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2022年02月03日  - No.4 - 4

アーリントン競馬場の最盛期を築いたダチョソワ氏が100歳で死去(アメリカ)[その他]


 ルカ・クマーニ元調教師は、100歳で死去した競馬場と競走馬のオーナー、リチャード・ダチョソワ氏の人生と貢献を称えた。

 ダチョソワ氏はアーリントンパーク競馬場を有名にした立役者であり、1991年サセックスS(G1)勝馬セカンドセットなど、ニューマーケットのクマーニ氏と協力して数頭のトップパフォーマーを所有した馬主だった。

  "ミスターD"の名で親しまれたダチョソワ氏はその波乱万丈の人生で多くの役割を果たした。1921年にシカゴで生まれ、20歳で陸軍に入隊し、第2次世界大戦では英雄として勲章を受けた。負傷して死亡したかと思われていたが、戦車駆逐大隊の司令官として戦線に復帰したのである。

 名高いジョージ・S・パットン将軍のもとで欧州戦線に5回参加し、その貢献によりパープルハート勲章とブロンズスター勲章を授与された。また、フランス政府からはレジオンドヌール勲章を授与された。

 同氏は4人の子どもをもうけ、自動車製造業に携わった。1980年にビヴァリー夫人ががんで亡くなった後は、慈善家として知られるようになった。アーリントン競馬場のビヴァリーDステークスは彼女に敬意を表して名づけられたものだ。

 2番目の妻であるジュディ夫人を残して逝ったダチョソワ氏が競馬界に残したレガシーは、アーリントン競馬場を買収してから2年後の1985年に見舞われた漏電による火災に負うところが大きいだろう。

 ダチョソワ氏はこの火災被害に挫けることなく、間近に迫っていたこの競馬場の象徴的なレース、アーリントンミリオン(G1)を開催すべきだと主張した。このときの再建の結果、イリノイ州のこの競馬場は2002年にブリーダーズカップ開催を迎えることになるほどの世界クラスの競馬場になったのである。

 2019年に「競馬界の重鎮」として競馬の殿堂入りを果たしたダチョソワ氏は、1991年のサセックスS(グロリアスグッドウッド開催)を制したセカンドセットなど英国での所有馬をクマーニ氏に預けていた。

 米国ではダチョソワ氏はG1競走を1つしか優勝しておらず、それは2010年にエクレールドリュヌで制したビヴァリーDステークスである。

 ダチョソワ氏とパートナーたちは2000年、アーリントン競馬場をチャーチルダウンズ競馬場の親会社であるチャーチルダウンズ社(CDI)に売却した。同氏はCDIの理事となったが、2019年に97歳で理事会から退いた。2021年9月、ダチョソワ氏の100歳の誕生日の2週間前に、アーリントンは最後となる競馬開催を実施した。その後売却されたアーリントンは、NFLのスタジアムとして再開発されるようだ。

 クマーニ元調教師はこう語った。「彼に初めて会ったのは、1983年にトロメオでアーリントンに遠征したときです。まだ競馬場が焼失する前でした」。

 「さらに3~4回遠征したあと、彼は所有馬を私のもとに預託してくれました。1987年にプリンセスオブウェールズ(G2)を制したセレスティアルストームが最初に預かった優良馬です。その後も何頭か素晴らしい馬を送ってくれました」。

 「彼は感じが良くて、とても熱心でした。毎年1歳馬を2~3頭購買し、セレスティアルストーム、スタトブレスト、セカンドセット、オーソーメローという牝馬、ファイアザグルームで大成功を収めました」。

 「彼が軍歴について話すことはなかったですね。その頃はインターネットなどありませんでしたから、自分で調べるしかなく、あまり多くは知りませんでした。彼を知っている人たちから、戦争中はとてつもなくすごい男で偉大なことをしたと聞きました」。

 その輝かしいキャリアにおいて英ダービー2勝を達成したクマーニ氏は現在調教生活から引退している。同氏はこう続けた。「彼はアーリントンのために信じられないほど素晴らしいことをしました。トロメオを連れて遠征したとき、スタンドはただのコンクリートの塊でした。その後、彼が再建してからふたたび遠征してみると、とても心地よい環境になっていました。競馬ファンや競馬参加者のためにすべてが美しく整えられていて、彼はそれをとても誇りにしていました。これまで行った中で、最も魅力的で一流の競馬場の1つです。あそこに行くのは楽しみでした」。

 「彼は多くの事業を行っていましたが、アーリントンを手に入れるとそれに専念し、毎日通っていましたね。そして情熱をもって取り組み、競馬を国際的なチャンスととらえていました」。

 「彼の死はとても悲しいことですが、長くて素晴らしい人生を全うされました」。

 ダチョソワ氏の競馬界への貢献は、エクリプス賞が3回(1985年と1989年に特別賞、2003年に功労賞)贈られ、1988年にダービー卿賞(英国)とソブリン賞(カナダ)の特別賞が贈られたことで認められた。

By James Burn

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