英国でもオペラハウスの死が悼まれる(イギリス)[その他]
1993年キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドS(G1・キングジョージ)を制したオペラハウスは4月20日、日本において28歳で死亡した。
モハメド殿下(Sheikh Mohammed)が所有したオペラハウス(父サドラーズウェルズ)は、サー・マイケル・スタウト(Sir Michael Stoute)調教師に管理された。通算成績は18戦8勝で、現役最後となる5歳シーズン(1993年)にコロネーションカップ(G1)、エクリプスS(G1)、キングジョージを制した。
スタウト調教師は4月25日、「オペラハウスを調教するのは大好きでした。彼は偉大な競走馬で万能でした」と語った。
1993年にモハメド殿下の主戦騎手としてオペラハウスに騎乗したマイケル・ロバーツ(Michael Roberts)元騎手はこう語った。「オペラハウスはとても頑丈で、小柄ながら勇敢でした。捉えどころがない馬でもありました。小さいのに大らかな心を持っていました」。
ロバーツ氏はオペラハウスに騎乗して、ガネー賞(G1)で2着となった後、コロネーションカップでエンヴァイロメントフレンド(Environment Friend)を破り優勝した。
そしてこう続けた。「彼はエプソム競馬場を得意としていました。同じくモハメド殿下が所有するイントレピディティ(Intrepidity)でオークス(G1)を制した翌日だったので、騎手人生で忘れられない週となりました」。
ニューマーケットのレースコースサイドで最終追い切りを行った後、アスコット競馬場のキングジョージに自信満々で挑んだことを、ロバーツ氏は思い出した。
「信じられないほど素晴らしい動きでした。彼のおかげで、キングジョージでは言うことなしの騎乗ができました。その後、凱旋門賞(G1)では3着となり、米国のブリーダーズカップに向かいました」。
オペラハウスはロンシャン競馬場で優勝馬アーバンシー(Urban Sea)に1馬身差、2着馬ホワイトマズル(White Muzzle)にクビ差で敗れたが、これら2頭には性別と年齢による減量があった。
その1ヵ月後に、オペラハウスはBCターフ(G1・サンタアニタ競馬場)で6着となり、現役を引退した。
オペラハウスは日本で供用され、3年前に静内種馬場でその種牡馬生活を終えていた。その後、功労馬として同場で繋養されていたが、放牧中の事故で骨折し安楽死の処置が取られた。
オペラハウスに関する数字 享年:28歳 出走回数:4年間で18回 勝利数:8勝 G1勝利:3勝 レーシングポストレーティング:129 獲得賞金:88万2,104ポンド(約1億3,673万円) |
By Bruce Jackson
(1ポンド=約155円)
[Racing Post 2016年4月26日「Death of King George winner Opera House」]