優良牝馬輩出で名高いジャドモントファーム(国際)【生産】
2歳牝馬に輝いたビホールダー(Beholder)をはじめ、ドリーミングオブジュリア(Dreaming of Julia)やミッドナイトラッキー(Midnight Lucky)などの5月3日のケンタッキーオークス(G1)を目指す3歳牝馬の層の厚さを考えると、ジャドモントファーム(Juddmonte Farms)のトルコブルー、ピンクおよび白の勝負服を背負った牝馬が見すごされてしまうことがあり得ようか?
カリド・アブドゥラ殿下(Khalid Abdullah)が創設し統率する巨大な国際競馬事業体ジャドモントファームは見事なトップクラスの出走馬、とりわけ一流牝馬を次々に量産しており、その35年の歴史を考察することは、非常識であるように思われるかもしれない。同牧場が現在所有するG1優勝牝馬には、スリープイージー(Sleep Easy)、スーパースタッフ(Super Staff)、トゥーソード(Toussaud)、ワンデスタ(Wandesta)、バンクスヒル(Banks Hill)、エモリエント(Emollient)、フルート(Flute)、ヒートヘイズ(Heat Haze)、オネストレディー(Honest Lady)、インターコンティネンタル(Intercontinental)、ライトジグ(Light Jig)、ミッデイ(Midday)、プロヴィーゾ(Proviso)、リアファン(Ryafan)、サイトシーク(Sightseek)、スパニッシュファーン(Spanish Fern)、テーツクリーク(Tates Creek)、ヴェンチュラ(Ventura)およびヤシュマク(Yashmak)がいる。
4月6日のガゼルS(G2)を優勝した3戦3勝のクローズハッチズ(Close Hatches)はこれまでのオークス馬たちに名を連ねようとしている。そして同牧場にとってさらに喜ばしいことに、クローズハッチズは同牧場の種牡馬ファーストディフェンス(First Defence)の初年度産駒であり、何世代にもわたって育てあげてきた牝系である。ビル・モット(Bill Mott)調教師とアブドゥラ殿下は、最近セントラルバンクアッシュランドS(G1)を制したもう1頭の有力3歳牝馬エモリエントを、5月17日にピムリコ競馬場で施行されるブラックアイドスーザンS(G2)に出走させることにした。ジャドモントファームが生産し所有したクラシック勝馬エンパイアメーカー(Empire Maker)の牝馬エモリエントは、ガルフストリームパーク競馬場で出走した翌週にセントラルバンクアッシュランドSに優勝したので、いずれは怖い存在になるだろう。
ジャドモントファームはここ数年、無敗馬フランケル(Frankel)の活躍で世界的な称賛の的となったように見えたが、間違いなく最強馬である同牧場のフランケルの名声は、もっぱら欧州の競馬場でのみ獲得されたものである。同牧場は米国での事業において中心的な存在だった調教師ボビー・フランケル(Bobby Frankel)氏が闘病の末亡くなった2009年から、北米での出走頭数を徐々に減らしている。1990年代前半にジャドモントファームの馬を管理していたモット調教師は現在同牧場の米国拠点馬の大部分を管理しており、一部の2歳馬は西海岸のボブ・バファート(Bob Baffert)調教師が管理している。北米で約60頭も出走させていた時期もあったが、その後13〜19頭まで減少した。現在18頭が現役で、残りの8頭はレキシントン郊外の立派なジャドモントファーム敷地(約100ha)内にある休養用の放牧地で繋養されている。そこでは馬の生産、育成、馴致、調教が行なわれている。
モット調教師は、「彼らは馬を生産し、その馬をビッグレースに出走させることに大きな誇りを持っています。最初から最後まで馬を育て上げることには非常に意味があり、まさにそれを行っています。私は挑戦し期待に応えることに責任感を持っています」と語った。
アブドゥラ殿下がセリで購買した基礎となる馬から立派な生産事業を行った結果、24ほどの優れた牝系を築き上げたことは注目に値する。これらの牝系は交互に優れた競走馬と繁殖牝馬を送り出している。ジャドモントファームは今日、牝馬の補充目的で2頭ほどの牝馬を購買するため、また獲得を望む牝系へのアクセスのためだけにセリに参加している。
現在70歳台半ばのアブドゥラ殿下はサウジアラビア王族の近親である。同殿下の英国競馬への愛は、ロンドンに家を借りて夏を過ごしていた若い時期に開花した。1977年に1歳馬を買い始め、2年後に初勝利を挙げた。1980年代にはノウンファクト(Known Fact)がヌレイエフ(Nureyev)の失格で英2000ギニーの1着に繰り上がり、初のクラシック勝利をもたらした。10年後にアブドゥラ殿下は、シーズンオフがなく年間を通じて芝競走に出走させる機会および欧州を上回る賞金をうまく活用するため実績のある馬を北米に送り始めた。
