モハメド殿下、故セシル調教師のウォレンプレイス調教場の購買を交渉中(イギリス)[その他]
モハメド殿下(Sheikh Mohammed)は、ニューマーケットの歴史的な調教場ウォレンプレイス(Warren Place)を購買することにより、故サー・ヘンリー・セシル(Sir Henry Cecil)調教師が拠点としていたこの調教場との関係を再構築しようとしているかもしれない。
2013年にセシル調教師が亡くなり、セシル夫人が調教師免許を受け継いでから、ウォレンプレイス調教場の将来について、多くの憶測が飛び交っていた。
セシル夫人は、この交渉に入る前からすでに調教師引退を検討していたとされる(訳注:後日、セシル夫人は11月をもって調教師を引退する旨を発表した)。
モハメド殿下のスポークスマンは、購買の可能性について質問されたが、コメントを控えた。
モハメド殿下は、1980年代と1990年代のセシル調教師の全盛期に、オーソーシャープ(Oh So Sharp)、インディアンスキマー(Indian Skimmer)、オールドヴィック(Old Vic)をはじめ、現在でも偉大な競走馬として語り継がれている数々の優良馬を送り込んだ。
モハメド殿下が、冬場に所有馬をドバイに移動させることを決定したことにより、セシル調教師との協力関係は終了したが、同殿下はこの調教場に戻る願望をもっていたのかもしれない。
昨年、セシル夫人は、先行馬ノーブルミッション(Noble Mission)でタタソールズゴールドカップ、サンクルー大賞、チャンピオンSを制し、G1・3勝を果たした。
ニューマーケットで最も象徴的な調教場であるウォレンプレイスは、1929年にサム・ダーリン(Sam Darling)調教師が賭事で手に入れた資金で建設した。その後、この調教場の管理馬は英国クラシック競走を42勝した。そのうちの4勝は、モハメド殿下の所有馬によるものである。オーソーシャープが1985年の三冠馬(英1000ギニー、英オークス、セントレジャー)となり、ディミニュエンド(Diminuendo)が1988年の英オークスを制している。
1953年にはノエル・マーレス(Noel Murless)調教師が、ウォレンプレイス黄金時代の到来を告げた。クレペロ(Crepello)、セントパディ(St Paddy)、ロイヤルパレス(Royal Palace)、プティエトワール(Petite Etoile)、アルテスロワイヤル(Altesse Royale)、ミステリアス(Mysterious)などのスター馬が活躍した。マーレス調教師が管理した5頭のオークス馬の中には、1957年にエリザベス女王に初めてのクラシック勝利をもたらしたカロッツァ(Carrozza)がいる。
1976年12月のマーレス調教師の引退に伴い、その義理の息子であるセシル調教師が調教場を引き継いだ。同調教師は23頭の英国クラシック馬を管理し、2011年には比類ない名馬フランケル(Frankel)が英2000ギニーを制し、最後を締めくくった。
ウォレンプレイスは、モハメド殿下がニューマーケットに有する巨大馬帝国を、さらに拡張することになるであろう。この帝国には、サイード・ビン・スルール(Saeed Bin Suroor)調教師とチャーリー・アップルバイ(Charlie Appleby)調教師が、ゴドルフィンの所有馬を管理するゴドルフィンステーブル(Godolphin Stables)およびモールトン調教場(Moulton Paddocks)、さらにはダーレーの世界的生産事業の本部であるダーラムホールスタッド(Dalham Hall Stud)などが含まれる。
By Tony Smurthwaite
[Racing Post 2015年6月14日「Sheikh in talks to buy Warren Place」]