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2020年08月24日  - No.8 - 5

ジョン・ムーア調教師、華やかなキャリアを終えて新天地へ(香港)【その他】


 華やかなキャリアを終えるジョン・ムーア調教師(70歳)は、荷造りをして香港を離れようとしている。ムーア調教師はそのキャリアにおいて、勝馬1,734頭を送り出し、賞金2億7,000万米ドル(約283億5,000万円)を獲得し、香港競馬のプロシーズンが始まった1971年以降で最も成功した調教師となった。

 しかしムーア調教師は引退しない。それどころか、豪州出身の"伝説のジョッキー"ジョージ・ムーア氏の息子は、弟ゲイリー氏と共同免許を取得してシドニー西郊のローズヒルで調教活動を始めようとしている。ゲイリー氏は騎手として1981年凱旋門賞(G1)でゴールドリバー(Gold River)を勝利に導いている。

 ムーア調教師は現在、TRCグローバルランキング(TRC Global Rankings)で第12位。香港での35年間の調教師生活の後、香港ジョッキークラブ(HKJC)が規定する定年に達したので引退することを余儀なくされた(訳注:HKJCは当初、調教師の定年を65歳としていたが、ムーア調教師に5年間の延長期間を与えた)。

 プログラムにムーア調教師の名前のないシャティンやハッピーバレーの競馬開催は想像しがたい。しかし7月15日(水)にブラジル人ジョッキーのバグネル・ボルヘス(Vagner Borges)騎手が乗るサニーボーイ(Sunny Boy)が最終レースを走り切ってしまえば、それは現実のものとなる。単勝15倍のサニーボーイは、外側の11番ゲートからの発走なのでよっぽどの運が必要となる。ムーア調教師は最後の勝利を挙げるのに、サニーボーイよりも前に出走する4頭のどれかを当てにしなければならないかもしれない(訳注:最終的にサニーボーイは10着に敗れ、その他4頭も振るわず、この日ムーア調教師の勝利はなかった)。

 ムーア調教師は香港の調教師としての最終日の前日にこう語っていた。「まだ実感していません。たしかにとても寂しくなりますが、競馬と決別するわけではありません。豪州の新天地でゲイリーと一緒に調教活動を続けます。むしろ状況の変化として捉えています」。

 同調教師は香港のすべてに愛着を感じている。英国植民地から中国の特別行政区となった香港で49年もの歳月を過ごしてきたのだから無理もない。成人になってからほとんどずっと、この土地の慣習や文化にどっぷり漬かってきた。

 ムーア調教師は1985年に調教師免許を取得し、リーディングタイトルを7回獲得した。香港ダービー馬6頭、香港年度代表馬8頭を手掛けた。そしてドバイやシンガポールなどで勝利を挙げ、国際G1優勝馬36頭を送り出した。

 ジョン・ムーア調教師とムーア家の物語は、現在の香港競馬の土台の一部であり、それらはすべて偶然に起こった。

キャリア初期

 ジョン・ムーア調教師は競馬の国際舞台で大きな役割を果たすための教育を受けてきた。父ジョージ氏は20世紀最高の豪州人騎手の1人であり、30年以上の騎手生活で2,278勝を挙げた。シドニーでリーディングタイトルを10回獲得し、1967年にはロイヤルパレス(Royal Palace ノエル・マーレス厩舎 馬主:ジム・ジョエル氏)で英ダービーを制した。

 弟ゲイリー氏は香港では7回、凱旋門賞を制したフランスでは1回リーディングジョッキーとなった。叔父ガーネット・ブグア(Garnet Bougoure)氏は騎手として愛ダービーで優勝し、騎手としても調教師としてもシンガポールで大きな成功を収めた。

 ムーア調教師は豪州の多くの若者と同様に、世界を見たがった。10代後半にニューサウスウェールズ州でアマチュア騎手として騎乗していた経験から、シンガポールのブキティマ競馬場に誘われた。そこで、叔父に指導されてプロ・アマ混合の競馬開催で騎乗した。叔父は騎乗拠点として香港も検討するように勧めていた。

 ムーア調教師は香港で騎手免許を取得することを決心し、アマチュア騎手としての最後の数ヵ月間、香港を拠点に騎乗した。そして1971年に当時唯一の競馬場だったハッピーバレー競馬場でプロシーズンが始まったとき、プロの騎手となった。

 そのため、ムーア調教師は冬の数ヵ月間に、レスター・ピゴット、ジミー・リンドリー、イヴ・サンマルタン、ジョー・マーサーのような騎手と付き合うようになった。また、香港を拠点とする豪州・英国出身の騎手5人組とも交流した。

 弟ゲイリー氏は、うわさによればピアジェ(高級時計ブランド)の腕時計のベルトを交換するために、香港に立ち寄った。そして香港で騎乗した2ヵ月間に多くの勝鞍を挙げた。父ジョージ氏もその頃、フランスで調教活動を行うことを望んでいたが、馬主のネルソン・バンカー・ハント(Nelson Bunker Hunt)氏との関係が冷え始めていたので、香港に移籍することになった。

 父ジョージ氏が調教師、弟ゲイリー氏が主戦騎手、そしてジョン・ムーア氏が攻馬手として、ムーア家が1972-73年シーズンを始めるという事態が生じた。その後、ムーア家の香港競馬界への影響は数十年にわたって続くことになる。

 父ジョージ氏への高い評価により、発展に向けて重大な時期を迎えていた駆け出しの香港競馬への信頼性は世界中で高まっていた。当時の香港は現在のように洗練されて評価の高い競馬地区ではなかったが、ムーア家のプロ意識が香港競馬の水準を劇的に引き上げた。

