ギャレット・ゴメス元騎手、44歳で死去(アメリカ)[その他]
12月14日、ギャレット・ゴメス(Garrett Gomez)元騎手(44歳)がアリゾナ州のカジノホテルで死亡しているのが発見された。
家族ぐるみの付合いのある友人ジャネット・ヒューズ(Jeanette Hughes)氏は「ギャレットとは子供のころからの友だちです。安らかな死だったと考えたいです。かわいそうです」と述べた。
状況を知るもう1人の人物によれば、ゴメス氏は薬物の過剰摂取のために亡くなり、アリゾナ州トゥーソン近くのカジノホテルで発見された。
来年1月1日に45歳の誕生日を迎えるはずだったゴメス氏は、2015年6月にフェイスブックで引退を発表したが、2013年から騎乗していなかった。
ゴメス氏には薬物依存症となった過去があったが、この問題がキャリアの大部分に深刻な影響を及ぼすことはなかった。エクリプス賞を2回受賞し、ブリーダーズカップ競走13勝を含む合計3,769勝を果たした。中でも、2010年BCクラシック(G1 チャーチルダウンズ競馬場)でブレーム(Blame)に騎乗し、ゼニヤッタ(Zenyatta)に生涯唯一の敗北を与えたレースが最も印象的である。獲得賞金は2億500万ドル(約246億円)以上に上る。
ゴメス氏は2013年夏、デルマー競馬場の裁決委員に「アルコール依存症の治療を受けており、回復促進のために抗鬱剤を処方されている」と語っていた。ゴメス元騎手はその年あまり騎乗せず、ハリウッドパーク競馬場ではほとんど騎乗しなかった。本人によれば、ハリウッドパーク開催の間、"結婚生活に関する"問題に対応するために時間を取られていたとのことである。ゴメス氏はその2ヵ月後、"離婚手続きを行っている"と語り、2013年10月にキーンランド競馬場で騎乗したのが最後となった。
ゴメス氏は、騎手生活を送っていた時はサンタアニタパーク競馬場の東のドゥアルテ(カリフォルニア州)に住んでいた。しかし、2人目の妻パムとの関係が破綻した後はトゥーソンに移り、この2年間を過ごしていた。
状況をよく知る人物によれば、ゴメス氏は当初トレーラーに住んでいたが、最近自身が持つシーズン種付権利の関係で小切手を受け取り、カジノホテルにチェックインしていたとのことである。
ゴメス氏は1988年にニューメキシコ州で騎手となり、オークローンパーク競馬場やアーリントンパーク競馬場など中西部を中心に騎乗していた。その後、カリフォルニア州に移り好調なキャリアを歩んでいたが、一旦停滞し、その後また最盛期を迎えた。
ゴメス氏は2000年夏、デルマーデビュタントS(G1)とパシフィッククラシックS(G1)で優勝したが、薬物乱用のために挫折し服役した時期さえもあり、2003年は全く騎乗できなかった。しかし、2004年に復帰を果たして、2005年までにデルマーフューチュリティSやジョッキークラブゴールドカップS(G1)などのビッグレースを制し、秋にはブリーダーズカップで2勝(BCジュベナイル、BCマイル)した。さらに、2008年のブリーダーズカップでは4勝し、2010年ブリーダーズカップでは3勝した。
ゴメス氏は2006年から2009年まで4年連続で全米最高賞金獲得騎手に輝き、2007年と2008年にはエクリプス賞の最優秀騎手に選出された。また、2011年にジョージウルフ記念騎手賞を獲得した。
同氏には最初の結婚で生まれた娘シェルビー(Shelby)と息子コリン(Collin)、2回目の結婚で生まれた娘アマンダ(Amanda)と息子ジャレッド(Jared)がいる。
ギャレット・K・ゴメス 1972年1月1日アリゾナ州トゥーソン生まれ。 2016年12月14日死去。 <記録> 通算成績:21,639戦3,769勝(勝利数では史上88位) 獲得賞金額:205,202,055ドル(約246億2,425万円)(史上14位) エクリプス賞:2007年と2008年に最優秀騎手賞を受賞 リーディングジョッキー(獲得賞金による):2006年~2009年に4年連続で達成 ブリーダーズカップ競走:合計13勝(史上3位タイ) 2008年に4勝。2010年に3勝。 2010年にはブレームに騎乗しそれまで無敗だったゼニヤッタを破った。 ビル・シューメーカー賞:4回受賞(ブリーダーズカップで活躍した騎手に贈られる) |
By Jay Privman
(1ドル=約120円)
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[Daily Racing Form 2016年12月14日「Former jockey Garrett Gomez found dead at 44」]