重賞競走は20年間で急増したが、レースの質は維持(欧州) 【開催・運営】
ヨーロッパ・パターン競走委員会(European Pattern Committee)は1月26日、2018年に13競走が昇格したことを当然のように発表した。8競走は重賞に初昇格し、5競走はよりグレードの高い重賞となった。
一方で、"品質管理"の結果、降格となったのはわずか2競走である。毎年重賞格付けはこのような加減で行われる。それゆえ"重賞の急増は、競馬の卓越性のバロメーターとしての重賞に、悪影響を及ぼしたに違いない"と推論したくなる。
しかしこの推論の正しさを証明するために公式レーティングを調査しても、意味がない。なぜならこれらのレーティングは、重賞格付けの判断材料として用いられているからだ。それでも何らかの策略が働いていると考えるのか、"ハンデキャッパーはいくつかのレースに肩入れしてグレードを維持させている"という疑惑が昔からある(おそらく英セントレジャーSもその1つだろう)。このような状況を考慮すれば、レーシングポストレーティング(RPR)はレースの価値を測る上でより的確なレーティングだろう。RPRの編纂者には何の思惑もない。
そこでRPRを用いて欧州の重賞が37%も増加していること(1998年:318競走、2017年:436競走)について調べてみた。それでも下表が示すように、重賞優勝馬の質にはほとんど影響がなかったことが分かった。
これは大発見である。しかしもっと驚かされるのは、欧州では過去20年間でG1競走は17%増加したものの、優勝馬の全体的な水準が向上していることである。このようなことは想像だにしなかっただろう。重賞は20年間に急増したが、極めて適切なレベルを維持し続けている。古牝馬が出走する機会はかなり増加したが、それがG1競走の水準を色褪せさせることはなかった。
これはとりわけ英国の重賞について言える。英国では過去20年間で重賞は約50%増加したが、英国のG1・G2・G3競走はそれぞれ欧州で最高の水準を保っている。英国のG1優勝馬の平均RPRは、欧州全体の平均よりも2.4ポンド高い。また英国のG3優勝馬の平均RPRは、欧州全体の平均よりも約4ポンドも高い。
アイルランドの重賞優勝馬は欧州水準とほぼ同じに見える。しかしそれだけでは、この20年間における大躍進を正当に評価していない。アイルランドの重賞は37競走から74競走に倍増し、今年はフライングファイブSが同国初のスプリントG1競走に昇格した。それでも、全体的な優勝馬の水準はほぼ維持されているのだ。
これには明白な理由がある。まず、クールモアがアイルランドの重賞を支配し、その水準を常に高く保っていること。そして、クールモアの優良馬は競走生活のほとんどにおいて海外で出走しているが、アイルランドの重賞番組はそれと歩調を合わせて発展していること。
クールモアのように、1つのグループがその国の競馬の様相を変えることはこれまでにはなかった。結果として、アイルランドの競馬は非常に魅力的なものとなった。ただし、重賞へのクールモアの影響は国内のみにとどまらない。
2つの大きな影響力が作用してきた。1つ目は、クールモアの2頭の種牡馬、すなわちサドラーズウェルズとガリレオの親子の優越性に関係している。これは1980年代後半から始まった。それまでこの2頭のように多くの重賞出走産駒を送り出した種牡馬はいなかった。これは特にガリレオに当てはまる。ガリレオの産駒は生まれつき、強靭さを備えている。ポスト"ガリレオ時代"に重賞の水準は保たれるのかどうかは、現時点では不明である。あまりにも長い間、私たちはサドラーズウェルズ/ガリレオ現象を目の当たりにしてきたので、その影響力は当然のものとなっている。ガリレオが天寿を全うしてしまったら、その後の数十年は同馬の偉業と肩を並べるような種牡馬が出てきそうもない。ガリレオがいなくなるというたった1つの事実が、欧州全体の重賞の水準に大きく影響を及ぼすだろう。昨年、ガリレオ産駒59頭がRPR100以上を獲得した。RPR100は重賞の水準をわずかに下回るだけだ。これらのガリレオ産駒を方程式から取り除けば、重賞の水準は劇的に低下するだろう。
2つ目は、エイダン・オブライエン調教師の出走レースの選び方が変化していることである。クールモアはかつては種牡馬としての価値を最大化することだけに関心があったが、今やスポーツとしての競馬を好んで、優良馬をしきりに出走させるチームに変貌している。これにより、重賞は計り知れないほど進歩した。この20年間に重賞は急増したが、レースの水準を保つことを可能にした。
そのことを再確認させる1頭はジャイアンツコーズウェイに違いないだろう。このクールモアの"アイアンホース"は、英国とアイルランドの2000ギニーで敗れた。そのために、種牡馬としての価値という点では不利になってしまった。ジャイアンツコーズウェイは名誉を回復するための唯一の方法として、できるだけ頻繁に出走した。それは効果抜群だった。2000年の3歳シーズン終了までに、G1競走を5連勝し、4レースで2着となった。
現在の重賞、とりわけG1競走に関してはもう1つの好ましい副産物がある。
競走馬の全体的な質がこの20年間において突然向上したわけではないことを、私たちは知っている。つまり重賞が増加している期間、その水準を保つために、調教師は優良馬を一層多くレースに出走させてきたということになる。
最近の欧州年度代表馬の中では、エネイブル(Enable)が3歳のときに7戦し、ゴールデンホーン(Golden Horn)が9戦した。
このことは、『G1競走は最高級馬にとって、高額賞金だけでなくもっと強い誘引力がある』という明確なメッセージを発信している。重賞は、その急増ゆえに劣化するかもしれなかった時期に高い質を維持した。実際、平地競馬を活気あるスペクタクルにしようとする過程において、最高級馬を引き付けることを証明してきた。このような結果を予想した者はほとんどいなかった。
あらゆることを考慮すると、最後は注意を喚起するほうが良さそうだ。G1競走をはじめとする重賞は、豊かなレガシー(遺産)を後世に残してきた。なぜなら、重賞が急増したために根底から弱体化する恐れのあったこの20年間、競馬界および生産界からの信頼を維持し続けたからである。
重賞の水準が不変であることは重要だが、これを優良馬の出走を促すための道具として使ってはならない。重賞が平地競走を良い方向に導けることは示されてきた。しかし、積極的なものではなく、いつも思慮深く扱うべき道具でなければならない。
積極的に使おうとすれば、それは信頼を土台から壊すリスクを冒すことになる。古人が言うことは核心を突いている。「行き渡らせる馬は限られている」。
By Julian Muscat
[Racing Post 2018年1月31日「European Pattern in rude health after 20 years of extreme turbulence」]