障害競走のレジェンド、リチャード・ジョンソン騎手が引退(イギリス)[その他]
史上最も成功したジョッキーの1人、リチャード・ジョンソン騎手(43歳)が4月3日、突然の引退を発表して障害競馬界に衝撃を与えた。
ジョンソン騎手は、ニュートンアボット競馬場のハンデキャップチェイス(約4200m)においてブラザーテッド(Brother Tedd フィリップ・ホッブス厩舎)で3着に入った後、最終レースでの騎乗を辞退し、この予期せぬ決定を発表した。
リーディングジョッキーに4度輝いたジョンソン騎手は通算3,819勝を挙げた。この勝利数を上回ったのは偉大なライバル、サー・アンソニー・マッコイ元騎手だけである。ジョンソン騎手はチェルトナムゴールドカップ(G1)をルックスライクトラブル(Looks Like Trouble 2000年)とネイティヴリバー(Native River 2018年)で制して2度の栄光を手にしたほか、数々の障害のビッグレースで快挙を遂げた。
同騎手は2019年、スポーツへの貢献が認められてOBE(大英帝国四等勲士)を授与された。
最後の騎乗を終えて涙を流していたジョンソン騎手は、声明でこう述べた。
「30年近く騎乗してきましたが、引退するときが来ました。これまで多くの素晴らしい調教師や馬主の方々のために、たくさんの優良馬に乗ることができて、すごく幸運でした」。
「最後の一鞍をフィリップ&サラ・ホッブス夫妻のために騎乗することが、私にとってとりわけ重要でした。彼らはヘンリー・デイリー調教師と同様に20年以上も私をサポートしてくれました。彼らの義理堅さが私にとってどのような意味を持つのか、とても言葉では言い表せません」。
「長年にわたる私のキャリアを支えてくれた多くの人々に感謝しています。デューク(故デヴィッド・ニコルソン調教師)とダイナ夫人、そして彼らの素晴らしいスタッフがいなければ、私は最初の一歩を踏み出せなかったでしょう。駆け出しのころの私を信頼してくれたノエル・チャンス調教師、ピーター・ボウエン調教師、ミルトン・ブラッドリー調教師には、"ありがとう"と言いたいです。私のキャリアを形成したあのころに、生涯の友となる多くの人々に出会いました」。
「実際のところ、個別にお礼を言いきれないほどあまりにも多くの人々にお世話になりました。しかし、皆さんは私にとってどのような存在であったか、どれだけサポートしてくれたかを自らご存じでしょう。英国各地の検量室のベンチでともに過ごした現役ジョッキーと元ジョッキー、世話をしてくれたバレット、手当てをしてくれた医師、そして元どおりの元気な状態にしてくれた理学療法士にも感謝したいです」。
「デーヴ・ロバーツ調教師がいなければ、これほどたくさんの勝馬に乗ることはできなかったでしょう。また近年では、理学療法士のケイト・デーヴィス氏の援助がなければ、肉体的にも無理だったでしょう。皆さんに敬意を表します」。
ジョンソン騎手のマッコイ元騎手とのライバル関係は長年にわたって続いたテーマだった。マッコイ元騎手がリーディングジョッキーに20回輝いたのに対し、ジョンソン騎手は16回もその2位に甘んじるという挫折感を味わっていた。
マッコイ氏の引退後、ジョンソン騎手は2016年についにリーディングジョッキーのトロフィーを手にし、その後の3シーズンにわたってリーディングタイトルの防衛に成功した。
マッコイ氏はツイッターでジョンソン騎手の驚異的なキャリアに敬意を表した。「最も挑んでくる人が、最も重要なことを教えてくれることがあります。リチャードは20年以上にわたって、私にとってそのような存在でした。永遠に感謝します。ありがとう相棒。今夜、家に帰って鏡を見れば、チャンピオンがどんなものか分かるでしょう。引退生活を楽しんでください」。
マッコイ氏はグレートブリティッシュレーシング(GBR)に対してこう語った。「私はプロの騎手としての彼を、おそらく誰よりもよく知っています。一緒に過ごすには素晴らしい人だし、立派なジョッキーであり、信じられないほど競争心が強かったです」。
