【ウルグアイの競馬】
スペイン植民地時代のウルグアイにおいては直線のセパレートコースで馬の速さを競うペンカスと呼ばれる競馬などが行われていましたが、現在のようないわゆる英国式の競馬が始められたのは「大戦争(1839年~1851年に起きた内戦)」の後、場所は首都モンテビデオのピエドラスプランカ地区でした。
その後、1877年には競馬施行規程の制定、1888年にはモンテビデオジョッキークラブの創設とウルグアイ競馬の礎が築かれていきました。
名馬ロマンティコの活躍などにより1930~40年代に隆盛を極めたウルグアイは、いわゆる競馬先進国として1985年にはインターナショナルカタロギングスタンダードのパート1国として認められましたが、1992年にはパート2に降格の憂き目に会い、その後ジョッキークラブの破産により1997年から2003年の間は最大の競馬場であるマローニャス競馬場が閉鎖という苦境に立たされることもありました。
しかしながら、2016年のIFHAの統計によれば賞金額やサラブレッド生産頭数に関してはパート1国であるブラジルやチリと遜色ない水準にあるほか、重賞競走の一部はパート1に記載されており、国際格付けを得ています。ことに、毎年1月に行われるホセ・ペドロ・ラミレス大賞は南米を代表する国際競走の1つとして、今も南米各国からの遠征馬を迎えています。
また、アルゼンチン産ながら2005年にウルグアイで三冠馬となったのち米国に移籍したインヴァソールはBCクラシック・ドバイワールドCを含むGⅠ競走を6連勝してエクリプス賞年度代表馬となるなど、大活躍を見せました。
競馬場は11ありますが、主要な競馬場はマローニャスとラスピエドラスの二つで、大きなレースは全てマローニャス競馬場で行われています。
| マローニャス競馬場の紹介 | |
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●競馬場の概要
●競馬場への行き方 ●コース ●主要競走
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2026年2月現在のデータです。



























