ドミニク・ブフ騎手、突然の引退を表明(フランス)[その他]
フランスの元リーディング騎手のドミニク・ブフ(Dominique Boeuf)騎手は突然引退を表明したことで、競馬界を驚かせた。
43歳の同騎手はクラオン競馬場のメインレースでキリア(Kilea)に騎乗して優勝し、有終の美を飾り引退を発表した。その勝利は、4回クラヴァッシュドール(Cravache d’Or 年間最多勝を挙げた騎手に贈られる金の鞭)を獲得した25年以上にわたるキャリアにおいて2,521勝目であった。
ブフ騎手は競馬チャンネルのエキディア(Equidia)のマイクに向かい、次のように告白した。「自分を欺くことはできません。いい騎乗馬がいなくなりました。凱旋門賞ウィークエンドを今週末に控えていますが、私は1鞍か2鞍以上騎乗できるかどうかも分かりません」。
同騎手はその後、レーシングポスト紙に自信の決断について詳細を述べた。「私はこの10日〜15日間、引退について熟考していました。今日引退することの主な理由は、もはや多くの優良馬に騎乗する喜びが無くなったことにあります」。
ブフ騎手は、1980年代半ばに頭角を現し、最初にパトリック・ビアンコーヌ(Patrick Biancone)調教師、そしてその後に同調教師の後継者でありウィルデンシュタイン一族(Wildenstein)の馬を多く管理するエリー・ルルーシュ(Elie Lellouche)調教師の目に留まった。
その後のブフ騎手のグループ競走147勝の多くは、ウィルデンシュタイン家の有名な青い勝負服を身に着け達成したものであり、その中にはアクアレリスト(Aquarelliste)とブライトスカイ(Bright Sky)のフランスオークス(G1)優勝が含まれている。
ルルーシュ調教師は同騎手との長い協力関係について次のように述べた。「彼が私の管理馬に乗って初めてパリ地区の競馬場で勝利を収めたのは、1985年3月15日のサンクルー競馬場です。賢い青年で競馬をよく理解し素晴らしい判断で騎乗していました。彼が管理馬に乗った時は、良い手綱さばきが期待できました」。
英国の競馬ファンはブフ騎手を全盛期に見る機会はなかったが、同騎手は英国でビッグストーン(Bigstone)に騎乗してサセックスS(G1)を制し、その6年後にはロンダ(Ronda)に騎乗してファルマスS(G1)を制している。
ブフ騎手は麻薬組織との関係を持ったことで有罪判決を受け1994年に短期間刑務所に入ることになり、それなりに議論を巻き起こした経緯がある。
同騎手はまた、1996年フランスダービー(G1)でエンリケ・サラソラ(Enrique Sarasola)氏の所有する大本命のエリシオ(Helissio)に騎乗し5着に敗れたことで、乗り替わりを言い渡され絶望したこともある。
しかし同騎手はこれらのかつてない厳しい挫折を乗り越え、1998年にクラヴァッシュドールを獲得して再び返り咲き、2001年にも2002年にもリーディング騎手となった。
常にフランスで本領を発揮している騎手であるが、意外なことに、ブフ騎手は騎手生活のなかで最も印象深いこととして国際レースの優勝の1つを挙げた。
「長い騎手生活において情熱と喜びがありましたが、最も素晴らしかったのは、2003年に香港ヴァーズをヴァレーアンシャンテ(Vallee Enchantee)で制したことです」。
引退後の活動について決断することを急いではいないが、ブフ騎手は調教事業を行うことは否定した。
By Scott Burton
[Racing Post 2011年9月27日「Lack of top rides cited as reason for Boeuf’s surprise decision to quit」]