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2009年09月17日  - No.37 - 1

アガ・カーン殿下とスミヨン騎手、騎乗契約を解消へ(フランス)[その他]


 アガ・カーン牧場は8月25日夕方、2002年から継続してきたクリストフ・スミヨン(Christophe Soumillon)騎手との契約を2010年には更新しないと発表した。

 この馬主と騎手の決別という意外なニュースには、スミヨン騎手と最も親しい同僚の1人、ヤン・レルネル(Yann Lerner)騎手でさえそれを冗談と受け取るほどであった。「スミヨン騎手がアガ・カーン(Aga Khan)殿下の勝負服で並外れた成績をあげて貢献してきたことを考慮すれば不可解な決断です。殿下は6月の時点でも彼のことを天才騎手と賞賛されていま した」。

 確かに驚かされはしたが、唐突というほどでもない。2008年はザルカヴァ(Zarkava)の凱旋門賞を含むG1競走5勝をあげ、アガ・カーン殿下の チームにとって特別に幸運な年であった。しかし、ジェラルド・モッセ(Gerald Mosse)騎手が香港からフランスに帰ってきたことで、2001年末に始まった協力体制が不安定になった。モッセ騎手はスミヨン騎手より前に殿下の勝負 服を着用していた騎手であり、その後長期にわたって香港に滞在したものの、アガ・カーン殿下とその主要調教師であるアラン・ド・ロワイエ=デュプレ (Alain de Royer Dupre)調教師から信頼されていた。ロワイエ=デュプレ調教師は今シーズン、自厩舎の発展のため、管理馬をジェラール・モッセ騎手に優先的に騎乗さ せ、アガ・カーン殿下の所有馬についてはスミヨン騎手の都合がつかないときに騎乗させていた。この調教師とモッセ騎手のコンビは素晴らしい成功を収めてき ており、1993年からG1競走を18勝している。

 この春、ベーシュタム(Beheshtam)はアーヴル賞での勝利のあと、2400 mのレースを目指すものと思われた(訳注:しかしベーシュタムはその後、2100 mのフランスダービーに出走し4着となった)。同馬に関する方針をめぐりスミヨン騎手との協力関係に暗雲が立ち込めたようだ。この協力関係解消の決断は誰 にも覆すことはできるとは思えない。

 アガ・カーン殿下の公式発表は謎めいていたが、この“相談ずくの”決別の理由は明白であった。発表には、「8年間アガ・カーン殿下の所有馬への騎乗を依 頼してきましたが、協力の基礎となる人間関係の維持が難しくなったので、2010年には契約を更新しないことに決定しました」と記されていた。アガ・カー ン牧場のマネージャーであるジョルジュ・リモー(Georges Rimaud)氏は、「この決定は、競走成績とは何の関係もありません。ただ多くの協力関係に見られるように、時を経て緊張関係が生まれたのです。今シー ズンは従来どおりとし、時期をみて次に繋がる決定をします」と述べた。

 スミヨン騎手は、8年間にわたりアガ・カーン殿下の競馬事業において大きな役割を果たしたひたむきで活気のある騎手である。この長期間の協力関係によっ て同騎手は成熟し、ここぞというときには勝つ騎乗ができるようになった。残された数ヵ月は、彼にとって非常に重要なものとなるだろう。

実りの多い協力関係

 クリストフ・スミヨン騎手とアガ・カーン殿下一族の間の協力関係は、非常に実りの多いものであった。以下の数字がそれを示している。


・競走成績

 ベルギー人の天才ジョッキーは殿下のために、1019鞍騎乗した。結果は277勝で2・3着入線は504回であった。1999年9月1日にザアリ (Zahari)に初めて殿下の勝負服を着て騎乗し、いきなり勝利を贈った。このときはまだアガ・カーン殿下との騎乗契約はなされていなかった。

 重賞競走においては、169戦49勝し、2・3着入線は89回であった。

 G1競走においては、スミヨン騎手の騎乗により21勝がもたらされた。最初のG1勝利は2002年6月23日パリ大賞典において、カルケ ヴィ(Khalkevi)の騎乗によりなされた。そしてダラカニ(Dalakhani)により4勝、ザルカヴァにより5勝が達成され、同騎手の凱旋門賞2 勝はこの2頭がもたらした。


・財政面

 アガ・カーン殿下の所有馬にスミヨン騎手が騎乗し、もたらした収得賞金は、1600万ユーロ(約20億8000万円)以上に上る[正確に言えば1624 万5818ユーロ(約21億1195億6340円)で、そのうち優勝によりもたらされた賞金は1246万5550ユーロ(約16億2052万1500円) である]。

 競馬で収得した賞金のほかに、同騎手の戦績によって種牡馬と繁殖牝馬の価値が高まるので、同騎手はそれにも大きな貢献をしたことになる。


アガ・カーン殿下とスミヨン騎手の協力関係がもたらした成績

► 1019レース:277勝、2・3着入線504回
► 重賞169レース:49勝、2・3着入線89回
► G1競走勝利21回(ザルカヴァ5勝、ダラカニ4勝)]

2002 20
2003 25
2004 13
2005 45
2006 41
2007 39
2008 39
2009 36

By Emmanuel Roussel

アガ・カーン殿下の主戦騎手はルメール騎手に決定

 アガ・カーン殿下がクリストフ・スミヨン騎手との主戦騎乗契約を2009年限りとし2010年は更新しないというニュースが流れてから3日間、このベルギー人騎手に代わる騎手の名前に関してさまざまな憶測が飛び交っていた。

 8月28日夕方、「アガ・カーン牧場は、2010年シーズンのフランスにおける主戦騎手としてクリストフ・ルメール(Christophe Lemaire)騎手と契約します」というウェッブサイトの一文によって今回の憶測に決着がついた。

 この発表は、ルメール騎手を選んだ理由として、ここ数年ルメール騎手が証明した最高レベルの能力とフランス内外で30あまりのG1競走を優勝しているという功績を挙げている。

 発表の前日に、ニアルコス一族(famille Niarchos)とルメール騎手の間の主戦騎手契約が2010年も継続されることとなり、反響が広がっていたが、発表はこれにも触れている。ニアルコス 一族とアガ・カーン殿下の間で、ある種の紳士協定が結ばれなければならない。

 アガ・カーン牧場の発表はそれを前提とし、「クリストフ・ルメール騎手はすでにニアルコス一族と主戦騎乗契約を交わしましたので、アガ・カーン牧場は 2010年シーズンのルメール騎手の騎乗についてはニアルコス一族に優先権を譲ります」と述べている。その後のことには言及していないが、2011年から クリストフ・ルメール騎手がアガ・カーン殿下の勝負服を着用する主戦騎手となると解釈する余地がある。

 ルメール騎手は2007年からジャン=クロード・ルジェ(Jean-Claude Rouget)調教師の主戦騎手となり2009年にはフランスダービー(G1)とフランスオークス(G1)を優勝している。直接的な影響を受けるルジェ調 教師は次のようにコメントした。「私はここ数ヵ月、状況が変化することを予期していました。今はただ、今年のシーズンを焦らず順調に終わらせるよう努める べきです。事態の展開に応じて調教活動を変えていくつもりです。十分に時間をかけて馬主と話合い、12月までに決定したいと思います」。

By S. Pouteau (and J. Darmony)

[Paris Turf 2009年8月26日「Aga Khan-Soumillon, la fin」]
[Paris Turf 2009年8月29日「Lemaire-Aga Khan−C’est fait」]


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