2年半の改修工事を経て誕生したパリロシャン競馬場(フランス)【開催・運営】
"フランス競馬界ではパリロンシャン競馬場(ロンシャン競馬場から改名)の再オープンをめぐり、期待感が高まっている"と述べることは、21世紀において珍しいほど控えめな表現だ。
パリ市の西に位置する広大なブローニュの森の一角にあるロンシャン競馬場は、世界中で広く知られている。なぜなら、欧州最高峰のサラブレッド競走、凱旋門賞(G1)の象徴的な開催地だからである。第97回凱旋門賞を6ヵ月後に控えた4月8日(日)、2年半の改修工事の結果を見た馬主・調教師・競馬ファンの間で聞かれた評判は、多くの観客がこの競馬場に足を運ぶことを保証するものであった。
最も目を奪ったのは、観客を迎えるグランドスタンドの色である。1960年代に建てられた荘厳なパールグレーもしくはホワイトのスタンドは、黄金がかったオークル(黄土色)に様変わりした。
建築家のドミニク・ペロー(Dominique Perrault)氏は、10月の第1日曜日(凱旋門賞施行日)に世界中から注目される建物をデザインしていることを意識して、以前から色調を模索してきた。
グランドスタンドや検量室を包み込む色彩はおそらく、ザフェロー(The Fellow)やカスバーブリス(Kasbah Bliss)を手掛けたフランソワ・ドゥーマン(François Doumen)元調教師の心の琴線に触れたのだろう。ドゥーマン氏は、「いかにもフランスらしくありませんか?これはシャンパン色ですよ?」と感心した。
パドック周辺では多くの人々が新生ロンシャンを祝福して乾杯していた。そこでは新しいブラッスリー(ビールなどの酒と料理を提供する気軽なレストラン)のための工事が続いていて、臨時のバーが設置されていた。
競馬場のシンボルとも言うべき鉄格子の正門(Grille d'Honneur)は改修前のままである。来場者はこの門を通り抜ければ、一続きの広々として緩やかな階段に飲み込まれる。この階段は1930年代のMGMミュージカル映画を模倣したものなのかもしれない。
2015年の凱旋門賞を制したゴールデンホーン(Golden Horn)が走り去ってすぐにブルドーザーが動き始めたが、グラディアトゥール(Gradiateur)の銅像は以前のように高い所に立ち尽くしている。グラディアトゥールは1865年英ダービーの勝馬で、"ワーテルローの復讐者(Avenger of Waterloo)"という異名を授けられた。この像は以前から待ち合せ場所とされており、今後もますますその役割を果たすだろう。
様々な配置換えを目にしたこの日だが、目印となる馴染みの場所もいくつか必要だ。ほぼすべての会話は、「いったい自分がどこにいるのかが分かるのにしばらく時間がかかりそうだ」といったフレーズで始まる。
パリロンシャン競馬場の歴史にその名を刻んだのは、フランシス・グラファール(Francis Graffard)調教師にほかならない。新しい時代の最初のレース(カルフールキュリー賞)をドレミファソル(Do Re Mi Fa Sol)で制したのだ。記念撮影に現れなかったことについて、同調教師は後に「新しいスタンドから出てきたときに迷ってしまいました」と明かした。だたし、それは彼一人ではなかった。
ドレミファソルの馬主はコリン&メルバ・ブライス(Colin and Melba Bryce)夫妻。ランドリーコテージスタッド(Laundry Cottage Stud)のオーナーである。
コリン・ブライス氏は後にこう説明した。「レースを見るために最上階に上りました。素晴らしい眺めでした。レース後にエレベーターで降りて、エスカレーターの方に向かいました。すると、そこでは数百もの人々が下の階の方へ殺到していました。建物を出ると馬はいなくなっていました。しかし、これは新生ロンシャンの1日目にすぎません」。
ブライス夫妻は、2010年の凱旋門賞開催日にジャンリュックラガルデール賞(G1)で優勝したウートンバセット(Wootton Bassett)を生産したことで有名だ。オープン日の午後にはボーダーフォース(Borderforce)もハンデ戦を制して賞金を手に入れたので、パリロンシャン競馬場はブライス夫妻のお気に入り競馬場ランキングの上位に入ったはずである(この時はさすがに、馬主も調教師も記念撮影に間に合うようにウィナーズサークルに到着した)。
