現役引退後も大活躍したパピノーが24歳で死亡(イギリス)[生産]
ゴールドカップ(G1)優勝馬で、現役引退後もゴドルフィンとともにそれに勝るとも劣らぬ功績を収めたパピノーが24歳で死んだ。
同馬は、故ピーター・ウィンフィールド氏が生産したセントレジャー(G1)勝馬シルヴァーペイトリアークの半弟で、当歳時、2000年タタソールズセールにおいて85,000ギニー(約1, 651万円)で購入され、ゴドルフィンの管理下に入った。
このシングスピール産駒は、3歳時にアンドレ・ファーブル調教師の管理下でフランスのリステッドレースを制した後、4歳時にサイード・ビン・スルール厩舎へ移籍した。2004年のヘンリー2世S(G2)を制し、次走ロイヤルアスコット競馬場のゴールドカップで、ウエスタナー、ブライアンボル、ミスターディノスなどの強豪を破った。
2005年に9戦5勝で競走馬を引退したパピノーは、ゴドルフィンのライフタイムケアプログラムに入り、再調教された後は「馬場馬術」と「引退競走馬の乗用馬コンテスト(Racehorse to Riding Horse show class)」の双方に参加した。2016年には、ニューマーケットのハミルトンヒルにあるゴドルフィンのプレトレーニング施設に移り、毎朝1歳馬を先導する役割を果たした。
そしてパピノーは多忙な日々を過ごした。ニューマーケットのオープンウィークエンドに出場したり、再調教引退競走馬パレードに参加したり、引退競走馬の再調教を行う慈善団体オードゥラデピスト(Au-Dela des Pistes:ADDP)での展示に参加するため2度にわたりフランス・ドーヴィルを訪れたりした。パピノーはまた、ゴドルフィン、ニューマーケットアカデミー、教育慈善団体レーシング・トゥ・スクール(Racing to School)の3団体が共同事業として行うゴドルフィン・ビーコン・プロジェクトの一環で学校をしばしば訪問した。
ウッディットンスタッドに移った後は、牧場厩務員であるジェラルディン・ジョーンズ氏とその娘ミーガン氏の世話を受け、ホースセラピーという新たな役割を見出した。
同馬はニューマーケット病院やイースト・アングリア小児ホスピスを訪れ、その優しく直感的に物事を理解できる性格により、患者やその家族に大きな喜びと安堵を与えた。
先月、パピノーは、競走馬の再調教(Retraining of Racehorses : RoR)のコミュニティ・インパクト賞の最終選考に残った。同馬はつい最近、心臓に問題があると診断されたばかりで、安楽死の措置が取られたが、それ以外は健康そのものであった。
「パピノーを調教するのはとても楽しかったです。アスコット競馬場でゴールドカップを制覇した日は、本当に特別な日でした。競走馬引退後の彼の功績は、チーム全体が本当に誇りに思うべきものです。」と、ビン・スルール調教師は語った。
「パピノーは、現役引退後も、キャリアを通じてそうであったように、競馬界だけでなくその他の場所においても、周りの人のために頑張る馬でした。彼はとても愛されていたので、いなくなると実に寂しいです。」と、ゴドルフィンの牧場・種牡馬・生産担当ディレクターであるリアム・オルーク氏は語った。
By Tom Peacock
(1ポンド=約165円)
[Racing Post 2024年2月2日「'He did even more for others in his retirement as he did throughout his career' - death of Gold Cup winner Papineau at 24」]