米国のクラシック競走に目を向け、アブドゥラ殿下はダート血統の牡馬を作るべく自身の生産事業を拡大した。その典型的な成功例は、1991年マーケトリー(Marquetry)のハリウッドゴールドカップ(G1)優勝、1994−1995年デルマー競馬場でのティナーズウェイ(Tinners Way)のパシフィッククラシック(G1)連覇、2000−2001年スキミング(Skimming)の同競走連覇である。またアプティテュード(Aptitude)はG1馬となり、2000年ケンタッキーダービーでは2着となった。そしてエンパイアメーカーは、2003年ベルモントS(G1)を優勝し、ジャドモントファームに初めて三冠レース勝利をもたらした。オネストレディーやサイトシークのような牝馬もダートで活躍し、フルートは2001年ケンタッキーオークスを制した。
芝馬生産とダート馬生産の境界線は、ジャドモントファームの生産馬が芝とダート双方で活躍することがあっても驚かないほど曖昧なものである。
同牧場の北米マネージャーであるガレット・オルーク(Garrett O’Rourke)氏は次のように語った。「生産というゲームは非常に難しいです。非常に多くの当て推量が関係します。本当に優れた調査結果をまとめたとしても、依然としていろいろな違いがあるので、はっきりと特定することは非常に困難です」。
「ミゼンマスト(Mizzen Mast)とともにケンタッキーで繋養しているファーストディフェンスは、父アンブライドルズソング(Unbridled’s Song)、母オネストレディーなので、欧州の芝競走に送る意味はありませんでした。ボビー・フランケル調教師に管理され、同馬はダートのG1を制しましたが、芝でG1を優勝するほどのレベルにはなかったでしょう。馬に最善の道を選ばなければならず、繁殖牝馬に種付を計画するときは最も相応しい種牡馬を選ばなければなりません。すべての決定は競走馬のポテンシャルを最大限に引き上げるためになされます」。
「それが、生産においても競走においても世界中を拠点とすることの利点です。欧州で十分に走る馬がいて、調教師が軽い馬場を好んでいると考えるのであれば、その馬を米国に連れてくることができます。その決断により、馬をビッグレースに勝たせる状況に置くことになります」。
ジャドモントファームの魅力と素晴らしさは、クローズハッチズの血統表を見ればたちまち明らかになる。この血統表は数世代にわたって素晴らしい競走馬を作り出していることから、ジャドモントファームの典型的なサクセスストーリーを表している。
クローズハッチズは、ジャドモントファームの重要な存在であるミルセック社(Millsec Ltd.)によって生産され、ライジングトルネード(Rising Tornado父ストームキャット)の初仔である。ライジングトルネードの3代前の母はベストインショー(Best in Show)であり、1982年ケンタッキーオークス馬ブラッシュウィズプライド(Blush With Pride)など4頭の重賞勝馬を送り出した。ベストインショーは1977年にサーアイバー(Sir Ivor)の牝馬モンロー(Monroe)を産んだ。このモンローはアイルランドのG3競走を制した3歳シーズン終了時にロバート・サングスター(Robert Sangster)氏からジャドモントファームが購買した馬である。その後モンローはザフォニック(Zafonic)産駒で欧州最優秀2歳牡馬となったザール(Xaar)を送り出し、再びザフォニックと交配されライジングトルネードの母となるシルバースター(Silver Star)を出産した。
オルーク氏は次のように語った。「血統は現れてはすぐに消えるものですが、この血統は最も驚異的なものの1つです。この血統がこれまで勢いを失った覚えはありません。G1勝馬を40年間送り出し続けることができるのは本当にわずかな血統だけですが、このベストインショーの牝系はその1つです。血統はダイナミックなものであり、私は毎年種付を検討するときに血統表を参考にします。私たちは20〜25の異なる牝系を有していますが、非常に存在感のあるものがいる一方、消滅しかかっているものもいます」。
クローズハッチズは、この系統を引き継いでいく有力な後継者です。昨年11月には疾病のため2歳デビューが不可能だったが、3歳の1月にガルフストリームパーク競馬場の7ハロン(約1400 m)の競走でデビューし、7馬身差で圧勝した。そして、同じコースで1700mのアローワンス競走を制し、その後ニューヨークに移動してアケダクト競馬場で光のような速さでガゼルS(G2)を優勝した。
