1996年BCカップ優勝馬アルファベットスープが31歳で死亡(アメリカ)[その他]
重賞勝利を何度も達成し1996年BCクラシック(G1)を制覇したアルファベットスープ(31歳)は1月28日、2015年から繋養されている引退馬施設オールドフレンズ(ケンタッキー州ジョージタウン)で安楽死措置を取られた。死因は慢性腎臓病だった。
芦毛の牡馬アルファベットスープ(父コジーン)は最高齢のBCクラシック優勝馬だった。
ペンシルべニア州産のアルファベットスープ(母イリテレイト 母父アーツアンドレターズ)はジョージア・B・リダー氏により所有された遅咲きの馬で、4歳で初めてステークス競走を制した。1995年にネイティヴダイヴァーH(G3)とバドワイザーブリーダーズカップH(G2)で勝利を挙げたのだ。
1996年にはサンアントニオH(G2)、パットオブライエンH(G3)、サンパスカルH(G2)で優勝した。そして、1996年BCクラシックで"無敵"のシガーとその年のプリークネスS(G1)優勝馬ルイキャトーズを撃退し、舞台となったウッドバインで新たなコースㇾコートを打ち立てる大勝利を達成した。
アルファベットスープを手掛けたのはデヴィッド・ホフマンス調教師である。
本誌(ブラッドホース誌)の記事において、同調教師はBCクラシックの前のパドックから立ち去る際に、「彼がレース後半のどこかで、ある馬と体を併せてくれればと思っているのです。小柄な彼は絶対に前進気勢を発揮してくれるでしょう」と語っていた。
ホフマンス調教師はBCクラシックのリプレイを見てその粘り強さに驚嘆し、「彼を見てください。見事に耳を後ろに倒して歯を食いしばった、あの表情を見てください」と言った。
アルファベットスープはリダーサラブレッドステーブルの名義で競走を続けていたが、最後のレースだけはリダー氏とフランク・ストロナック氏の名義で走った。そのレースは1997年サンアントニオH(G2 サンタアニタパーク)であり、同馬はジェントルメンの2着となった。
通算成績24戦10勝、獲得賞金290万ドル(約3億3,350万円)以上で引退し、1998年からアデナスプリングスで供用された。そしてエッグドロップやアルファベットキッシーズのようなG1馬、アワーニューリクルートやファントムライトのような優良馬、ソブリン賞受賞馬アルファベッターなど多くのステークス勝馬を送り出した。
アルファベットスープをBCクラシックで勝利に導いた殿堂入りジョッキー、クリス・マッキャロン氏はこう語った。「アルファベットスープが死んだというニュースを聞いて悲しく思っています。"スーピー"との関係を心から楽しみました。彼はいつまでも私の心の特別な位置を占めることでしょう。BCクラシックでシガーやルイキャトーズを破ったとき、米国を代表する馬になりました。旧友よ、安らかに」。
オールドフレンズの創設者兼会長のマイケル・ブローウェン氏はこう語った。「"スープ"がいなくなってしまったら、ここは以前と同じ場所ではなくなるでしょう。この7年間、彼はその優しい性格と絶大な人気で周囲を楽しませてくれました。みんなに喜びをもたらしてくれたのです」。
「彼の親友、ロバのゴージャスジョージは彼がいなくなってとても寂しい思いをするでしょう。それはこの牧場の誰にとっても同じことです。この素晴らしいチャンピオンをここで繋養する特権を与えてくださったフランク・ストロナック氏とアデナスプリングスの皆さんに心から感謝します」。
By BloodHorse Staff
(1ドル=約115円)
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[bloodhorse.com 2022年1月28日「Breeders' Cup Classic Winner Alphabet Soup Dies at 31」]