとヨーロッパの文化の交流点になっている。サッカーのワールドカップではヨーロッパ予選を戦い、競馬に関しては、アジア競馬連盟とヨーロッパ競馬連盟の両方に加盟する唯一の国というユニークなポジションにある。イスタンブールはボスポラス海峡を挟んで東がアジアンサイド、西がヨーロピアンサイドに分かれているのだが、今回のARCの会場となったホテルは、面白いことに、アジアンサイドではなくヨーロピアンサイドにあった。
18日の水曜日から20日の金曜日までの3日間、6つのセッションに分類された全体会議が行われた。
18日の午前中のセッション1のテーマは、「デジタル技術を活用する顧客のための競馬」。
まず、香港ジョッキークラブの最高経営責任者であるウィンフリード・エンゲルブレヒト=ブレスケス氏が、デジタルの世界で起きていること、また、若い世代に対して競馬の魅力を伝えていく方策などを基調講演で語った。
「競馬は、デジタルデバイスを最も活用している若い世代にあまり人気がない。競馬とデバイスとの関係を強めていくことが重要だ」
といった意見のパネラーが複数いたが、私は逆に、競馬が「ネットオタク」と呼ばれる層にとって、アニメなどと同列のコンテンツのひとつになるのはどうか(ライブで観戦するのがベストで、テレビやネットはあくまでも代替観戦法というのが健全であるはず)と考えているので、こと日本に関しては、「デジタルデバイス通」に対するウケにこだわる必要はない、と感じた。
このセッションで、北米のプロバスケットボールリーグNBAのメディア部門副代表、ダン・マークハム氏の印象的なスピーチを聴くことができた。NBAには3つの柱があり、それは?シンプルで、?クリエイティブで、?本物であること。そのうえでファンの世界とつながっていくことが重要である、という内容だった。競馬も同じであろう。
こんなふうに、競馬とほかのスポーツとの共通点や接点に触れることの効用は大きいはずだ。話が脱線するように思われるかもしれないが、私は最近、JRAの2代目理事長で、有馬記念にその名を残している故・有馬頼寧氏が、沢村栄治氏や長嶋茂雄氏同様、野球殿堂入りしていることを知って驚いた。野球体育博物館の廣瀬信一館長によると、有馬氏は、戦前・戦時中に私財を投じて職業野球チーム「東京セネタース」のオーナーとなり、野球界を支えていたという。
そうして「有馬記念」の奥にあるものに触れると、「有馬記念」という言葉がそれまでとは違った温かみを持って響くようになる。私にとって「アジア競馬会議でNBAのお偉いさんの面白い話が聞けた」ということは、「有馬記念」の新たな響きを味わえたことに通じる「美味しさ」のある経験であった。
7月18日午後のセッション2「施行規程改正/21世紀の競馬の改革と施行規程」では佐藤総括監が議長をつとめた。
まず、佐藤総括監が、「実は、ここイスタンブールと東京は、2020年のオリンピック開催候補地としてライバル関係にあるのです」と切り出し、オリンピックに代表されるスポーツにおけるルールの重要性について触れ、「競馬もまた、世界中の関係者やファンにとってわかりやすく、納得のできるルールの制定に取り組まなければならない」といった内容のスピーチを行った。
つづいて、ハルーン・ローガット前国際クリケット評議会理事長が壇上に上がり、クリケットのルールはどのように変わってきたのか、また、競馬はクリケットからどんなことを学ぶべきか、といった内容の基調講演がなされた。
その後、パネラーが入れ替わり、ジャーナリストのハワード・ライト氏が司会となって、「走行妨害ルールの世界統一基準は成し得るか」というテーマの討論会が行われた。
そのなかで、英国競馬機構競馬施行および規則担当役員のジェイミー・スティアー氏から、まず、世界の主要な競馬開催国の降着の判断基準には2つのカテゴリーがあることに関して説明がなされた。
カテゴリー1においては、「その加害行為がなければ被害馬は加害馬よりも上位になることができた」と裁決委員が判断した場合に降着となる。
カテゴリー2では、「被害馬の競走能力発揮にどのくらい影響を与えたか(その影響でどれだけ減速したか、あるいは騎手がバランスを崩したかなど)を見て総合的に判断する」という考え方が降着の判断基準になっている。
日本はカテゴリー2の国であるが、既報のように、2013年の年明けからカテゴリー1の裁決基準に移行する。
それに関する初めての発表が、このARCでなされたのである。
スティアー氏は、その前日の7月17日、JRA美浦トレーニングセンター公正室長の中村嘉宏氏と審判部審判課の古谷淳氏が出席した国際裁決委員会議で、「JRAが裁決ルールの見直しを検討している」という発言があった、と述べた。JRAは、2007年から「競走ルールの調和に関する委員会」や「国際裁決委員会議」などの国際会議に参加するなど、裁決基準を含めたルールの検証をつづけながら議論を重ねてきたのであった。
私はドキドキしながらスティアー氏の発言を聴いた。「裁決ルールの見直し」というタイムリーな話題の最新、最先端のダイナミックな動きのなかに自分も巻き込まれたかのようで、少なからず興奮した。
議題は鞭の使用ルールに関するものに移り、イギリスとオーストラリアで鞭の使用回数を制限すべく規程が改正されたら走行妨害が一定割合減った、というデータが発表された。
それに関して、あるパネラーが、
「私は競馬から鞭をなくすべきだと思う」
と発言し、ざわめきのなかパラパラと拍手が起きたとき、私はまた書くべき「ネタ」ができたと嬉しくなった。
セッション3「映画スターになった名馬セクレタリアト:ポピュラーカルチャーを通じて幅広い顧客への架け橋を構築」も興味深かった。特に、02年メルボルンカップ優勝までのプロセスにスポットを当て、映画にもなった『ザ・カップ』作者のエリック・オキーフ氏と、往年の名馬を描いた『ピーターパン』の美人作家、ジェシカ・オワー氏の話は非常に示唆に富む内容だった。「なぜ作家、小説家、映画製作者は競馬に魅了されるのか」「小説や映画は、競馬を国民的な話題にするのにどのような役割を果たすのか」といったことを改めて考えるきっかけになった。そして、物書きの端くれとして、そうしたことを考える材料になる作品を世に問わなければならない、とつくづく思った。
世界中から集まったたくさんの聴衆とともに、いろいろなことを感じさせ、考えさせてくれた、このARC。35回目となる次回は、2014年、香港にて開催される。
島田明宏(しまだあきひろ) 1964(昭和39)年、札幌市生まれ。早大中退。「週刊競馬ブック」「優駿」などに寄稿。著書に『「武豊」の瞬間』など。最新刊『消えた天才騎手最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞を受賞。 |