モット調教師は次のように語った。「クローズハッチズは当初から途轍もない才能にあふれており、現時点までにすべてをこなしました。いずれ上級レースにステップアップするでしょうし、ケンタッキーオークスにチャレンジしない手はないでしょう。層が厚い3歳牝馬グループですが、どのレースへ向かおうとも優良馬の中で出走させるでしょう」。
オルーク氏は、クローズハッチズの牝系だけではなく父馬に対しても満足している。
「クローズハッチズは、ファーストディフェンスの初年度産駒として幸先の良いスタートを切りました。英国でG3競走を制したダンドネル(Dundonnell)は英2000ギニーを目指しています」。
ジャドモントファームは、ステークス競走を目指すファーストディフェンス産駒をこの他2頭所有しており、まもなく有力な2歳産駒も出て来るだろう。ファーストディフェンスは種付料7,500ドル(約75万円)で供用されている。
オルーク氏は、「経済不況の前であれば、勝利産駒を出せばすぐに種付けリストに、この種付料で200人もの生産者が名前を連ねていたでしょう。現在人々は慎重に選択するようになりました。これらの馬が未勝利競走を勝っているときには、私たちは数シーズンは種付の売り込みをする必要がありましたが、クローズハッチズがガゼルSを優勝した時に、電話が鳴りやみませんでした」。
クローズハッチズの成功がファーストディフェンスの種付予約をフルにし、ジャドモントファームはおよそ100頭の繁殖牝馬を集めた。
ロイヤルデルタ(Royal Delta)、ボードマイスター(Bodemeister)、インランジェリー(In Lingerie)、グレースホール(Grace Hall)などが頭角を現し始める前にエンパイアメーカーを日本に売却したジャドモントファームについてはいろんなことが言われた。この売却の事情は以下のようなことであろう。アンブライドルド(Unbridled)産駒で母がトゥーソード(Toussaud)のエンパイアメーカーは、種付けしたジャドモントファームの繁殖牝馬の価値を高めなかった。実際にエモリエントは、エンパイアメーカーのために数年にわたって最善の繁殖牝馬を生産し続けた後に、ジャドモントファームがやっと生産し所有した最初の重賞勝馬である。
オルーク氏は次のように語った。「エンパイアメーカーと交配した外部の繁殖牝馬は産駒から8%のステークス勝馬を送り出しましたが、私たちの所有する繁殖牝馬からは2%足らずで、どの産駒も重賞を勝つことはできませんでした。私は曖昧な状況に黒白をつける殿下の才能を非常に評価しています。繁殖牝馬の質を考えれば8〜12%のステークス勝馬を獲得するはずでした。しかし、この状況は繁殖牝馬の価値を引き下げました。トップに君臨し続けたいのであれば、ニューヨークヤンキースであってもバスケットのケンタッキー大学チームであっても、上手くいかないときは改革を行わなければなりません。ここで生まれ育った馬に思い入れを持つことは至極当然で、実際エンパイアメーカーを個人的に大好きでしたが、私は決断を尊重しました。そうして正解でした」。
東海岸での競馬を重視することが、ジャドモントファームにとって適切である。同牧場は独自の馴致および調教を行うだけでなく、休養馬も牧場に戻ってくる。西海岸で多くの馬を活動させるよりも、ずっと欧州に向けて遠征させやすい。
オルーク氏は次のように指摘した。「多忙な調教師から毎日のように情報を得ることは困難です。自分の目で馬を見ることができず、状況をつかむことができないとき、正しい決断をするのが数ヵ月間遅れる可能性があり、そのことが売却のタイミングを失わせることがあります」。
「すべてを牧場で始めることにより、私たちが何を持ち何を動かしているかを学ぶことができ、今後の交配を行う際に非常に貴重な情報となります。私たちはビル・モット調教師と組み、彼の考えを聞くこともできます。彼は獣医師と同様に馬体の健全性に関し専門的で、各馬の能力を見い出すことができます。したがって、私たちは何が馬を成長させ、何がスター馬になることの阻害になるかを見い出すことができます。さらに、種付計画にあたって何を改善し何を懸念すべきかを解からせてくれます」。
ジャドモントファームで働く主要な人たちの多くは勤続年数が長い。当初1歳馬担当マネージャーだったスコット・ウォーカー(Scott Walker)氏は、現在1歳馬の馴致と調教を行っている。パット・オフリン(Pat O'Flynn)氏は繁殖牝馬を管理している。スティーヴ・ドッツィー(Steve Dotsey)氏は年季の入ったケンタッキーのホースマンである。保全マネージャーのアンディ・パンゼラ(Andy Panzera)氏は、ジャドモントファームとなる前から働いていた。CFO(最高財務責任者)のジャッキー・スミス(Jackie Smith)氏も古参で、ジョン・チャンドラー(John Chandler)氏は北米事業の会長かつ主要アドバイザーである。
