順風満帆ではないゴドルフィン(ドバイ 後編)【その他】
欧州における成績が近年振るわずしばしば陰口の対象になった。そして、ベテランのオブザーバーからもゴドルフィンが春にはスランプに陥ると予測されるに至った。ラモンティ(Ramonti)とブルーバンティング(Blue Bunting)は過去2〜3年間高評価を得ていたとしても、過去9年間のうち6年は、英国においてG1競走での勝利は2勝以下であった。このことはモハメド殿下の夢のシナリオではなかったことだろう。
推論は明らかであり、大量に馬を所有することによって質が希薄化したのである。ゴドルフィンの台帳におけるプラス面は、過去8年のうち7年で100勝を達成したことであり、2009年と2010年には200勝の大台を達成した。しかし、比類のない管理水準と細部にわたる注意は少しも低下しなかったが、一方で、頭数増加に伴って平均的な能力レベルが低下するのはやむをえないことであった。かつてゴドルフィンが馬をハンデ戦に出走させることは珍しかったが、今やありふれている。管理馬の数に応じてその一定の割合の頭数は好走しないことを意味している。
過去には、非常に能力のある2歳馬のみがゴドルフィンの厩舎に在籍していた。しかし今では逆に、ゴドルフィンの手放した馬が欧州とドバイの他の調教師に再分配されている。とりわけファーブル調教師とジョンストン調教師は、トップレベルの馬を作り出してビン・スルール調教師とアル・ザルーニ調教師に提供しており、馬の移動は双方向となっている。クリスフォード氏は、「優良馬をゴドルフィンの旗の下で所有するという目標は同じです」と述べた。
しかしゴドルフィンが自身の厩舎で2歳馬を調教し始めて以来、G1馬が十分に生み出されていないという事実に変わりはない。所有馬の頭数と数百万ドルの出費にも拘わらず、どのクラスにおいても十分なG1馬に育っていない。以前の他から調達された有力馬に代わるドバイ育ちのスター馬はまだ育っていない。
同じく、勝馬を得ることでかつて名声を得た厩舎にとって、競馬場において、出走馬のうち大きな割合を占める誉れ高い勝負服が不振なのを見るのは気分の良いものではない。ゴドルフィンが一人前に仕上げる時間の必要な若馬を担当するチームを設置した結果として、そのようなシナリオの起こる可能性が高いことをこのことは示している。
ゴドルフィンにとって最もありがたくない比較は、競馬界の手堅い勢力でより商業志向があり、古くからのライバル、クールモア牧場を運営しているバリードイル勢とのものである。2000年からエイダン・オブライエン(Aidan O’Brien)調教師は、英国のクラシック競走でゴドルフィンの5勝に対して14勝を挙げており、今年のニューマーケットのクラシック競走において勢力の移行が裏付けられた。バリードイル勢は英1000ギニー競走でのワンツーフィニッシュを含めて両ギニー競走を制している[英2000ギニーをキャメロット(Camelot)で、英1000ギニーをホームカミングクイーン(Homecoming Queen)で制した]。一方ゴドルフィンは、高額馬2頭が17頭立ての英1000ギニーにおいて16着と17着で、英2000ギニーにおいては出走馬もなかった。
この明らかな衰退にはおそらく多くの要因がある。それは、馬の質の希薄化のほか、年初めのドバイカーニバルや極東の国際チャンピオンシップなど魅力的な競走があるため、ゴドルフィンの目指す活動の中心が欧州のシーズン序盤のクラシック競走から移行したことなどである。
モハメド殿下の豊富な所有馬すべてに影響している別の要因は、マクツーム一族がクールモア牧場に対してすべての活動をボイコットしているため、ゴドルフィンが何もできないでいることである。その一例としてゴドルフィンはスター馬の並ぶクールモア種牡馬名簿にアクセスできていない。バリードイル勢が地球上の最高馬を創る楽しみを味わっているときに、ゴドルフィンはダーレーの自家生産馬とセリでの高額馬購買に主として依存している。欧州のケープクロス(Cape Cross)やドバヴィ(Dubawi)、米国のストリートクライ(Street Cry)やメダグリアドーロ(Medaglia D’Oro)やバーナーディニ(Bernardini)のような種牡馬によって、最近のシーズンには明らかな上昇機運があったが、ダーレーはクールモアに匹敵する位置にはない。
ダーレーがクールモア牧場との差を縮めることができれば、あるいはモハメド殿下とマグニア氏の間で親交関係が築かれれば、ゴドルフィンはおそらく利益を受けられるだろう。
ゴドルフィンの活動の中心が世界規模のままである一方で、優勝できていない海外のレースがまだ多くある。BCクラシック(G1)とメルボルンカップ(G1)が優勝まであと一歩で、ケンタッキーダービー(G1)へのチャレンジはけっして想像を掻き立てるものではなく、ジャパンカップ(G1)でも異彩を放つことはなかった。モハメド殿下には生来冒険好きの本能とあらゆることを楽しみたいという欲望があるが、これまで、南米や南アのような国際G1はあるもののあまり馴染みのない場所に向ってはいない。このうち南アでは問題のある検疫ルールが国際競走への道を閉ざしているという事情もあるが。
