ヒルズ調教師、引退した"生涯の名馬"バターシュに感動的な賛辞(イギリス)[その他]
これまで英国で調教された平地競走馬の中で最も偉大なせん馬といえるバターシュに敬意を表し、感きわまったチャーリー・ヒルズ調教師は涙をこらえながら、"この馬は私の生涯の名馬です"と述べた。
ヒルズ調教師が偉大なトレーナーの父バリーから調教師免許を引き継いだのは10年前になる。同調教師はそれ以来、クラシック競走を2勝し、崇高なスプリンターであるムハラーでG1・4連勝を達成するという前代未聞の快挙を成し遂げた。しかしそのあいだ、ヒルズ調教師の拠点であるファリドンプレイス(Faringdon Place)のどの馬も、25戦する中で人気を築いてきたバターシュに匹敵するまでには至らならなかった。バターシュ(7歳)はキングジョージS(G2 7月30日)を期待に沿えぬパフォーマンスで終えた翌朝、その競走生活を終えた。
この引退の決定は、3月に逝去した当初の馬主ハムダン殿下の息女、ヒッサ王女によって下された。ヒルズ調教師の末っ子エディは涙を流し、父親も時折涙をこらえていた。この引き締まったダークエンジェル産駒が、その華麗なキャリアで成し遂げたことを考えれば、実にもっともなことである。同馬はG1・4勝(ナンソープS・2勝、キングズスタンド1勝、アベイドロンシャン賞1勝)を含む13勝を挙げ、賞金177万4,180ポンド(約2億7,500万円)を獲得した。
バターシュは2019年ナンソープSで偉大なデイジュールが29年間保持したコースレコードを更新したときなど、自己ベストのレーシングポストレーティング(RPR)129を2回達成した。2019年には、スプリンターとしての世界最高レーティングも達成した。
ヒルズ調教師は、「素晴らしい道のりで、とてつもない道のりでもありました」と述べ、こう続けた。
「彼はここにいた6年間、絶好調でした。25戦して4着内に入らなかったのはわずか3回だけでした。最高のキャリアを過ごしました。この週末は感無量でした」。
「3歳のときのアベイドロンシャン賞での優勝がおそらく一番のハイライトでしょう。あれはかなり特別な勝利でしたが、ナンソープS連覇やキングズスタンド(ロイヤルアスコット開催)での勝利も言うまでもなくすごかったですね。キングズスタンドでは2年連続で負けてから優勝したわけですから、決定的瞬間でした」。
「彼のように長く活躍してくれる馬がいたことは素晴らしいことでした。私たちの厩舎では多くの馬が3歳あるいは4歳シーズンの終わりに引退してしまうので、このような馬はめったにいません」。
「彼はここに長くいたことで、厩舎のみんなや私の家族、つまり妻のフィリッパ、息子のジェームズとエディととても親しくなりました。つらいことになりそうです。彼は生涯の名馬ですからね」。
フィリッパ夫人はバターシュについて続けてこう語った。「今朝、エディにバターシュの引退を伝えたとき、彼は泣いていましたね。この馬は家族の一員になっていました。本当にそうなのです。私たちは彼に毎日会っていて、それは平地競走馬では通常ありえないことです」。
バターシュはその競走生活の大半において、ヒルズ厩舎の大黒柱だった厩務員ボブ・グレース氏により世話されていた。2歳時にせん馬にされたことは生産界にとって打撃であったが、それは必要なことだった。
バターシュは成長して扱いやすい馬になっていった。ヒルズ調教師はこう続けた。「競走生活の序盤は、頻繁にばかげた行為をして、ちょっとした語り草になっています。しかしファリドンプレイスで調教を積むうちに、真の競走馬になりました。彼は調教と日課を楽しみ、他の馬といるときは競争心を募らせていましたが、自分の仕事をよく理解していました」。
ヒッサ王女もこのロケットのようなスプリンターの今後の幸せを祈り、ツイッターにこう投稿した。「バターシュの世話と調教に携わった全ての人々に感謝したいと思います。彼らはこの馬が競走生活を最初から最後まで健やかで幸せに過ごせるようにしてくれました。ありがとう、バターシュ。私たちはあなたを愛しています。緑の中で太陽を浴びて幸せな引退生活を過ごせることを願っています」。
ジム・クロウリー騎手はバターシュと最も多くコンビを組んだ。一方、シャドウェルの第二騎手であるデーン・オニール騎手は、調教の際には欠かせない存在だった。
クロウリー騎手はこう語った。「少し悲しいですね。彼は素晴らしい馬です。一緒に輝かしい日々を過ごしました。きっと幸せな引退生活を送ることでしょう。いなくなると、とても寂しくなりますね。彼に騎乗するのはどこか特別なことでした。いつも気分が高揚しました。ナンソープSで勝ってデイジュールのコースレコードを塗り替えた日は、騎手生活の中でも最高の日のひとつでした」。
By James Burn
(1ポンド=約155円)