デットーリ騎手の引退は本人の意に反したものではなかろうか?(イギリス)[その他]
いかにも、フランキー・デットーリは9月16日(土)にドンカスター競馬場で現役最後の英国クラシック競走にアレストで挑んだものの2着に終わり、ハッピーエンドとはならなかった。しかし本当にそうだったのだろうか?
引退について聞かれるとき、デットーリの身ぶりは毎回違う。"今にも引退を先延ばしせんばかり"の笑顔を見せることもあれば、表向きの説明どおりに事を進めるのを喜んでいることもある。しかしこの数週間で彼は新たなバージョンを思いつき、ドンカスター競馬場でそれを披露した。
8月のイボア開催(ヨーク)で勝利を挙げたデットーリは、適切なオファーがあれば引退を考え直すかもしれないと述べていた。そして9月16日(土)にそれを繰り返し、「ビッグな、とてつもなくビッグなオファーでないといけないですよ!」と言ったのだ。
軽い冗談だったのかもしれないが、どうしてもデットーリが関係者に対して"捕まえに来てほしい"と懇願しているようにしか聞こえない。彼は続けたくてうずうずしているようだ。しかし適切な状況であればの話である。
どのような状況に置かれても引退の決意を覆そうとしないのは、ほぼ間違いなく10年前の苦い経験が根底にあるからだ。薬物の陽性反応が出て6ヵ月間の騎乗停止処分を受けたあと、誰にも相手にされなかったのだ。冷淡に扱われ、サルデーニャの暖かな日差しの中で育った男にとっては最悪の状況だった。
もうずいぶん前のことになるので、デットーリが経験したことを思い起こすことはためになる。彼にとって2012年は苦難の年だった。ゴドルフィンとの18年間にわたる素晴らしい協力関係を謳歌していたのに、マームード・アル・ザルーニ調教師によって締め出されたのだ(この調教師はのちに悪名高きドーピング事件で失脚することになる)。深い屈辱を味わったデットーリは絶望のあまり薬物に走ったが、2013年5月に騎乗を再開したときには調教師たちの掌を返すような態度に実に驚愕した。
復帰後12回騎乗してやっと最初の1勝を挙げることができ、"年末までにあと99勝したいですね"と彼は言った。最終的にはたったの16勝。勝率は8%。36年間のキャリアにおいて一桁にまで落ち込んだのはこのときだけだった。特定の馬主と契約を結ばない調教師の格下馬に乗っていたのだ。およそ達成できる見込みのない目標だった。
2015年の初めにジョン・ゴスデン調教師とふたたび協力関係を結んでやっと、将来の見通しが開けた。1年半にわたって孤立して、それまで直面することのなかった痛ましい真実を知ったのだ。フリーのジョッキーが一流厩舎の一流馬に騎乗できる可能性はかなり低いということだ。
それは今でも変わらない。ほんの一握りの契約騎手を除いて、騎手は調教師と協力関係を結び、午前中は彼らのために調教で騎乗する。その代わり、午後はレースで彼らの馬に乗れる。そうでなければ"すっからかん"である。アンドレア・アッゼニ騎手は香港に移籍した理由のひとつにこのことを挙げている。モハメド・オバイド殿下との契約が期限切れとなったのだ。
デットーリも今年末にはそのような境遇となる。天才的な騎乗をしても組織の後ろ盾がなければほとんど無力であることを彼は知っている。そんな状態を外から覗き見るような経験をしたのだから、ふたたびそれを容認するわけがない。
それゆえ"大金(big money)"などという言葉を巧みに用いているのだが、本当のところは"いい馬を定期的に供給してほしい"と言いたいのである。形だけやっているふりをするつもりはない。速いマシンに乗りもしないでポスターに収まるだけのF1ドライバーにはなりたくないのだ。
現状ではデットーリが魔法を失ったと考える人はいないだろう。まったく逆で、これまで以上によく乗れている。しかし現実の状況は彼を引退へ追い込んでいる。おそらく彼の意に反してである。
昨年の今頃、デットーリ&ゴスデンのコンビは緊張状態にあった。夏の数週間、デットーリが厩舎の主戦ジョッキーの座から降ろされたことで、このコンビはぎりぎりのところで破綻を免れたのだ。双方のあいだに緊張が走った。セイディ・ゴスデンが調教師として父と一緒に働くようになったことで、クレアヘイヴン調教場は起用するジョッキーに関して将来を見据えるようになったようだ。あと1年というのが納得のいく妥協点のように思えた。
その時は刻一刻と迫っている。デットーリには良い騎乗馬が約束されることと、それとは別に彼を忙しくさせるような日常的に乗れる馬のプールが必要なのだ。それを提供してくれそうな数少ない組織の1つはジャドモントファームである。デットーリは5月にジャドモントのカルディーンに騎乗して英2000ギニー(G1)を制している。しかし今のところ、まだ何の動きもないようだ。
状況は変わるかもしれない。ゴスデン厩舎が"もう1年デットーリと一緒に取り組んでも大丈夫"と思うかもしれない。ひょっとするとデットーリがカリフォルニア州のボブ・バファート厩舎に馬を預けている米国を拠点とする馬主と契約するかもしれない。しかし期限までに移籍合意が成立しなければ、デットーリには選択の余地がなく馬をおりて地に足をつけるしかない。考えてみれば悲しい事態である。デットーリほどの強運の持ち主にとっても現実はこうなのである。
By Julian Muscat
(関連記事)海外競馬ニュース 2022年No.48「デットーリ騎手、2023年末の引退を発表(イギリス)」
[Racing Post 2023年9月18日「Is Frankie Dettori being driven into retirement against his will?」]