いろいろな意見はあるものの、ゴドルフィンは競馬の世界を大いにエキサイティングなものにした。今後数十年において、私たちは彼らの偉業を振り返り驚嘆するだろう、したがって、彼らは非難されるよりもむしろ称賛されるに値する。
しかし将来がどのようなものになろうとも、彼らは成績を向上させるためにあらゆる手を尽くすだろう。クリスフォード氏は、「私たちはゴドルフィンが設定した目標のすべてをまだ達成しておらず、それを実行するための最善の方法をつねに模索しています。モハメド殿下のために働けば、いつも思いもよらないことが期待できます。絶え間ない変化があり、将来はもっと多くの変化があるでしょう」と語った。
一つ確かなことは、ゴドルフィンは現状に留まらないということである。それがまさにモハメド殿下のやり方であり、現状に自己満足することはなく、ゴドルフィンもまたそうである。
By Nicholas Godfrey
競馬界の素晴らしい同盟はどのようにして終わりを迎えたか
エビ茶と白の勝負服の華やかな時代を特徴づける関係があるとすれば、それはモハメド殿下と最も著名なサー・ヘンリー・セシル(Sir Henry Cecil)調教師との関係である。
彼らは、全てを飲み込む大波のように14年間のG1戦線を一変させ、数々のG1勝利を果たし、後から来る人々を圧倒した。
あのずば抜けたスティーブ・コーセン(Steve Cauthen)騎手が騎乗したオーソーシャープ(Oh So Sharp)、ディミニュエンド(Diminuendo)、インディアンスキマー(Indian Skimmer)、ベルメッツ(Belmez)およびオールドヴィック(Old Vic)のような優良馬によって、全盛期にはセシル調教師の拠点ニューマーケットのウォレン広場にゴドルフィンの旗が掲げられていたが、1995年秋にその波はモハメド殿下の防波堤と衝突することになり、同殿下は英国で最も人気のあるセシル調教師から40頭の馬を引き上げた。
これについての意見は山のようにあった。この決裂はセシル調教師とその2番目の妻ナタリーとの関係に原因があると非難する者もいたが、モハメド殿下のドバイでの駆け出し事業のために、英国の調教場からますます馬が引き抜かれるようになり、この2人の男の完全一体の同盟関係がしばらく途切れるようになったというのが本当のところである。このやり方は最優秀調教師に10回輝いたセシル調教師には受け入れられないものだった。
セシル調教師側からの薄いベールに包まれた不満が、直接馬と関わる手法とドバイの民からの疑う余地のない誠実さに慣れていたモハメド殿下の心に食い込んだ。同殿下は数ヵ月後、「セシル調教師は私の方法を受け入れず、私も彼の方法に妥協しようとは思いません。したがって、私は関係を絶つほうが良いと判断しました」と説明した。
セシル調教師は、「モハメド殿下はドバイを優先し、私は家族、スタッフ、他の馬主、そしてこれまで通りできる限り多くのレースを勝つことを優先しています」と語った。
独自路線を貫くセシル調教師は、モハメド殿下が選択したジョン・ゴスデン調教師、アンドレ・ファーブル調教師、デヴィッド・ローダー調教師よりもすでに下位に落ちてしまっていた。(この新しい調教師はおそらく、ビジネスプランの一環としてトップクラス2歳馬をゴドルフィンに提供するのを受け入れたが、セシル調教師は、クラシック競走を勝ったクラシッククリッシェイ(Classic Cliche)、ムーンシェル(Moonshell)およびヴェットーリ(Vettori)を最終的にむしろ自ら手放した。)
この不和の拡大は、2歳牡馬マークオブエスティーム(Mark Of Esteem)の出走計画に関して一般的に知られている双方の意見の相違によって引き起こされた。それは当初一頭の馬に関することとして始まったが、最後は忠誠心に対する疑問の問題となった。モハメド殿下は、「信頼が無くなればすべてが無くなります」と述べ、すぐに馬をセシル調教師の厩舎から引き上げさせた。
これは、以前偶像視されていたものの徐々に弱まっていたパートナーシップの劇的な終焉であり、英国競馬界では二度と再現されることはないだろう。
ゴドルフィンに関するデータ | |
勝馬頭数 | 1,963頭 |
おおよその現役馬頭数 | 350頭 |
年間最多勝馬頭数 | 202頭(2009年) |
G1競走勝馬頭数 | 185頭(うち62頭は英国G1勝馬) |
世界におけるクラシック競走勝馬頭数 | 55頭 |
G1勝利を挙げた国の数 | 12ヵ国 |
By Peter Thomas
[Racing Post 2012年5月24日「Pioneering force sailing into choppier waters」]