オルーク氏は次のように語った。「殿下は我々全員を個人的にも知っていて、事業に非常に大きな信頼と誇りを持っています。一緒にいて楽しい人々と取り組むときには、良い仕事ができます」。
2000年に入ってからレースでファンにスリルを味わわせていた牝馬の数頭は、今やジャドモントファームで熟年の繁殖牝馬となっている。2000年サンタモニカH(G1)などの重賞を4回制したオネストレディーは最も優れた繁殖牝馬となり、G1馬ファーストディフェンス、ステークス勝馬ファントムローズ(Phantom Rose)やオネストクオリティー(Honest Quality)を出産した。小柄のフルートは、小ぶりの仔を出していたので、それを改善するために、身長17ハンド(約172.7cm)のプレザントリーパーフェクト(Pleasantly Perfect)に交配させた。
オルーク氏は、「もしこれがうまく行ったら、私たちがクロスにより“何と鋭い措置を採ったのだろう”と書く人も出て来るでしょうが、繁殖牝馬に不満を感じている時にはあまり科学的ではない方法を取ることが良いと断言します。時には、大きな種牡馬を試してみるような単純なことをやるということです」と笑顔で語った。
「何か不調があるとき、殿下は違う結果を出すため、同じことは続けさせません。何か結果が引き出されるまで、それを変更しつづけます。ミゼンマストはそのような状況で生み出された馬です。同馬の母キネマ(Kinema)はがっかりするような馬で、私たちはミゼンマストの父コジーン(Cozzene)に行きつくまで多額の種付料を費やしました。落胆した時点で諦めることもできますが、18歳か19歳で良い馬を出す繁殖牝馬もいます」。
ステークス競走を10回制しているサイトシークはそこそこ才能のある仔を出してはいるものの、どの仔も自身のレベルまでには達していない。
ジャドモントファームの多くの繁殖牝馬は近年、ダンジリ(Dansili)、オアシスドリーム(Oasis Dream)およびフランケルのような欧州の種牡馬を支えるために欧州へ渡っており、特にフランケルは今では同牧場の誰にとっても大きな意味を持っている。
オルーク氏は、「何よりもまず、フランケルという馬名は史上最も偉大な調教師の1人ボビー・フランケル氏への賛辞の意味でした。ジャドモントファームの人々とボビーとの間には長年続いてきた個人的友情がありました。殿下は、期待の1歳馬や潜在的なスーパースター要素を持つ馬でない限り自身で馬名を付けることはなかったので、殿下が馬名をつけたフランケルには避けられない運命が備わっていました。感動的なことです」と指摘した。
1人の調教師を追想させる馬となるだけではなく、フランケルはもう1人の調教師にとって思わぬ幸運となった。サー・ヘンリー・セシル(Sir Henry Cecil)調教師もジャドモントファームの屋台骨となる調教師であるが、最近体力の衰えのため調教活動が難しくなってきている。(訳注:サー・ヘンリー・セシル調教師は6月11日に他界した。)
「キャリアの最終段階に差し掛かっているヘンリーにとって、史上最高の馬を得ることは起こるべくして起きたことに感じるかもしれませんが、普通は起こることではありません。このような幸福を招き寄せたことを非常に誇らしく思います」。
そしてフランケルは、世界全体の競馬界に多大なる貢献をした馬主に報いた。
オルーク氏は次のように語った。「長年にわたって競馬と生産および競馬という娯楽に情熱を注いでくれば、いかに多くの悲しみや悪いニュースに出会うか分かりません。私たちの規模の競馬事業ですとG1競走で50もの悲しい出来事があり、それらすべてが殿下の机の上に乗せられます。殿下はすべての不運を受け止め、それら全てから立ち直ってきました。したがって殿下にとって、フランケルのような馬が現れたことは素晴らしいことでした」。
フランケルが北米で種牡馬生活を送る可能性について聞かれ、オルーク氏は笑顔で「その質問は何度も受けました」と述べた。
そして、「その答えを知るためには、ビンラディンを捕捉した際と同じ米海軍特殊部隊を使うのも1つの手でしょう。ただもっと大きなヘリコプターが必要だと思います」と続けた。
真顔に返った同氏は、「状況を必要以上に複雑にすることには意味がありません。フランケルは英国で種牡馬生活を送っており、国民的英雄です。適切な決断が殿下から下され、それが実行されています」と語った。
それがジャドモンドファームが40年近くにわたり採ってきた方法である。
By Lenny Shulman
(1ポンド=約150円、1ドル=約100円)
[The Blood-Horse 2013年5月4日「The Filly Factory」]