メルボルンカップ優勝のジョン・マーシャル騎手、60歳で死去(オーストラリア)[その他]
メルボルンカップ(G1)で優勝したジョン・マーシャル(John Marshall)騎手はがん闘病の末、60歳で亡くなった。
マーシャル騎手は1999年メルボルンカップでローガンジョシュ(Rogan Josh)を勝利に導き、バート・カミングス(Bart Cummings)調教師に同レース11勝目をもたらした。
西オーストラリア州出身のマーシャル騎手は、1980年~90年代にカミングス厩舎とタッグを組み、1987年シャンペンS(G1)をスカイチェイス(Sky Chase)、1988年オーストラリアンダービー(G1)をボーザム(Beau Zam)で制した。
マーシャル騎手はこの協力関係のおかげで、1987-88年シーズンに86勝を挙げ、シドニーのリーディングジョッキーとなった。
マーシャル騎手にとって豪州で騎乗した最後のステークス勝馬は、パスタエクスプレス(Pasta Express ポール・ケイヴ厩舎)である。同騎手は2000年9月、パスタエクスプレスでチェルムスフォードS(G2)とヒルS(G2)で優勝し、その3ヵ月後に引退した。
全盛期のマーシャル騎手と凌ぎを削った殿堂入りジョッキーのロン・クイントン(Ron Quinton)氏は、ライバルに敬意を表してこう語った。
「彼はプロ中のプロで、とてもひたむきでした。カミングス厩舎の馬に騎乗して、多くの勝利を挙げました。トップクラスのジョッキーで、正々堂々と戦い、いつも全力を尽くしていました」。
「今朝この知らせを受けて、とても寂しく思っています。訃報はいつも悲しいものですが、それがちょうどクリスマスイヴだなんて、家族にとっては本当につらいことでしょう」。
オーストラリア騎手協会(Australian Jockeys' Association)のCEOデス・オキーフ(Des O'Keeffe)氏はマーシャル騎手に敬意を表し、競馬産業で築いたその名声を称賛した。
「ジョンの訃報に接し、ショックを受けて悲しんでいます。仲間からとても尊敬され、高く評価されていました。ご家族に心からお悔やみ申し上げます」。
息子のテイラー・マーシャル氏がブリスベンでプロの騎手として活躍しているので、マーシャルの名前は競馬界で生き続けている。
オーストラリアンターフクラブ(Australian Turf Club: ATC)のCEOであるジェイミー・バークリー(Jamie Barkley)氏は、マーシャル騎手は現役時代も引退後も仲間に高く評価されていたと述べ、こう付言した。
「ジョン・マーシャル騎手は長年にわたって、豪州で最高の騎手の1人でした。私たちは競馬コミュニティーとともに、彼の素晴らしいキャリアに心から敬意を払いたいと思います。ATCはジョンの家族と親しい友人に対し哀悼の意を表します」。
[訳注:ジョン・マーシャル騎手は1988年、阪神競馬場で行われた第2回ワールドスーパージョッキーズシリーズに参加した]。
By racing.com/Carl Di Iorio & Brad Bishop
[Racing Post 2018年12月24日「Melbourne Cup-winning rider John Marshall dies aged 60」]