米国二冠馬ウォーエンブレム、21歳で死亡(アメリカ)[生産]
引退馬施設オールドフレンズは3月11日、2002年ケンタッキーダービー(G1)&プリークネスS(G1)優勝馬ウォーエンブレムの死を発表した。2015年から同施設で繋養されていたウォーエンブレムは3月11日早朝に息を引き取っているのを見つけられた。
同馬の死は放牧中の事故によるものだと考えられているが、はっきりとした死因は分かっていない。解剖診断書は作成中である。
ケンタッキー州のオールドフレンズは2015年、日本の社台ファームで供用生活を終えていたウォーエンブレムを米国に連れ戻した。同馬は海外からオールドフレンズに引き取られた2頭目のケンタッキーダービー馬である。2014年には1997年ケンタッキーダービー優勝馬シルバーチャームが日本から帰国してこの施設に受け入れられていた。
ウォーエンブレム(父アワエンブレム 母スウィーテストレディ 母父ロードアットウォー)は、ケンタッキー州ミッドウェイのチャールズ・ナコルズJr.&サンズ社(Charles Nuckols Jr. and Sons)により生産された。当初はラッセル・レインマン(Russell Reineman)氏に所有され、フランク・スプリンガー(Frank Springer)調教師に管理された。青鹿毛の同馬はイリノイダービー(G2)を驚異的な先行逃げ切りで制した後、アフメド・ビン・サルマン殿下(Prince Ahmed bin Salman)のサラブレッドコーポレーション(Thoroughbred Corporation)に売却され、ボブ・バファート厩舎に転厩した。
その3週間後、ウォーエンブレムは新たな関係者に第128回ケンタッキーダービー優勝をもたらした。
プリークネスSでも圧勝を果たした同馬は、12頭目の米国三冠馬に名乗りを上げたが、ベルモントS(G1)の発走時に大きくつまずき、人気薄のサラヴァ(Sarava)に負かされた。サラヴァもオールドフレンズで繋養されている。
ウォーエンブレムはハスケル招待S(G1)でG1・3勝目を挙げ、その年の最優秀3歳牡馬に選出された。同馬は通算成績13戦7勝、獲得賞金349万1,000ドル(約3億8,401万円)で現役を引退した。
2002年秋、ウォーエンブレムは吉田ファミリーに1,700万ドル(約18億7,000万円)で購買され、偉大なサンデーサイレンスがいた有名な社台スタリオンステーションで種牡馬となった。気難しいが有能な種牡馬だったウォーエンブレムが送り出した産駒は200頭に満たなかったが、多くの産駒が才能に溢れていた。日本の最優秀2歳牝馬に選出されたローブティサージュ(2012年阪神ジュベナイルフィリーズ優勝馬)はその1頭である。
ウォーエンブレムは種牡馬生活から引退し、吉田ファミリーは寛大にも同馬をオールドフレンズに寄贈することに同意した。この交渉は、ナーヴィックインターナショナル社のエマニュエル・セルー(Emmanuel de Seroux)氏がまとめた。
オールドフレンズの創設者兼会長のマイケル・ブローウェン(Michael Blowen)氏はこう語った。「私たちは5年ほど前にウォーエンブレムをオールドフレンズで引き取る際に協力してくれた吉田氏と同馬のすべてのファンに感謝しています。ここで受け入れる引退馬をすべて同じように評価しなければならないことは分かっていますが、ウォーエンブレムはとても特別な馬でした。粗暴でナルシストで大胆でハンサムでした。彼のことが大好きでした」。
「ウォーエンブレムが噛みつくことなく無口頭絡を付けさせてくれた日のことを、私が達成した数少ない偉業の1つとして誇りに思っています。彼は私を信じてくれました。それ以上何を望むことができるでしょう。彼がいなくなった寂しさを癒すのには時間が掛かり、この牧場の様子は一変するでしょう」。
By Blood-Horse Staff
(1ドル=約110円)
(関連記事)海外競馬ニュース 2015年No.42「ウォーエンブレム、ケンタッキーに到着(アメリカ)」
[bloodhorse.com 2020年3月11日「Kentucky Derby Winner War Emblem Dies at 21」]