名牝ミエスク、27歳で死去(アメリカ)[生産]
2011年1月20日、輝かしい競走馬で繁殖牝馬としても成功を収めたフランスのスター牝馬ミエスク(Miesque)に哀悼の意が捧げられた。同馬は、ケンタッキー州のレーンズエンド牧場(Lane’s End Farm)において27歳で死んだ。
ミエスクはG1競走を10勝し、史上初めてブリーダーズカップ(BCマイル)において2勝を果たした馬である。
フランソワ・ブータン(Francois Boutin)調教師が馬主のスタヴロス・ニアルコス(Stavros Niarcos)氏のために管理していたミエスクは、ロンシャン競馬場で驚くべき差し脚を見せてミリグラム(Milligram)を捕え、マルセルブサック賞を2歳で優勝したことで一気に名を馳せた。この優勝により同馬の地位は、1986年国際格付け(1986 International Classification)においてレファレンスポイント(Reference Point)の4位となった。
その素晴らしい差し脚は、同馬がニューマーケット競馬場での英国1000ギニー(G1)、ロンシャン競馬場でのフランス1000ギニー(G1)を優勝した頃から見慣れた光景となった。そして1947年以来、英仏の1000ギニー競走を制した初めての牝馬となった。その後、ミエスクはジャックルマロワ賞(G1)、ムーランドロンシャン賞(G1)、そしてハリウッドパーク競馬場のBCマイル(G1)を制した。
4歳シーズンにおいて、ミエスクは、ジャックルマロワ賞とBCマイルをそれぞれ2連勝した初めての馬となった。同馬は、ケンタッキー州のチャーチルダウンズ競馬場で行われたBCマイルで4馬身差で優勝を果たし、輝かしい栄光の中で引退した。
ミエスクは牧場においても優秀であり、彼女の産駒には、一流マイル馬のキングマンボ(Kingmambo)、フランス1000ギニーとオークスを優勝したイーストオブザムーン(East Of The Moon)のほか、重賞やリステッド競走で好成績を残した他の3頭が含まれている。
ニアルコス一族は声明において、「ミエスクは私たちの人生の一部です。彼女は特別な馬で私たちに大きな喜びをくれました」と述べた。
かつてはミエスクの主戦騎手であり、現在はBCマイルを3連勝したゴルディコヴァ(Goldikova)の調教師であるフレディ・ヘッド(Freddie Head)氏は、次のように語った。「ミエスクは素晴らしく偉大な競走馬で、ものすごいスピードを持っていました。彼女は2歳のときも3歳のときも4歳のときもトップに君臨し、並外れた優秀さを持っていました」。
「またミエスクは非常に張り詰めた神経の持ち主でしたが、信じられないようなスピードを出す牝馬でした。私は彼女の最高の勝利の1つは英国ギニー競走優勝であり、もう1つはジャックルマロワ賞の勝利だと思っています」。
「ミエスクとゴルディコヴァを比べることは、両馬の間に25年の歳月があり、競馬も変化したので非常に難しいです」。
「私がゴルディコヴァに騎乗したことがないこともあり、比較することは難しいですが、おそらく2頭は同一レベルにあると思います」。
「ゴルディコヴァはミエスクよりもずっと扱い易く、競走生活の初期に過保護にされていました」。
「ミエスクに騎乗してG1を10勝したことと現在ゴルディコヴァを管理してG1を12勝しBCマイルで3連勝を果たしたことは素晴らしいことであり、信じられないことです。これは夢見ることも想像することもできないようなことです」。
ミエスクのG1優勝(すべてフレディ・ヘッド氏が騎乗) | ||
1986年9月 | サラマンドル賞 | ロンシャン競馬場 |
1986年10月 | マルセルブサック賞 | ロンシャン競馬場 |
1987年5月 | 英国1000ギニー | ニューマーケット競馬場 |
1987年5月 | フランス1000ギニー | ロンシャン競馬場 |
1987年8月 | ジャックルマロワ賞 | ドーヴィル競馬場 |
1987年9月 | ムーランドロンシャン賞 | ロンシャン競馬場 |
1987年11月 | BCマイル | ハリウッドパーク競馬場 |
1988年5月 | イスパーン賞 | ロンシャン競馬場 |
1988年8月 | ジャックルマロワ賞 | ドーヴィル競馬場 |
1988年11月 | BCマイル | チャーチルダウンズ競馬場 |
By David Carr
[Racing Post 2011年1月22日「Head pays glowing tribute as mighty Miesque dies at 27」]