ハリウッドパーク競馬場が閉場(アメリカ)[開催・運営]
2013年12月22日のハリウッドパーク競馬場の最終日に1万3,000人以上のファンが押し寄せ、その歓声のこだまはロサンゼルス地区の競馬の黄金時代を終わらせた。
これは、2008年にサンフランシスコ近郊の74年の歴史を持つベイメドウズ競馬場が閉場したことに続く、カリフォルニア州の主要競馬場の閉場である。なお、ベイメドウズ競馬場もハリウッドパーク競馬場を所有する会社の同様の開発計画に道を譲ったものである。
サンタアニタ競馬場は12月26日から冬・春開催を開幕したが、その開催期間はこれまでよりもずっと長く6月までとなる。デルマー競馬場とロスアラミトス競馬場も夏と秋に施行されてきたハリウッドパーク競馬場のいくつかの伝統的な開催日を引き継ぐ。
ハリウッドパーク競馬場の厩舎地区は1月末まで使用可能で、ロスアラミトス競馬場およびサンルイレイダウンズ調教センター(San Luis Rey Downs training center)の厩舎も使用することができる。
ハリウッドパーク競馬場の将来は、2005年にチャーチルダウンズ社(Churchill Downs Inc.)がベイメドウズランド社(Bay Meadows Land Co.)に同場を売却したときから疑問視されていた。新オーナーは当初、少なくとも3年は競馬を続行すると語り、競馬のビジネスモデルを再活性化に努めた。
しかし、同場は賭事売上げと入場者数の減少を食い止める幸運には恵まれず、州レベルで抵抗に遭っていたスロットマシン導入を試みたが、州全体にわたる戦略も失敗に終わった。
開発計画では、競馬場を、1世帯住宅やコンドミニアムからなる3000戸の住宅ユニット、中央に10エーカー(4 ha)の公園がある25エーカー(10 ha)の駐車場、小売店・娯楽地区、12万平方フィート(1万800平方メートル)のカジノ、映画館、オフィススペースおよび300室のホテルに変えることとされている。
ハリウッドパーク競馬場はイングルウッド市にあり、映画界でその名を馳せたジャック&ハリー・ワーナー兄弟(Jack and Harry Warner)により設立され1938年にオープンした。エリザベス・テーラー、ジミー・スチュワート、ビング・クロスビーなどの有名人が同場の常連であった。
殿堂入りを果たしたジャック・ヴァン・バーグ(Jack Van Berg)調教師(77歳)は、同場の閉場について、イングルウッド市とロサンゼルス市およびカリフォルニア州を非難した。
閉場日に同調教師は次のように語った。「悲しいことです。多くの人々が愛し繁栄したこのような競馬場を閉鎖させるのはおかしいです。彼らは競馬を滅ぼすためにあらゆることをやりました」。
1984年に第1回ブリーダーズカップを施行したハリウッドパーク競馬場は、BC開催場の中で初の閉鎖競馬場となった。
By Jack Shinar
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2009年No.17「ハリウッドパーク競馬場再開発で 競馬場消滅の危機(アメリカ)」、
2013年No.22「ハリウッドパーク競馬場、12月に閉場(アメリカ)」
[The Blood-Horse 2014年1月4日「Hollywood Park runs last race; California racing on new path」]