「それに仕事熱心で、これまで競い合った中で最も公平な騎手です。だから、成功するのにふさわしいジョッキーなのです。何度も言っていますが、リチャードと何年も競い合ったことは確実に、私をより良いジョッキーにしました。彼がとても優れたジョッキーだとお思いになるでしょう。しかし、彼は人としてそれ以上に素晴らしいのです」。
ジョンソン騎手は騎手生活のハイライトとして、サンダウン競馬場で迎えた2015-16年シーズン最終日を挙げた。
同騎手は「あれは騎手生活で最高の瞬間でした。今までたくさんの高揚感を経験してきましたが、とても特別なものでした。あのシーズンに得たサポートは驚異的で、忘れられない時間になりました」と語った。
ヘレフォード出身のジョンソン騎手は、偉大なデヴィッド・ニコルソン調教師のもとで条件付騎手(障害競馬における見習騎手)となり、1994年4月30日、地元のヘレフォード競馬場のハンターチェイス競走をラスティブリッジ(Rusty Bridge)で制し、初勝利を挙げた。
同騎手は、2003年チャンピオンハードル(G1)優勝馬ルースターブースター(Rooster Booster)や2002年チャンピオンチェイス(G1)優勝馬フラッグシップユーバーアレス(Flagship Uberalles)など、障害競馬界の最も人気ある数頭に騎乗した。
ジョンソン騎手はチェルトナムフェスティバルで23勝している。最初はアンザム(Anzum)に騎乗して達成した1999年ステイヤーズハードル(G1)優勝であり、最後はネイティヴリバーに騎乗してマイトバイトを破ってつかみ取った記憶に残る2018年チェルトナムゴールドカップ優勝である。
グランドナショナルでは最多騎乗記録である21回の騎乗を果たし、2002年にホワッツアップボーイズ(What's Up Boys)、2014年にバルタザールキング(Balthazar King)で2着に入ったが、優勝はできなかった。
リチャード・ダンウッディ騎手の引退後、ジョンソン騎手はホッブス調教師との輝かしい協力関係を開始した。そして、フラッグシップユーバーアレス、ルースターブースター、デトロイトシティ(Detroit City)、メノーラ(Menorah)、デフィデュスイユ(Defi Du Seuil)などのスター馬に騎乗した。
ホッブス調教師はこう語った。「リチャードは明らかに優れた騎手ですが、最高レベルの成功を収めるためには、優れた騎手であるだけでは十分ではありません」。
「彼は馬主との関係がとても良好です。とりわけ馬が不調に陥るようなとても困難な時に、その対応が優れています。多くの騎手は逃げたいと思いがちですが、リチャードは馬主と一緒により多くの時間を費やしていて、それこそがとても大事なことなのです」
「彼はまったく献身的で、傲慢さの欠片もありません。素晴らしいジョッキーであり、紳士であり、競馬というスポーツの立派なアンバサダーです」。
ジョンソン騎手とデイリー調教師の関係は、同調教師が故ティム・フォースター調教師の助手を務めていたころまで遡る。デイリー調教師は、1998年にフォースター調教師のダウントンホール調教場を引き継ぎ、ジョンソン騎手はその当初から同調教師のキャリアに関わっていた。
このコンビは、ベーラジャン(Behrajan)、エドモンド(Edmond)、マイティマン(Mighty Man)などでビッグレースを制した。
デイリー調教師は涙をこらえながらこう語った。「23年ものあいだ、私たちの厩舎のために乗ってくれ、火曜の朝は一度も休みませんでした。信じられないような人です。人々は、彼が成し遂げてきたこと、そして騎手というものがそもそもどういうものなのかほとんど理解できていません。信じられないような人なのです。とても規則正しい人なのです。誓って言いますが、私たちはこの長い年月において一度も口論したことがありません。本当に驚くべきことです」。
「彼が下した決断です。そう決めたときが潮時なのです。驚異的な人物であり、絶対的なレジェンドです」。
By Andrew Dietz
[Racing Post 2021年4月3日「Tears as four-time champion jockey Richard Johnson announces shock retirement 」]