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海外競馬ニュース
2011年02月03日  - No.5 - 2

歴史を作ったダービー馬の女性オーナーが103歳で死去(イギリス)[その他]


 英国ダービーの勝馬を所有した初めての女性として競馬史にその名を刻んだレティス・ミラー(Lettice Miller)氏は、103歳でその生涯を終えた。

 5人の子供の母親であるミラー氏は、コネマラポニーの生産者である娘のブランシュ(Blanche)と一緒にドーセット州のシャフツベリーの近くで住んでいたが、その103歳での死は1993年に100歳で死んだマイケル・ソーベル卿(Sir Michael Sobell)の記録を破り、最も長生きしたダービー馬オーナーとなった。

 初めてダービー馬を所有した女性はジェームズ・ダグラス夫人(Lady James Douglas)であったが、彼女がゲインズボロー(Gainsborough)で1918年に成し遂げた勝利は、ニューマーケット競馬場で行われた第1時大戦時の代替開催でのものであった。

 1937年に、ミラー氏が母親と共同で所有しフレッド・バターズ(Fred Butters)調教師が管理していたミッデイサン(Mid-day Sun)は、マイケル・ベアリー(Michael Beary)騎手を背に、フローレンス・ネーグル(Florence Nagle)氏が所有し調教も行っていたサンドスプライト(Sandsprite)を1馬身1/2差で破った(単勝オッズ101倍)。

 ミラー氏は、1935年の英国オークスにおいて短頭差で敗れたアンカレット(Ankaret)も所有していた。

 同氏は、2007年のデイリーテレグラフ紙(Daily Telegraph)のインタービューにおいて、ダービー勝利を思い出しながら、「勝利後の世間からの注目はかなり恐ろしいものであり、私はそれにどのように対処すれば良いのか分かりませんでした。その頃始まったばかりのテレビに出演するよう依頼されましたが、私はそれを断ることに決めました。記者たちにはかなりイライラさせられました」と語った。

 ミラー氏がダービー優勝後に受け取った巨大な郵便袋の中には、婦人参政権論者からの1通の手紙が含まれていた。

 同氏は次のように語った。「彼らは、国王が私をダービーの晩餐会に招待しないことがどれだけ不親切かを言うために不愉快な方法で書いてきました。しかしもちろん、それは国王が行い得た最も気を利かせたやり方だったのです。もし実際に招待されていたとしたら、私は部屋の中でただ一人の女性となっていたでしょうし、それは私にとっては非常につらいことだったでしょう」。

 また同氏は、収得した8,941ポンド(約125万円)の賞金について、「病院に多額の寄付をし、ダービーの昼食会のワイン代やそのほか多くのことに支払うのが伝統でした。したがって、ほとんど手元には残りませんでした」とコメントした。

 そして次のように付言した。「あの頃は、優勝カップさえも授与されなかったので、大変がっかりしました。しかし、私はフォートナム&メイソン社(Fortnum & Mason)から、私の勝負服の色で非常に豪華に装飾されたチョコレート1箱を受け取りました」。

 ミラー氏は、1960年代にはビル・ワイトマン(Bill Wightman)調教師とともに馬を所有し、友人のフィル・バクストン(Phyll Buxton)氏によれば、彼女は晩年には競馬を愛好するとともに読書家および熱烈な芸術家でもあり続けた。

 バクストン氏は12月31日、「レティス(ミラー氏)がダービーを優勝したときに、彼女の子供たちの部屋に揺り木馬があり、その上に彼女の勝負服を着たサルが座っていたのを思い出します」と語った。

 12月27日に亡くなったミラー氏の葬儀は、1月11日午後2時30分からシャフツベリーの近くのドンヘッドセントアンドリュー教会において行われる。チャリティーへの寄付を含む献花のみが受け付けられる。

By Graham Green

(1ポンド=約140円)


[Racing Post 2011年1月1日「History-making Derby owner dies at 103」]


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