57歳のラッセル・ベイズ騎手、剛腕はなお健在(アメリカ)[その他]
“競馬殿堂入りのラッセル・ベイズ(Russell Baze)騎手の輝かしいキャリアが、さらに高まるのではないか?”と考えていた丁度その時だった。北米最多の勝利数・騎乗数を誇る同騎手は、3日間にわたるカリフォルニア州展覧フェア・混合競馬開催(California Exposition and Fair mixed-breed meet サクラメントで開催)で、唖然とさせる記録を打ち立てた。
この混合競馬開催(7月17日〜19日)において、サラブレッド競走は22レース施行された。8月7日に57歳になったベイズ騎手は、18鞍騎乗して12勝をあげ、その勝率は66.7%であった。さらに、ハナ差の2着と3馬身差の2着があった。また、この3日間で最も注目を集めたゴールデンベアS[総賞金6万4,300ドル(約772万円)]では、単勝オッズ4-5(1.8倍)の1番人気馬ミスタージェイディー(Mr. Jay D)に騎乗し、先行して1ハロンを22秒03、2ハロンを44秒40で通過したが、その後追い抜かれて3着となった。
この健闘により、ベイズ騎手の成績は通算52,703戦12,609勝となった。北米勝利数・騎乗数2位のラフィット・ピンカイ・ジュニア(Laffit Pincay Jr.)元騎手の通算48,486戦9,530勝を大きく引き離している。
カナダのバンクーバー出身で、父のジョーが騎手であったベイズ騎手は、ワシントン州でキャリアをスタートさせた。その後、80年代前半に北カリフォルニアに拠点を移したが、長年トップに君臨している。1974年にデビューし、ヤキマメドウズ競馬場(1998年閉場)で初勝利をあげた。
気さくなベイズ騎手は、この3日間で幾度もウィナーズサークルに足を踏み入れたことについて、次のように語った。「1勝でも嬉しいものですが、多くの勝利をあげた時は、最高の気分です。依頼された一頭一頭の馬に、精一杯、騎乗するだけです。有力馬が揃い、素晴らしい結果につながった時は、本当にありがたく思います」。
1979年からベイズ騎手のエージェントであるレイ・ハリス(Ray Harris)氏は、次のように語った。「以前、ラッセルは同じ馬主の馬で、1日に7勝したことがあります。それでも、ラッセルはこの3日間の快挙に感動していました。18戦12勝は見事です。素晴らしい週末でした」。
ベイズ騎手の偉業は、多すぎて一覧表にはできないほどであるが、1999年の競馬殿堂入りと、1995年のエクリプス賞受賞などがそのハイライトである。また、全米競馬記者協会(National Turf Writers Association)が、一年で最も勝率が高かった騎手に、14年間(1995年〜2008年)授与してきたアイザックマーフィー賞を受賞できなかったのは、たった1回であった(訳注:2004年はラモン・ドミンゲス騎手に続く2位に甘んじた)。さらに、ベイズ騎手は勝利数による北米リーディングジョッキーに13回輝いた。
2002年に、ベイズ騎手はジョージウルフ記念騎手賞を受賞した。この賞は、その功績と人格がサラブレッド競馬界の評判を高めた騎手を称えるものである。最も優秀な騎乗馬は、2005年エクリプス賞最優秀短距離馬に選出された悲運のロストインザフォグ(Lost in the Fog)である。ベイズ騎手はこの馬で、キングズビショップS(G1)、リヴァリッジブリーダーズカップ(G2)、スウェールS(G2)、キャリーバックS(G2)を制した。
ベイズ騎手は、しっかりした職業倫理をもち、健康管理に熱心に取り組むことで有名である。その評判は高く、北米で最もフェアな騎手である。また、体重は常に112ポンド(約50.8 kg)を維持している。
ハリス氏は、自身とベイズ騎手は米国競馬界最長のコンビを組んでいると考えている。そして、「ラッセルはすべてを兼ね備えています。調教も健康管理も楽しんでいます。また、とても謙虚であり、レースでの勝利は、馬が90%で騎手が10%と考えています。大抵の場合、適切な判断を下して非常に聡明です」と語った。
同年代の騎手の殆どが引退している中、競馬界でトップクラスにいる他の高齢騎手と同様、ベイズ騎手は引退を考えてもいない。結局のところ、彼にはその必要がない。
ベイズ騎手は、「この3日間のように多くのレースを勝った者が、なぜ引退を考えなければならないのでしょう」と語った。
By Rob Mitchell
(1ドル=約120円)
[The Blood-Horse 2015年8月1日「Win Machine」]