競馬と政治家に関する10の事柄(国際)【その他】
1. チャーチルの所有馬
政治的指導者が競走馬を所有することは、文明国の証と言ってもいいだろう。英国は以前、この分野で世界をリードしていた。サー・ウィンストン・チャーチルがその晩年、競馬に大いに寄与したからだ。1949年、74歳となり野党の党首という立場に甘んじていたチャーチルは、フランスで初めての馬を購買した。この芦毛のフランス産馬コロニストII(Colonist II)は、チャーチルのピンクとチョコレート色の勝負服を背負い、猛追するスタイルで13勝を果たした。
2. 競馬の最大の敵
しかしチャーチルは馬主になる前、競馬の最大の敵の1人と見なされていた。それは財務大臣だった1926年に賭事税を導入したからである。これは競馬場のブックメーカーのストライキを招いた。
3. メイ首相と19世紀のヘンリー・チャップリン
現職のテリーザ・メイ首相はドームパトロール(Dome Patrol)をシンジケートで所有し、この馬はウィリアム・ミュア(William Muir)調教師に管理され2勝した。しかし、彼女の競馬への関わり方は、19世紀の保守党議員ヘンリー・チャップリンほど情熱的でロマンチックなものではなかった。チャップリンが所有したハーミット(Hermit)は、1867年ダービーを制した。この勝利はヘイスティングス卿を破滅させた。ヘイスティングス卿とは、その3年前にチャップリンの婚約者と駆け落ちした男だ。問題となった婦人は、結婚式当日にチャップリンの馬車を降り、ウェディングハット店に入って裏口から退出し、ヘイスティングス卿の馬車に乗り換えたようだ。2人はその日に結婚し、ハネムーン先からチャップリンに手紙を書いた。しかし、ヘイスティングス卿は天罰を受けた。怪我をしていたと思われたハーミットが負ける方に全財産を賭けてすべてを失い、その翌年に貧困の中で死んだのだ。
4. スコットランド人政治家の競馬への情熱
1859年~1874年にフォルカーク市から選出されてスコットランド自由党議員を務めたジェームズ・メリーは、1860年英ダービー馬ソーマンビー(Thormanby)のオーナーブリーダーだった。また、ドンカスター(Doncaster)という名の馬でも1873年英ダービーにおいて勝利を挙げている。ロビン・クック元外相もアレックス・サモンド元スコットランド国民党党首も英ダービー馬を生産したことはないが、熱心な競馬ファンとしてグラスゴーヘラルド紙(Glasgow Herald)で勝馬予想を行い、スコットランド人政治家の誇り高い競馬の伝統を引き継いだ。そして、ロビン・クック元外相の息子クリス・クック氏はガーディアン紙の競馬記者である。
5. 競馬を愛したアメリカ大統領
初代アメリカ大統領のジョージ・ワシントンは、競馬観戦と馬券購入に熱心だった。第3代のトーマス・ジェファーソンや第4代のジェームズ・マディソンも競馬ファンで、彼らの姿はホワイトハウスから2マイルほどのナショナル競馬場でしばしば見かけられた。その伝統は、第7代のアンドリュー・ジャクソン、第8代のマーティン・ヴァン・ビューレン、第10代のジョン・タイラー、第11代のジェームズ・ポーク、第18代のユリシーズ・グラントにより引き継がれた。なお、ギギンズタウンハウススタッド(Gigginstown House Stud)は1999年生まれの仔馬にユリシーズ・グラント(Ulysses Grant)と名付けた。
6. アメリカ大統領の名前を付けられた馬
"エイブラハム・リンカーン"、"ジェームズ・ガーフィールド"、"ドワイト・D(・アイゼンハワー)"と同様に、"ジョージ・ワシントン"と名付けられた馬がいた。"リチャード・ニクソン"の名前の付いた馬はいなかったが、英国・フランス・スウェーデンにそれぞれ"ウォーターゲート(Watergate)"という名の馬がいて出走していた。また、"トリッキーディッキー(Tricky Dicky ずるいニクソン)"という名の馬も2頭いた。
7. アイルランド人政治家と競馬
アイルランドでは政治家と競馬は切っても切れない関係にある。昔から競馬場で1日を過ごすことは、アイルランドの首相にとって名誉勲章のようなものだった。現職のレオ・ヴァラッカー首相は2017年9月にキルベガン競馬場でレース観戦したことで、この誇り高き伝統を引き継いだ。
8. アイルランドのアハーン元首相
バーティ・アハーン元首相は2008年、住宅金融組合の自らの名義の口座にスターリング(ポンド)の預入れがあったことを追求された。その資金の出どころを聞かれた元首相は、"自分は熱狂的な競馬ファンであり、それは馬券が的中したときの配当金である"と主張した。
9. ダービーデーは議会を休会とすべきか?
キングズリン(英国東部ノーフォーク州の都市)選出の庶民院議員ジョージ・ベンティンク卿は、馬主であり馬券師であり、競馬改革者でもあった。ベンティンク卿は1847年、ダービーデーは議会を休会とすべきだと提議し、長い論戦を引き起こした。ダービー卿たちや競馬に熱心なベンジャミン・ディズレーリが、この提案を首相の動議として議会に提出するよう要求される可能性が高まったときには、競馬ファンたちには十分な勝ち目があった。しかし、禁酒活動家のサー・ウィルフリッド・ローソンは、競馬は"ごろつきと詐欺師が巧みに仕組んだシステム"だと考えていた。そしてこの考えは広がり、1892年に反対派は初めて勝利を収めた。しかしながらその年のダービーデーの正午、12人の議員しか姿を見せず、議会はほぼ空っぽだった。
10. ビスマルク首相、競馬国を褒める
ディズレーリ首相は晩餐会の最中、ドイツのビスマルク首相に「英国では競馬が盛んです」と語った。ビスマルクは「競馬が盛んな国では、君主制はしっかりと根付いています」と言って安心感を与えた。これには競馬にそれほど関心を持たなかったヴィクトリア女王でさえも喜んだに違いない。ビスマルクはこう続けた。「英国で社会主義は決して根付かないでしょう。国民が競馬に没頭しているので、英国は当分安泰です。ドイツでは、紳士が街で馬に乗っていたら、それを見た20人が互いに"なぜあいつは馬を持っていて、私は持っていないのだ?"と言い合うでしょう。英国では、貴族は馬を持てば持つほど人気があります」。
By Peter Thomas
(関連記事)海外競馬ニュース 2016年No.29「メイ新首相と歴代英国首相の馬主としての経歴(イギリス)」
[Racing Post 2017年12月10日「10 things you might not know about...Racing in politics」]