ドバイ競馬についての10の事柄(ドバイ)【その他】
1. ドバイで最初の競馬場
マクトゥーム殿下は1969年、アルグセイス(Al Ghusais)にドバイで最初の競馬場を建設し、純血アラブや輸入サラブレッドの競馬開催を数回実施した。今ではその土地はドバイ国際空港となっている。しかしながら、1981年10月1日にラクダレース場で適切なルールのもとにモハメド殿下により実施された競馬開催が一般的に、ドバイのみならずアラブ首長国連邦(UAE)における正式な競馬の始まりだと見なされている。アルグセイスの競馬場は1982年のシーズン前に閉鎖され、厩舎はナドアルシバに移された。
2. ドバイレーシングクラブ設立
ドバイレーシングクラブ(Dubai Racing Club)は1992年のはじめに設立された。その年の3月には、ナドアルシバ競馬場でオープニング開催が施行され、レスター・ピゴット騎手やウィリー・カーソン騎手が参加した。世界の名手が揃ったドバイ国際騎手チャレンジ(騎手招待競走)は、その後創設されるドバイワールドカップへの道を開いた。
3. アラブ首長国連邦(UAE)の競馬場
現在、UAEでは5つの競馬場が運営されている。ドバイ首長国にはメイダン競馬場とジェベルアリ競馬場がある。メイダン競馬場はドバイカーニバル・通常開催・ドバイワールドカップデーを施行し、ジェベルアリ競馬場はそれ以外の日程において、シーズン中(10月後半から3月)隔週の金曜日にレースを施行する。ジェベルアリは、ドバイ都市部から35 km離れた大きな商港であり、ビジネス拠点でもある。アブダビ首長国にはアブダビ競馬場と最新のアルアイン競馬場がある。アブダビ競馬場は通常、日曜日に競馬を施行する。アルアイン競馬場は、ジェベルアリの開催がない金曜日にレースを施行する。残る1つは、シャルジャ競馬場である。現在UAEにおいて、リーディングジョッキーはリチャード・マレン(Richard Mullen)騎手、リーディングトレーナーはダグ・ワトソン(Doug Watson)調教師である。
4. マクトゥームチャレンジ
3レース(ラウンド1~3)からなるマクトゥームチャレンジは、ドバイワールドカップデーの前に10週間にわたって開催されるドバイワールドカップカーニバルに繋がりをもたらす。(アラブ馬を対象としたシリーズとよく似た)マクトゥームチャレンジはドバイワールドカップそのものよりも古く、1994年にスタートした。その年は、ゴドルフィンのヒラル・イブラヒム(Hilal Ibrahim)調教師が管理するセザンヌ(Cezanne)がラウンド2とラウンド3を制した。イブラヒム調教師は英オークス(G1)と愛ダービー(G1)を制したバランシーヌ(Balanchine)も手掛けていた。セザンヌは同じ年にサー・マイケル・スタウト(Sir Michael Stoute)調教師のもとで愛チャンピオンS(G1)を制した。その後ドバイに戻り、第1回施行のドバイデューティフリーで2着となったが、最後はマイケル・ロバーツ(Michael Roberts)調教師のもとでハンティンドン競馬場の障害未勝利戦を勝っただけで、目立たないハードル馬として現役生活を終えた。今や、スーパーサタデーのG1競走となっているマクトゥームチャレンジ・ラウンド3は、2000年までは重賞でさえもなかった。
5. 第1回ドバイワールドカップ
モハメド殿下が考案した第1回ドバイワールドカップは1996年に開催された。総賞金400万ドル(約4億2,000万円)は、ただちに当時の世界最高賞金となり、2017年のペガサスワールドカップ(G1)創設までその座を守った。ナドアルシバの砂の上で繰り広げられた忘れがたい第1回ドバイワールドカップでは、伝説的なシガー(Cigar)が同じく米国から参戦したソウルオブザマター(Soul Of The Matter)を撃退し、最初の優勝馬となった。シガーに騎乗したジェリー・ベイリー(Jerry Baily)騎手は、「シガーでドバイワールドカップを制して、まるでオリンピック選手になったような気分です」と語った。ベイリー騎手はドバイワールドカップを通算4勝した(訳注:1996年シガー、1997年シングスピール、2001年キャプテンスティーヴ、2002年ストリートクライ)。
6. ドバイワールドカップのG1昇格
ドバイワールドカップは1998年の第3回に、初めてG1競走として施行された。その年は、ボブ・バファート厩舎のカリスマ的なケンタッキーダービー馬シルバーチャーム(Silver Charm)が優勝した。公式には、シガーとシングスピールが制した第1回と第2回はリステッド競走(準重賞)でしかなかった。
7. ドバイワールドカップの総賞金
現在、ドバイワールドカップデーはG1・8レース(およびアラブ馬競走1レース)を施行し、1日に提供する賞金総額では世界一である。ただし総賞金1,000万ドル(約10億5,000万円)のドバイワールドカップは、もはや世界最高賞金レースではない。2017年に創設された総賞金1,200万ドル(約12億6,000万円)のペガサスワールドカップがトップに立ったのだ。モハメド殿下は「絶対にその座を奪い返す」と宣言したが、ペガサスワールドカップの総賞金は、今年1月にガンランナーが優勝した第2回目でさらに引き上げられ1,600万ドル(約16億8,000万円)となっている。
8. ドバイワールドカップカーニバル
2004年開始のドバイインターナショナルレーシングカーニバル(現ドバイワールドカップカーニバル)は、1月から10週間にわたる競馬開催である。その後、3月最終土曜日のドバイワールドカップナイトにクライマックスを迎える。開始当初からナドアルシバ競馬場を舞台とし、2009年の閉場までそこで続けられた。現在はメイダン競馬場で地元のレースと平行して施行されている。
9. 豪華なメイダン競馬場
メイダン競馬場の総工費についての推測にはばらつきがある。しかし全長約1600mのグランドスタンドを誇る同場は、往々にして"10億ドル(約1,050億円)の競馬場"と呼ばれる。敷地内には、5つ星のホテル・9ホールのゴルフ場・ギャラリー・競馬博物館などがある。この複合施設は、ビジネス&会議センターの用途にも使われる。馬場内は映画『スター・トレック BEYOND』の撮影現場として使われた。
10.レース後に大物スターのコンサート
ドバイはレース後に大物スターが登場するコンサートを好んで開催している。ナドアルシバで第1回目のドバイワールドカップが施行されたときはイギリスのバンド、シンプリーレッドが現れた。また、同レースがメイダンで行われるようになると、エルトン・ジョンやサンタナが登場した。より最近では、歌手のカイリー・ミノーグ、ジェニファー・ロペス、ジャネット・ジャクソン、シーアなどがレース後にショーを行った。2010年3月のスーパーサーズデーでは、スティングが歌った。元ポリスのスティングはメイダン競馬場を目にして、「このようなものを見たことがありません。まるでSFのような、砂の惑星のようなものです」と語った。
By Nicholas Godfrey
(1ドル=約105円)
[Racing Post 2018年2月18日「10 things you might not know about Racing in Dubai」]