伏兵アダイヤー、カービー騎手を背にダービー優勝(イギリス)[その他]
最初に断られていなかったら、アダム・カービー騎手は今、喜びに浸ることはなかっただろう。
エプソム競馬場は隅から隅に、上り坂・下り坂・ねじれ・曲線が張りめぐらされている。陽光降りそそぐ英ダービー(G1)が終了したとき、それらは長身でやせたアスリートが経験した1週間のメタファーのように感じられた。彼はアダイヤーに騎乗して平地競走の最高峰を極め、自らも認める地味な評判をかなぐり捨てたのだ
カービー騎手は6月2日(水)午後、有力馬の1頭、ジョンリーパーでキャリア2度目のダービー騎乗を楽しみにしていた。彼は9日前の調教で、この馬にエプソムの奇妙なコースの輪郭を下見させていた。
しかしフランキー・デットーリ騎手が騎乗可能となりジョンリーパー陣営が騎手変更をしたことで、その興奮は落胆に変わった。カービー騎手のダービーでの騎乗馬は突然いなくなった。だがその状況は長くは続かなかった。
ゴドルフィンの最も重要な英国人トレーナーであるチャーリー・アップルビー調教師は、ゴドルフィンに最も忠実な騎手の1人をずっと使いたがっていた。今回のカービー騎手の喜びは、リーディングタイトルを2回獲得したオイシン・マーフィー騎手にとって苦痛だっただろう。自らが騎乗する予定だった伏兵がモハメド殿下に3年間で2度目のダービー制覇をもたらすのを傍観することになったのだ。
事前に予期されていたとおり、今年のダービーは予測不可能なものだった。アダイヤーの4½馬身後ろの2着に入ったのは人気薄だった単勝51倍のモジョスター(Mojo Star)だ。モジョスターは2着に3回入ったことのある未勝利馬だが、現役の未勝利馬の中で圧倒的な強さを誇る。その1馬身差で3着に入ったハリケーンレーン(Hurricane Lane)もアップルビー厩舎の所属馬であり、勝馬と同様、カービー騎手がニューマーケット近郊にある自身のヴィカリッジファーム(Vicarage Farm)で馴致した馬である。
カービー騎手は「まったくクレイジーですよ。罰があたります」と語った。
その言葉に悪意はなく、ただこんなことが起きてしまって信じられないという意味が込められていたが、それも当然のことだろう。彼の騎乗馬は極めてゴージャスだが、アップルビー厩舎の3番目の候補だった。それまでの成績は4戦1勝で、2つのトライアル競走で素晴らしいパフォーマンスを見せたが、まだ経験の浅いキャリアにおいてダービーは最大の挑戦となった。勝つ可能性は低いと思われていた。
アップルビー調教師でさえもそう思っていたようで、ロイヤルアスコット開催までこの馬を厩舎にとどめようと考えていた。というのも、本来英セントレジャーS(G1)に向いていると思われるアダイヤーにとってはクイーンズヴァーズ(G2)のいっそう厳しいスタミナ勝負のほうが有利だと判断していたからだ。しかしモハメド殿下はアップルビー調教師を説得した。この牡駒のオッズが41倍から17倍に下がったのは、馬券購入者が馬主の前向きな姿勢に共感したからだろう。
ロイヤルアスコット開催を待っていたとすれば、アダイヤーは父の足跡をたどることになっていただろう。サー・ヘンリー・セシル調教師は10年前、多くの人々にフランケルをダービーに出走させるよう勧められた。彼はそうするのは間違っていると感じて別の道を選んだ。そしてついにフランケルは今、息子アダイヤーが新たなスーパースターとなったおかげでダービー優勝を果たしたのである。
アダイヤーは10頭のライバルたちよりもはるかに優れていることを自ら証明した。残り3ハロン(約600m)を切ったとき、カービー騎手は騎乗馬を勇敢に導いてギアーアップ(Gear Up)と内ラチのあいだに入り込もうとし、アダイヤーは見事にそれに応えた。その瞬間から、ダービーを勝つ馬は1頭だけになった。最も勝ち目があるとされていたボリショイバレエは7着までだった。
英国クラシック初優勝の栄光を手にしたカービー騎手はこう語った。「内ラチ沿いには十分なスペースがありました。そこに入り込むか否か迷っていて、決断しなければならないと思い、入り込みました。幸いなことに、馬には勇気があって隙間を通り抜け、決勝線まで疾走していきました。一生忘れられない日になるでしょう」。
また、週半ばにカービー騎手に急展開があったからこそ輝かしい結果がもたらされた日でもあった。
カービー騎手はこう告白した。「今だからこそ言えることがですが、ジョンリーパーの騎乗依頼をもらったときは興奮しましたね。その5分後にチャーリーから電話があって、この馬に乗ってくれと言われました。"申し訳ないですが、たった今ジョンリーパーに乗る約束してしまいました"と言いました。私は約束を守る男であり、ジョンリーパーに乗ることを決めていたのです」。
「しかしジョンリーパーに乗れなくなったことで、とてもいい結果になりました。乗れなくなると分かってから1時間は、誰も私のそばに寄りたくなかったでしょうが、立ち直ることができました。幸運にもわりとすぐにチャーリーと話したのです。彼は他の騎手を予約していて、それはリーディングジョッキーでした。しかし親切にも私をその馬に乗せてくれました。まったくチャーリーのおかげです。偉大な調教師、人物、父親であり、感謝してもしきれません」。
カービー騎手は恩を感じている。騎手仲間も喜び、検量室を出てエプソムの神聖なウィナーズサークルに入る彼に拍手を送った。
2018年にマサーを手掛けてダービーを制したアップルビー調教師はこう語った。「アダムはチームにとって重要な存在で、私が調教師生活を始めたときからずっと一緒にやってきました。オイシンにもお礼を言わなければなりません。とてもプロフェッショナルでした。彼は電話を取るなり『チャーリー、君が何を言おうとしているか分かっているよ』と言いました。オイシンには大いに感謝しなければなりません。真のスポーツマンです」。
アップルビー調教師は賞賛を並び立てる一方で、ボスにも大きな賛辞を送った。
「私はアダイヤーをどちらかというとステイヤーだと考えていました。ありがたいことに、モハメド殿下は『いや、チャーリー、ダービーは1回しかないのだから、彼をダービーに出走させるべきだ』と私の誤りを正してくれました」。
結果的にアダイヤーはダービー馬となった。アダム・カービーもダービージョッキーである。
カービー騎手はこう語った。
「私は何に対しても感情が高ぶることはないのですが、これには本当に興奮しましたね。子どもたちが見ていてくれているといいのですが。皆が彼らの父親のことをオールウェザージョッキーと呼んでいます。しかしオールウェザージョッキーではありません。オールウェザーで騎乗し、オールウェザーで馬にチャンスをもたらすから、オールウェザーが得意なのです。これほどのビッグレースは参加しないかぎり勝てません。だからこのような騎乗機会を手に入れて勝つことは素晴らしいことなのです。平凡なジョッキーであっても一流馬に乗ることができて、重大な日にそのチャンスを得ることができるのは最高です」。
平凡なジョッキーでも、オールウェザーのジョッキーでもない。カービー騎手は、最もありえないが型破りな状況で、ダービーを制したジョッキーなのである。
By Lee Mottershead
[Racing Post 2021年6月5日「'It's mad, it's crazy' - Adam Kirby revels in breakthrough Classic on Adayar」]