米国三冠達成は出生年の生産頭数に関係するか(アメリカ)【その他】
2018年6月9日は簡単には忘れられない日付となるだろう。ジャスティファイ(Justify)がベルモントパーク競馬場の9万人を超える観客の前でベルモントS(G1)を制し、史上13頭目の三冠馬となったのだ。
2014年6月7日も記憶に残る日付であるが、それはこの日のベルモントSの結果によってではない。三冠制覇に挑んだカリフォルニアクローム(California Chrome)が4着に終わった後に発せられた言葉によってである。
唖然としていたNBCのケニー・ライス(Kenny Rice)氏のインタビューで、カリフォルニアクロームの馬主の1人スティーヴ・コバーン(Steve Coburn)氏が予想外の危うい発言をしたのだ。カリフォルニアクロームは、ケンタッキーダービー(G1)にもプリークネスSにも出走しなかったトーナリスト(Tonalist)の4着に敗れた。2着馬コミッショナー(Commissioner)もこれら2レースに出走せず、3着馬メダルカウント(Medal Count)はダービーで8着となったがプリークネスSは回避した。
コバーン氏は、「私は61歳ですが、このような方法をとっているかぎり、生涯二度と三冠馬を見ることはないでしょう。これらの馬が最後の最後でゲームに加わったのはフェアではありません。ケンタッキーダービーに出走するのに十分な実績がないのであれば、他の2レースにも出走すべきではありません。中途半端は良くありません。これは卑怯な手だと思います」と語った。
誰でも意見を持つ権利はある。
しかしそのたった1年後に、アメリカンファラオ(American Pharoah)がベルモントSを制し、37年ぶりの三冠馬となった。同馬は、フロステッド(Frosted)、キーンアイス(Keen Ice)、ムブタヒージ(Mubtaahij)、フラメント(Frammento)、マテリアリティ(Materiality) を破ったが、これらの馬はすべてケンタッキーダービーに出走したもののプリークネスSを回避している。そして3年後にはジャスティファイがベルモントSを制し三冠を達成したが、三冠競走すべてに出走していた馬がもう1頭いた。カルメットファーム(Calumet Farm)のブラヴァーゾ(Bravazo)だ。
コバーン氏のことは大目に見るとしよう。おそらく、違う観点だったのだろう。出走馬のことではなく、別の次元で三冠競走について話していたのかもしれない。
競馬の黄金時代である1970年代、3頭が三冠を達成した。セクレタリアト(1973年)、シアトルスルー(1977年)、アファームド(1978年)である。これらの三冠達成馬はそれぞれの出生年に生産された2万4,361頭、2万7,586頭、2万8,271頭の中から出現した。
1979年から2015年までの間、13頭がケンタッキーダービーとプリークネスSを制して二冠を達成したが、様々な理由で三冠を達成できなかった。
三冠を達成し損ねたこれら13頭が生まれた年の北米生産頭数(カナダ・プエルトリコを含む)はすべて、セクレタリアトが生まれた年の生産頭数を上回っていた。すなわちこの期間においては、育成され、セリで購買され、厩舎に馬房を得ること、すべてにおいて競争率が高かったのだ。
2008年の経済不況により、生産頭数は2000年代の初めよりも少なくとも3分の1は減少した。そしてピークだったアリシーバが生まれた1984年(4万9,241頭)やサンデーサイレンスが生まれた1986年(5万1,296頭)よりも、生産頭数は半減している。経済不況以降のアメリカンファラオが生まれた2012年には2万3,538頭、ジャスティファイが生まれた2015年には2万2,936頭しか生産されていない。
サラブレッド競馬は数当てゲームである。したがって、生産頭数も検討材料の1つである。
しかし何よりも、競馬は馬が主役のスポーツだ。今後論じられることを聞けば、ジャスティファイは確かに偉大で、どの世代においても最高の馬であることが分かってくるだろう。
By Evan Hammonds
[bloodhorse.com 2018年6月13日「What's Going On Here-Sizing Up Justify」]