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海外競馬情報
2016年10月20日  - No.10 - 4

クリス・マッキャロン氏、米国競馬の現状について語る(アメリカ)【その他】


 殿堂入り騎手のクリス・マッキャロン(Chris McCarron)氏は9月25日、サラブレッドクラブ・オブ・アメリカ(Thoroughbred Club of America:TCA サラブレッド産業の発展を促す目的で1932年に創立された団体。フォーラム等を開催し、産業内の意見交換を行っている)の第85回謝恩ディナーに名誉来賓として出席した。多くの参加者を集めたこのイベントは、ケンタッキー州レキシントンのキーンランド競馬場(TCAの向かいにある)で開催された。

 12年前からレキシントン在住のマッキャロン氏は、これまで名誉来賓として招待された2人目の騎手である。初めて名誉来賓として招待された騎手は、1982年のビル・シューメーカー(Bill Shoemaker)氏である。

 しかしながら、マッキャロン氏はただの殿堂入り騎手ではない。馬と人のケアの提唱者であり、ケンタッキー州中部に北米競馬アカデミー(North American Racing Academy)を創設した。また、ジョッキークラブ、アメリカン・ホース・カウンシル(American Horse Council)、サラブレッド牧場マネージャーズクラブ(Thoroughbred Farm Managers Club)のメンバーであり、ハイホープ固定障害競走協会(High Hope Steeplechase Association)の理事を務める。

 同氏はこの謝恩ディナーのはじめに、ユーモアを交えながら最高の騎乗をしたときのスリルを語り、聴衆を楽しませた。

 「28年間の騎手生活をとても誇りに思っています。というのも、数千人の馬主、数千人の調教師、そして数万人の馬券購買者を勝たせるのに貢献したわけですから。28年間付いてくれたエージェントたちは25%の力しか発揮してくれませんでしたが、感謝します。それから、亡くなってしまいましたが、ビル・シューメーカーが1983年にジョンヘンリー(John Henry)を譲ってくれたことに感謝します。また、パット・デイ(Pat Day)がアリシーバ(Alysheba)を、ジェリー・ベイリー(Jerry Bailey)がゴーフォージン(Go for Gin)を、ビクター・エスピノーザ(Victor Espinoza)がティズナウ(Tiznow)を譲ってくれたことに感謝したいと思います。みんな、ありがとう!君たちのおかげで、騎乗成績が上がったよ。そして私としたことが、2回乗った後にシルバーチャームを譲るという間抜けな決定をしたものだから、ゲイリー・スティーヴンス(Gary Stevens)には怒鳴ってやりたいです。このような重要な決定をするために高い報酬を払っているのに、がっかりさせたエージェントがいけないのです」。

 マッキャロン氏は、ボストンで育ち騎乗し始めた若き日々、多くの怪我を負い低迷した日々、そして引退した理由についても語った。

 「結局のところ情熱を失い、時速40マイル(約64km)で走りたくない心境に達してしまったのです。少し年を取ったせいか、立直りが以前ほど早くなくなりました。そして一層恐怖感を抱くようになりました」。

 「現在、私は競馬産業について日々学んでいます。できるかぎり多くのことに注意を払い、どのように馬が扱われているかを知れば知るほど、懸念が高まりました。衝撃波療法(shock wave therapy)について初めて耳にしたのは2000年でした。私はその2年後に引退しました。衝撃波療法についての知識を得たことで引退の決断が早まったことは、紛れもない事実です」。

 また、ケンタッキーに移住して北米競馬アカデミー(NARA)を創設したことについて語った。同氏は1988年に日本の競馬学校で講義を行ったことでNARAの創設を決断し、カリキュラムにその内容を大幅に取り入れた。

 「厳しい話になりますが、米国競馬の現状について私の考えを述べたいと思います。ボストンで子供時代を過ごした頃、地元には17競馬場がありました。ロッキンガム競馬場(ニューハンプシャー州)、サフォークダウンズ競馬場(マサチューセッツ州)、ナラガンセットパーク競馬場(ロードアイランド州)、リンカーン競馬場(ニューイングランド州)、スカボローダウンズ競馬場(メイン州)、グリーンマウンテンパーク競馬場(バーモント州)があり、持ち回りでレースを開催していました。今では17競馬場のうち残っているのはたった1場です。その競馬場にしても営業免許を維持するために、今年3日開催しただけです」。