調教師免許

 香港ジョッキークラブ(HKJC)はジョン・ムーア氏に、父ジョージ氏の調教助手に自動的になれるわけではないとはっきり述べていた。免許が大きな価値をもち希少だったことから、それは身内びいきに対する非難ではなかった。

 ムーア調教師はこう語った。「HKJCは私を"調教師の助手"として扱おうとしました。大きな違いは、HKJCから給料が支払われるなど、調教助手の特権を享受できなかったことです。私は基本的に自らに責任を持つことを請け合う合意書に署名しなければなりませんでした。しかしそれにより、厩舎に入って馬を扱うことができました。それが重要なことでした」。

 「騎乗を続ける傍ら、競馬場から離れたところで保険販売業を始めました。ビジネス街の中環(セントラル)地区にオフィスを構え、朝にハッピーバレーでの調教に騎乗してからシャワーを浴びてスーツに着がえてオフィスに向かいました」。

 「ビジネスで十分な利益を得て、前進し続けることができました。そして毎朝父の馬に乗ることにより、優良馬がどのようなものかという感覚が身につき、挑戦する機会がめぐってきました」。

 父ジョージ氏は香港で13シーズンにわたり調教活動を行った。そのうち11シーズンでリーディングトレーナーに輝き、息子ジョン氏はおそらくその勝馬率を押し上げていた。

輸入馬で結果を出すムーア家

 ジョン・ムーア調教師はトレーナーとして、実に目覚ましい成績を収めてきた。短い香港競馬史において、最高賞金獲得トレーナーに君臨している。これは同調教師の優良馬を調達する手腕、そして馬のためなら金に糸目をつけない裕福な馬主を探し出す手腕によるところが大きい。

 右肩上がりの香港の賞金レベルは、ムーア調教師の調教事業を支え、人気のサラブレッドを導入する上で役立っていた。

 これまで金額について公にされたことはないが、ある情報筋によると2006年香港ダービー馬ヴィヴァパタカ(Viva Pataca)は、カジノ王スタンレー・ホー氏により当時の馬取引市場では巨額の100万ポンド(約1億4,000万円)で購買された。同馬は英国でサー・マイケル・プレスコット調教師の管理の下、コミックストリップ(Comic Strip)という馬名で出走していた。

 最近では、とりわけ香港ダービー(4歳限定戦 3月に施行)の有力馬を手に入れようとすると、このくらいの購買額はよくあるものとなっている。

 アンソニー・カミングス(Anthony Cummings)調教師に管理されてローズヒルギニー(G1)で2着となったビューティージェネレーション(Beauty Generation)は、うわさによると約250万豪ドル(約1億8,750万円)で購買された。同馬は今や獲得賞金の記録を打ち立て、来シーズン(2020年9月~)以降はデヴィッド・ヘイズ(David Hayes)調教師により管理される予定。ヘイズ調教師は、ヴィクトリア州の調教複合施設リンジーパークでトム・ダバーニグ(Tom Dabernig)氏と息子ベン氏とともに調教活動を行い、成功を収めている。しかし今般、その事業から離れて、1990年代に2回リーディングトレーナーとなった香港に戻ってくる。ちょうどムーア調教師とは反対方向の移動となる。

 ムーア調教師には、高額購買馬を香港に到着したときの評価を損なわせないように管理し、多くの場合その才能をさらに開花させる才覚がある。それが、重賞レースの数が限られた香港を拠点にしながらもTRCランキングの上位にとどまり続ける理由の1つである。

 ちなみに、TRCランキングでムーア調教師よりも上位にいる豪州の調教師は2人いる。それは、ゴドルフィンの馬を預かるジェームズ・カミングス(James Cummings)調教師(第7位)とクリス・ウォラー(Chris Waller)調教師(第8位)である。

今後のシドニーでの調教活動

 弟ゲイリー氏とともに調教事業を行うにあたり、多くの香港の馬主とコネクションが必要となる。それは、シドニーの厩舎以外で管理する馬を購買するためであり、有名馬主のボニフェイス・ホー・カクイ(Boniface Ho Ka-kui)氏は1歳馬24頭を購買している。

 ムーア調教師は、「豪州で活躍するような欧州のステイヤー血統の馬も探しています」と述べた。

 全盛期に荷造りして出て行くのは、ストレスのたまる仕事だ。しかし、ムーア調教師とフィフィ夫人にとって事態をさらに複雑にしているのは、豪州政府が新型コロナウイルス感染拡大防止のためにシドニー着の国際便数を減らしていることだ。

 「現在フライトを確保するのは至難の業ですが、豪州の競馬シーズンが始まる8月1日までには到着しておきたいです。すでに遠隔でゲイリーのところにいる2頭を調教しています。私たちはテクノロジーを駆使しています。現在、シドニーの調教師もメルボルンを拠点する馬に同じこと行っています」。

 ムーア調教師を待ち構えているのは、豪州の調教事業の現実である。香港での高額の厩舎運営費は、香港ジョッキークラブが補助してきただろう。今後は、自ら支払いを管理し、保険を掛け、輸送手段を整えるなどの作業を行わなければならない。

 「目標は豪州でG1を制覇することで、それが死ぬまでにやっておきたいリストの一番上にあります。しかし、何を置き去りにしてきたかも分かっています。ヘイズ調教師は"香港がディズニーランド(夢の国)であることを忘れないでほしい"と言いました。彼はよく分かっています」。


By JA McGrath

(1米ドル=約105円、1ポンド=約140円、1豪ドル=約75円)

 (関連記事)海外競馬ニュース 2019年No.26「香港の最多勝トレーナーのジョン・ムーア調教師、来シーズンで引退(香港)

[Thoroughbred Racing Commentary 2020年7月15日「What's top of John Moore's bucket list as he bids farewell to 'Disneyland'?」]


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