トニー・マッコイ騎手の現役最終日(イギリス)【その他】
サンダウン競馬場が満員となることはあるが、今回のような盛況ぶりを経験したことはかつてなかった。1万8,000人を超えるトニー・マッコイ ファンがサンダウンに詰めかけて、周辺道路は混雑し、郊外行の電車は避難時のようなすし詰め状態となった。
ガラス張りの競馬場正面の玄関前には、開門前に数百人が集まっていた。競馬ファンというより、クリスマスの翌日にバーゲン品を求めてセルフリッジズ(イギリスの高級百貨店チェーン)の前に並ぶ、熱心な買い物客のようであった。
彼らは、先陣に立っていたに過ぎない。ここに集まった人々の唯一の目的は、我々がチャンピオンと呼ぶ男が、鞍、ブーツそして鞭を永久に置く前に、最後に一目見ておくことである。
これまで競馬場において、このような期待や一体感がみられたことはあっただろうか?往年の伝説的名馬であるレッドラム(Red Rum)やアークル(Arkle)にも、同様の溢れんばかりの大きな支持があった。しかし、最近では本格的な競馬ファンの“追っかけ”程度が精一杯であり、競馬以外の世界まで情熱で満たすことは殆どなかった。
マッコイ騎手は別格で、障害競馬界で20年間トップに君臨してきたチャンピオンであり、最高の舞台で最高のレースを制してきた。その間ずっと、マッコイ騎手は控えめで常に礼儀正しかった。障害競馬界の巨人でありながら、模範となる人物であった。それ故、我々は彼を愛している。
サフォーク州から来たニック・フード(Nick Hood)氏は、マッコイ騎手が引退を発表した時に、サンダウン競馬場のチケットを購入した。「彼の偉業に匹敵するものはないでしょう。間違いなくナンバーワンです。モハメッド・アリ級か、それ以上であることは言うまでもありません。レスター・ピゴットと同様、おそらく競馬用語では、“群を抜いている”と言うのでしょう」と語った。
ウォリックシャー州から妻同伴で来たアンドリュー・ホーラム(Andrew Hallam)氏は、次のように語った。「彼は謙虚で驕りません。気難しいサッカー選手もみられる昨今のスポーツ界において、彼は足が地に着いている、親しみを感じられる人物です。彼にはそのオーラがあります。本当のスターは、目立とうとする必要はないと思います。彼は、競馬場の内外を問わず、最高の騎手です」。
ロンドンから来たアンディ・スコット(Andy Scott)氏は、「彼の馬券を買って負けたことも、勝ったこともあります。そして今日は悲しい日となるでしょう。彼は振舞いが素晴らしく、礼儀正しい紳士であり、とても優れた障害騎手です。競馬界の象徴として、アレックス・ファーガソン(サッカー指導者。1986年から27年間、マンチェスター・ユナイテッドFC監督を務めた。)に匹敵します。本当に多くの偉業を達成しました。新天地での成功を願っていますし、それにふさわしい人物です」。
エセックス州ウィットフィールドから来たニール・ヴェスト(Neil Vest)氏は、マッコイ騎手に“サー(Sir)”の称号を授与するよう、エリザベス女王に要求する手製の横断幕を用意していた。
「競馬界で、彼ほどの偉業を成し遂げた人物はいないと思います。マッコイ騎手は、オリンピックで5つの金メダルを獲得したサー・スティーヴ・レッドグレーヴ(Sir Steve Redgrave)氏(ボート選手)や、サー・クリス・ホイ(Sir Chris Hoy)氏(自転車競技選手)と同列に引き上げられるべきです。それため、この横断幕を作りました。“サー・A・P・マッコイ”になってほしいと思います」と、同氏は語った。
この日の人気スポットはグランドスタンドの後ろ側であり、そのバルコニーと階段からパドックを見渡せた。競馬ファンは昼食時からそこに場所を確保し、マッコイ騎手の出現を今や遅しと待っていた。そして、彼が、サンダウンでの106勝を記念する特別賞を受け取るため、初めて姿を見せた時、大きな歓声が鳴り響いた。
検量室に戻る途中、マッコイ騎手はファンに揉みくちゃにされた。彼が居心地の悪い押し合い状態の中に入り、11分間もサインをしたことは、その人柄を十分に物語っているだけではなく、世間に大きく伝えられた。
しかし、マッコイ騎手が堂々と登場したのは、セレブレーションチェイスでの騎乗時である。同僚騎手は、若手もベテランも、彼に触発された者も、彼に負かされた者も、皆、この冒険家である仲間のために並んで道を作った。
その道を抜けてパドックという円形競技場へ入場する様子は、まるでコロシアムに入る百戦錬磨のグラディエーターのようであった[その雰囲気は、観衆による“彼はいいやつだ(For He’s a jolly good fellow 19世紀半ばから英国や米国で歌われている祝いの曲)”の演奏によって若干損なわれた]。
パドックの脇にいた父親が幼い息子に、「あれがマッコイ騎手で、今日が騎乗最後の日なんだよ」と言い聞かせていた。いつかの日か彼は、競馬の特別なシーン、すなわちマッコイ騎手が君臨していた20年間が終わる日に立ち会ったことを、実感するだろう。
マッコイ騎手はその日勝利をあげることができなかったが、グランドスタンドを通過する毎に、征服王に対するような歓声があがった。そして、彼が最後に検量室に向かって歩き、ついに現実とは思えない瞬間が来たとき、彼の顔に感情が露わとなった。ウィナーズサークル周囲の観衆は、涙を浮かべながらも微笑んでいた。
マッコイ騎手の現役最終日は、このような日であり、彼はそれにふさわしい騎手であった。
By Tom Kerr
記録を大きく塗りかえたマッコイ騎手
マッコイ騎手の3つの画期的な記録は、生涯最多勝利(4,348勝)、シーズン最多勝利(290勝)、そしてリーディング最多獲得である。プロの騎手となって20年間トップに君臨した。
同騎手は、昨シーズン300勝を達成できずに落胆したが、2002年の暦年(1月〜12月)では300勝を達成している。
・生涯最多勝利
マッコイ騎手は史上最多勝利を達成した障害騎手であり、英国とアイルランドにおいて4,348勝をあげた。それ以外の国での勝利はない。
・シーズン最多勝利
マッコイ騎手は、2001-2002年シーズンにおいて記録的な290勝をあげた(アイルランドでの1勝を含む)。英国で289勝をあげて7度目のリーディングタイトルを獲得したことは、歴史的偉業である。なぜなら、ゴードン・リチャーズ(Gordon Richards)騎手(平地)が打ち立てた英国(平地・障害を通じた)でのシーズン最多勝利の記録を破ったからである。
・リーディング最多獲得
マッコイ騎手は、英国でプロとなった1995-96年シーズンから、20年間連続でリーディングに輝いた。それまでのピーター・スカッダモア(Peter Scudamore)騎手による8年間連続リーディング獲得(1981年〜1992年の間。うち1回はタイ。)の記録を、大幅に塗り替えた。
マッコイ騎手は、1925〜1953年に26回平地リーディングに輝いたゴードン・リチャーズ騎手の記録に到達できなかったが、連続獲得回数では(平地・障害を通じた)英国記録を更新した。それまでの記録は、ナット・フラットマン(Nat Flatman)騎手(1840年〜52年)とフレッド・アーチャー(Fred Archer)騎手(1874年〜86年)の13回連続獲得であった。
By John Randall
[Racing Post 2015年4月26日「Intoxicating ferment of anticipation and togetherness of spirit」、
「Jockey who really did rewrite the record books」]