 「40年前、フロリダ州南部には7~8場のサラブレッド競馬場がありましたが、今ではガルフストリームパーク競馬場しか残っていません。コールダー競馬場もありますが、コースと厩舎地区が残っているだけでスタンドはもうありません。私は1974年2月9日にボウイ競馬場で初勝利を挙げましたが、そこは住宅地になろうとしています。生涯最後の勝利をハリウッドパーク競馬場で挙げましたが、そこはアメリカンフットボールのLAラムズの本拠地となります。1970年代にはサラブレッドの年間平均出走回数は14回でしたが、現在では生涯平均出走回数が11回程度となりました。このような深刻な減少傾向には多くの理由があります。馬が以前ほど頻繁に走らなくなったために、出走頭数は大きく減少しました。競馬ファンは5~6頭立てのレースの馬券を買う気をなくしています。そのうち、遊びのためにとっておいたお金を、他の楽しみに使うようになるでしょう」。

 「2008年からジョッキークラブのサラブレッド安全委員会(Thoroughbred Safety Committee)のメンバーを務めています。この委員会は、エイトベルズ(Eight Bells)の予後不良事故など数々の悲劇が物議を醸したことを受けて、急きょ発足しました。約10年前、米国医師会雑誌(Journal of the American Medical Association)が負傷騎手についての研究を実施し、騎手が巻き込まれる事故が1週間につき35件発生していることを明らかにしました。それは、パドックで馬に踏まれる事故、ゲートでの転倒事故、時速40マイルで走っている最中に地面に叩きつけられる落馬事故にいたる全ての事故を含みます。さらに深刻な数字としては、1年あたり平均2名の騎手が競走中の事故で死亡し、さらに2名の騎手が麻痺状態になっていることが報告されました。今年はすでに3名の騎手が麻痺状態になっています」。

 同氏はこう語った。「このようなことが生じるのには、多くの理由があるのですが、最大の理由はそれぞれの裁量に委ねられていることにあります。例えば、衰弱した馬や、治療というより休養を必要とする馬はどう扱うべきでしょうか」。

 「最近のポーリックレポート(Paulick Report レイ・ポーリック氏が運営するウェブマガジン)で、フロリダ州を拠点とするある調教師は、州内で23件、合計で46件の薬物違反を犯したにもかかわらず、調教活動を続けていることが伝えられていました」。

 「薬物規制標準化委員会(Racing Medication and Testing Consortium: RMTC)は2年前、全米統一薬物プログラム(National Uniform Medication Program)を考案しましたが、たった20州しか適用していないと思います。各州の競馬統轄機関はその適用に乗り気ではなく、38の競馬統轄機関のうち半分しか適用していません。適用すれば私たちの手の届くところで情報を交換できます。ジョッキークラブは数年前、インコンパス(InCompass)という素晴らしいプログラムを考案し、それにより各競馬場の業務責任者が獣医記録などの情報を共有できています。カリフォルニア州の獣医記録に載っている馬を輸送してアリゾナ州で走らせることができます。同じことがニューメキシコ州でも行われています。一方で、オクラホマ州では、ビュート(Bute 非ステロイド系抗炎症剤フェニルブタゾンの別名)やバナミン(Banamine非ステロイド系鎮痛剤)を競走当日に投与した馬も出走できます。ばかげています」。

 「米国全体で薬物ルールを統一することは絶対に必要です。米国反ドーピング機関(United States Anti-Doping Agency: USADA)を全米の薬物使用管理機関とする権限を政府に与える法案HR3084を支持するため、ワシントンの議会に6回行きました。キーンランド協会(Keeneland Association)やブリーダーズカップ協会(Breeders' Cup Ltd.)はこの法案を支持し、もちろんジョッキークラブも全面的に支援しています。ウォーター・ヘイ・オーツ連合(WHOA)や競馬公正連合(Coalition for Horse Racing Integrity)にも支援されています。RMTCは2001年、すなわち15年前に創設されましたが、ルール・規制・罰則などに関する発案に取り組んでいるものの、ほとんど進歩していません。この会場にいる大半の人々は連邦政府が競馬に関与することを望んでいないことは分かっていますが、もう他に手段がありません。他の全ての手段は出尽くし、全ての試みは顧みられませんでした」。

 そして、マッキャロン氏は次のように締め括った。「この会場に変化を起こす十分なパワーがあることを信じています。それは馬のため、ホースマンのため、そして競馬の公正確保のためになります。このままにしておいてはいけません」

By Evan Hammonds

(関連記事)海外競馬情報 2007年No.1「クリス・マッキャロン氏へのインタヴュー(アメリカ)

[bloodhorse.com 2016年9月25日「TCA Honor Guest: Chris McCarron」]


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