女王のレーシングマネージャー、サー・マイケル・オズワルドが死去(イギリス)[その他]
王室の競馬活動において50年以上重要な役割を果たしてきたサー・マイケル・オズワルドは86歳で亡くなった。サー・マイケルを知り、愛してきた人々は、ニッキー・ヘンダーソン調教師が"華々しい"と表現したこの人物を偲んでいる。
サー・マイケルは1970年にロイヤルスタッドのマネージャーに就任し、28年間にわたりその役割を務めた。在任期間の前半は、ハイクレアとダンファームリンがそれぞれクラシック2勝を達成した黄金時代と重なっていた。
その快挙はサー・マイケルが平地競走への情熱を傾けていたことを示していたが、彼は障害競走の代名詞でもあった。エリザベス皇太后のレーシングマネージャーを務め、皇太后の崩御後はエリザベス女王の障害競走のアドバイザーとなった。
長年にわたり皇太后の女官を務めたアンジェラ夫人は、夫サー・マイケルを偲んでこう語った。「マイケルはいつも、誰にもとうてい就けないような最高に素晴らしい職に就いていると言っていました。それに、仕事人生を通じて、働かなくてもいいお金持ちだったらしていたであろうことを、ただやってきただけだとも言っていましたね」。
女王の競馬・生産アドバイザーであるジョン・ウォレン氏は、「サー・マイケルは長年にわたり、ロイヤルスタッドを管理するという壮麗な仕事をしました。彼はスタッド、女王、そして皇太后に献身的に仕えていました。非常に情熱的で、王室の馬が勝利を挙げるといつもすごく喜んでいました」と述べた。
20年以上にわたって王室の障害競走馬を手掛けてきたヘンダーソン調教師も、サー・マイケルの熱意を強く感じていた。
「サー・マイケルは最高に素晴らしい目の輝きをしていて、ちゃめっ気たっぷりの雰囲気を持っていました。本当に魅力的な人で、ウィットに富んだ素敵なセリフを言うんです。彼には軍人としての見事な経歴があり、アンジェラ夫人のことをいつも司令官と呼んでいました」。
「サー・マイケルは女王や皇太后ととても親しく、彼女らの馬を世話するのが大好きでした。80歳を過ぎてからの晩年の数年間も、馬が出走するのを見るためにどこにでも出かけていました。ノーフォークに住んでいましたが、エクセターまで喜んで車を走らせていましたね。女王は、マイケルが英国各地を旅するのを止めなければならないと私におっしゃったことがあります。私は畏れ多くも、それがおできになるのは女王陛下だけですと進言しました」。
ヘンダーソン調教師はこう続けた。「数年前、女王のクローズタッチ(Close Touch)がEBFノヴィスハンデキャプハードルファイナル(G3 サンダウン)で優勝しました。このレースのスポンサーはパディパワー社で、トロフィーとしてブロンズでできたパンツ3セットを制作していました。贈呈するためにそれらはテーブルの上に並べてありましたが、同社は突然、女王にブロンズのパンツを贈るのは不適切だと思われるかもしれないと気づき、その特殊なトロフィーをどけて花瓶に変えたのです」。
「サー・マイケルは"花瓶ではなくパンツが欲しい"と言い張り、そのままウィンザー城に持って行くと発表しました。翌朝、私は女王と話しましたが、女王によると、フィリップ殿下はこの賞品をとても喜んでいたそうです」。
同じく長年の友人でありエージェント(馬売買仲介者)のデヴィッド・ミントン氏は、哀悼の意を表して、「フィリップ殿下のように、彼は誰とでも話をするのが好きな人でした。本当に素晴らしい人で、この世で会える最も親切で魅力的な男性の一人でした」と語った。
By Lee Mottershead
[Racing Post 2021年4月18日「Sir Michael Oswald dies at 86 after half-century of racing service to the Queen」]