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海外競馬ニュース
2010年06月10日  - No.23 - 1

南アフリカ競馬の概略(南アフリカ)[その他]


 フランスの賭事客は4月24日、ヨハネスブルグ郊外のターフフォンテン競馬場で施行されるG1競走の馬券を購入する機会に恵まれるだろう。本紙の国境なき記者フランコ・ライモンディ(Franco Raimondi)がこの機会に、私たちに南アフリカ競馬界を発見させてくれる。

 競馬の賞金が世界的に減少している状況を考えると、南アフリカ競馬はいたって好調である。10競馬場があり、年間436開催(週8〜9開催)が施行され、187の厩舎で約6,500頭の馬が調教されており、100人余りの騎手と40人余りの見習い騎手が活躍している。10競馬場は、いずれも統轄機関であるゴールドサークル社(Gold Circle ケープタウンとダーバンを管轄)とフュメレラ社(Phumelelaヨハネスブルグとポートエリザベスを管轄)により所有されており、この2社は賭事も運営している[年間総売上げは7億ユーロ(約840億円)]。

 2008-2009年シーズンの間に拠出された賞金額は約3,000万ユーロ(約36億円)であり、1レースあたりの平均賞金額は約8,000ユーロ(約96万円)である。これは高額とは言えないが、南アフリカの購買力を考え合わせれば、この額を2倍にして評価しなければならない。


競走馬の質

 南アフリカの競走馬には実際どれぐらいの価値があるのだろうか?南アフリカは他国の馬を羨む必要はまったくない。それを納得するには、ドバイカーニバルや数々の国際レースの結果を思い起こせば十分である。40年間の孤立に拘わらず、南アフリカの競走馬生産は持ちこたえた。生産者たちは、(1) フォートウッド(Fort Wood)、(2) カエサル(Caesour)、(3) アルムフティ(Al Mufti)、(4) パレードリーダー(Parade Leader)、(5) ウエスタンウィンター(Western Winter)、(6) ストライクスマートリー(Strike Smartly)、最近では、(7) ヴァール(Var)、(8) ジンバブエで華やかな種牡馬デビューを果たした後にケンタッキーに送られたニアルコス一族(Niarchos)所有のキタルファ(Kitalpha)、のような優れた種牡馬を見つけ出した。


荒々しいレース

 南アフリカの競馬はラグビーのようであり非常に荒々しいが、形式の整ったものである。駆け引きはあまりなく、各馬が実力を発揮できるようになっている。

 南アフリカは優秀な競馬関係者に恵まれているが、彼らに十分な活躍の場がない。そのために、彼らの多くが外国でのチャンスに賭ける。香港はもちろんのこと、シンガポールもまた重視される行き先である。このことから、南アフリカにおいて競馬への情熱は非常に強いことが見てとれる。そしてこの情熱がとどまることを知らないのは間違いない。


最も有名なデコック調教師

 マイク・デコック(Mike De Kock)氏は、南アフリカで最も知名度の高い調教師である。競馬とは接点のない家族の出身である同調教師は、少年時代に競馬場を訪れ、それ以来競馬から離れることはなかった。同調教師は46歳で、南アフリカのランジェスフォンテインおよびサマーヴェルドにある2つの厩舎とドバイの厩舎で同じように情熱を注いでいる。同調教師は駆け引き上手というわけではないが、非常に仕事熱心なので、これまでに成し遂げた2,000勝を倍増させる勢いがあると考えられている。

 アフリカの調教師ランキングのトップに立っているチャールズ・レアード(Charles Laird)調教師は、1世紀前から競馬産業に従事する家族の出身である。同調教師の主要顧客は、さまざまなセリにおいて数百万ユーロを拠出する馬主マーカス・ジュースト(Markus Jooste)氏であるので、同調教師の成功は約束されている。

 ショーン・タリー(Sean Tarry)氏は25歳のとき、フルーツジュースを名物とするバーのカウンターで働いていた。彼はこの職業を気に入ってはおらず、競馬という職業を発見することになった。5年後に同氏は調教師免許を取得し、ケニルワース競馬場で開催されるJ&Bメット競走(G1)で優勝した。同氏は今や、ヨハネスブルグとダーバンで100頭あまりの馬を管理しており、南アフリカで5本の指に入る調教師である。


マーカス騎手をはじめとするスター騎手

 アントン・マーカス(Anton Marcus)騎手は、偉大な調教師バジル・マーカス(Basil Marcus)氏の弟というだけではなく、香港、シンガポール、ドバイで優勝することにより有名になった。この非常に勝負強い騎手は40歳であり、その技術は頂点に達している。同騎手はレアード調教師の主戦騎手であり、3,000勝を達成している。

 アンソニー・デルペッシュ(Anthony Delpech)氏は、ダーバンで騎手となるために1982年にセイシェルを離れた。彼のキャリアは、1998年に有名なダーバンジュライ競走(G1)を制し、新記録である年間335勝を挙げたことにより転機を迎えた。同騎手はドバイだけではなく香港にも遠征を重ね、チャンピオン馬ヴェンジエンスオブレイン(Vengeance of Rain)とコンビを組んだ。41歳となったデルペッシュ騎手はマイク・デコック調教師の南アフリカにおける主戦騎手である。

 ピエール・ストライダム(Piere Strydom)騎手は4,000勝以上の勝利を挙げ、4回最優秀騎手となっている。44歳の彼の才能はまったく衰えないが、言葉を慎むことを学ぼうとはしない。同騎手とマイク・デコック調教師のレース後の口論は今や有名なものとなっている。

(1ユーロ=約120円)
By Franco Raimondi

[Paris Turf 2010年4月23日「À la découverte du turf sud-africain」]


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