コリン氏はこう語った。「グランドスタンドの色は人によって好き嫌いがあるでしょうが、あらゆる場所が広々としているように感じます。そして素晴らしい眺めです。カットアウェイレール(訳注:最終コーナーを回って直線に入った直後で馬場の内側に大きく入り込んでいる内柵)は、不幸な事故を減らし、各馬が真剣に競い合えるようにするでしょう」。
一般入場券で競馬場に入って人の流れに乗ることは面白いほど簡単で、競馬ファンはグラディアトゥール像のある1階テラスから必要な行動をすべて取ることができる。
大半の競馬場の馬券発売所はグランドスタンドの下にある。そのため、サンクルー競馬場やアンギャン競馬場のコアな馬券購入者は光を浴びることはめったになく、モニターから離れられない。
しかし、パリロンシャン競馬場のグランドスタンドは正面も後面も開放的であり、パドックと馬場を行き来する途中に飲み物カウンターと軽食コーナーがある。馬場とパドックの行き来は30秒で済む。
競馬場で景色を眺める習慣を失った者もいるかもしれないが、多くの人々はグランドスタンドの端から端まで柱や建造物に遮られることなく緑が広がる景色をうっとりと眺めている。
春から夏にかけての気持ちの良い時期に、パリロンシャン競馬場は薄暮開催を施行した後、バンドやDJによるコンサートを開催する。その時の開かれた雰囲気に、文字通り新鮮な息吹を感じることだろう。
グランドスタンドからやや離れたところにある"英国人限定"の観戦スペースが不足しているようだ。凱旋門賞当日はこのことが障害となるかもしれない。
パドックは以前と同様に、グランドスタンドの裏手に位置する。驚くべき記憶と正確な寸法感覚を持つ者だけが、24ヤード(約21.6 m)ほど狭くなっていることに気付くだろう。
木の枝にようやく葉が茂るとき、この変化はずっとうまく隠されるだろうが、それでもパドックは、出走馬と騎手が時計回りに回るのを十分に見られる楽しい場所である。観察力のある人々は、どの馬が勝ちそうか目星をつけることができるだろう。
パドック全体を見渡せば、左手に厩舎があるが、以前と比べて唯一物足りないものはパドック内のレストランと飲み物カウンターである。以前はいつもそこで立ち止まってエスプレッソをすすり、数人の調教師、そしてさまざまなエージェント(馬売買仲介者)など競馬サークルの人々と話すことができた。
右手の新しいブラッスリーができるスペースには、以前は検量室があったが、騎手が外の喧騒から守られ1人になれたガラス張りの橋と一緒に歴史のかなたに消えてしまった。
しかしグランドスタンドの反対側に行けば、以前と同じフォルスストレート(見せかけの直線)などを特徴とする壮大な舞台が広がる。
過去の凱旋門賞優勝馬、ダンシングブレーヴ(Dancing Brave)、パントルセレブル(Peintre Celebre)、そして最近のゴールデンホーンのイメージが消えることはない。これらの馬は勝利した後コンクリートの旧グランドスタンドの前でパレードし、その後、パドックとウィナーズサークルへ続く通路に引き返していた。
パドックの真ん中に立ち、観客のいる階段を振り返って見ると、超現代的な景観ではあるが、どこにも行けず立ち尽くしてしまう。建築家と建設業者は、フランス競馬の素晴らしい舞台にふさわしい観客席を創造するのに本領を発揮した。今や、新しいパリロンシャン競馬場の時代の思い出を創り出すことは、私たちに委ねられている。
パリロンシャン競馬場への行き方 パリロンシャン競馬場はパリ市の西に位置し、凱旋門(エトワール広場)からわずか5 kmのところにある。以下の2つが最寄駅である。 (1)【北】ポルトマイヨ駅(メトロ1番線)/ヌイイ-ポルトマイヨ駅(RER C線) (2)【南】ポルトオートゥイユ駅(メトロ10番線) 徒歩の場合は、どちらの駅からも"短い散歩"とは言えない距離を歩かなければならない。しかし、週末と祝日の開催日にはこれらの駅と競馬場の間を無料シャトルバス(仏語:ナヴェット)が往復している。大半の開催日には、入場門で入場料を支払えるが、ウェブサイトを通じてチケットを購入することをお勧めする(france-galop.com/en/node/64)。全種類のチケットについての解説も掲載されている。今年の凱旋門賞ウィークエンドは10月6日と7日である。 |
By Scott Burton
[Racing Post 2018年4月15日「'What could be more French? It's the Colour of Champagne!'」]