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海外競馬ニュース
2020年09月03日  - No.34 - 3

メルボルンカップ優勝馬で功労馬のサブゼロが32歳で死亡(オーストラリア)[その他]


 "豪州競馬の伝説"サブゼロ(Subzero)が32歳で死んだ。1992年にメルボルンカップ(G1)を制した同馬は、このレースの優勝馬の中でおそらく最も人気があった。

 サブゼロは、親友であり長年の世話人グラハム・ソールズベリー(Graham Salisbury)氏ががんとの長い闘病の末に6月に亡くなってからわずか2ヵ月後に死んだ。

 サブゼロとソールズベリー氏は学校や養護施設を訪ねることにより、さまざまな世代の人々に競馬を紹介し、豪州競馬の偉大なアンバサダーとなっていた。

 レーシングヴィクトリア(Racing Victoria:RV)とヴィクトリアレーシングクラブ(Victoria Racing Club:VRC)は、心臓まひを起こして安楽死措置が取られたサブゼロに哀悼の意を述べた。

 RVは声明にこう記している。「レーシングヴィクトリアは、豪州で一番有名で人気がある競走馬の1頭サブゼロが32歳で死んだことを重い気持ちで受け止めています。愛称"サビー(Subbie)"で知られる1992年メルボルンカップ優勝馬は、数日前に病を発症し、ベンディゴ馬診療所(Bendigo Equine Hospital)において獣医師たちにより安楽死措置が取られました。親友で所有者だったソールズベリー氏が長い闘病生活を経て亡くなってから2ヵ月あまりでサビーは死んだことになります」。

 RVのCEOジャイルズ・トンプソン(Giles Thompson)氏はこう語った。「誰もが愛する馬サブゼロの訃報が舞い込み、ヴィクトリア州の競馬産業の全員にとって途方もなく悲しい日がまた訪れました。サビーの競走馬としての活躍と引退後の貢献はとても素晴らしいものでした。サラブレッド競馬界は、競馬ファンと一般のオーストラリア人の心をとらえたサビーへの恩を永久に忘れません」。

 「サビーはメルボルンカップを制したことで誰もが知る馬となりましたが、引退後の功績により伝説ともいえる地位を手に入れました」。

 「サビーは競馬界で一番有名な馬のアンバサダーでした。州内各地や州外の学校に赴くプログラム"サブゼロが学校に行く(Subzero Goes to School)"の主役を長年務めてくれたことを大変光栄に思います」。

 「多くの子供たちが1頭の馬に会って愛撫する機会に恵まれて成長しました。その1頭の馬というのはサビーでした。サビーが"ガールフレンドはいるか?"と聞かれてうなずいたときに、子供たちのあいだに溢れた笑いを、私たちはずっと忘れられないでしょう」。

 「小学生から高齢者まで、病と闘う人々からハリウッドの大スターまで、サビーとグラハムは彼らの人生に喜びをもたらすために全力投球しました。そして同時に、サラブレッド競馬をプロモートしました」。

 「私たちは機が熟したときに、ソールズベリー家や私たちのクラブの人々と、サブゼロへの賛辞をどのように形にできるかについて話し合うでしょう」。

 「それまで、アニタ(ソールズベリー氏の妻)をはじめソールズベリー家の人々にお悔やみを申し上げるとともに幸せをお祈りします」。

 メルボルンカップカーニバル中に施行される芦毛馬限定戦の"オフザトラックサブゼロハンデキャップ"で、サブゼロの名前はフレミントン競馬場でこれからも長く思い出されるだろう。

 VRCのアマンダ・エリオット(Amanda Elliott)会長はこう語った。「ソールズベリー氏とサブゼロの物語ほど、人間と馬のあいだの友情と愛情のあり方を表わすうってつけの例はないでしょう」。

 「彼らは一緒に、あらゆる世代の競馬ファンからサビーのレースを見たことがなかった幅広い一般の人々にいたるまで、多くの人々に喜びと幸せをもたらしました」。

 「悲しいことですが、グラハムが数ヵ月前に亡くなったことをうけて、32歳の高齢のサビーがグラハムのもとに行きたがったのは疑いようもありません」。

By Racing.com/Andrew Eddy

[Racing Post 2020年8月29日「Melbourne Cup winner and Australia's most popular horse Subzero dies age 32」]

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