伝説のスプリンター、ショワジールが22歳で死亡(オーストラリア)【生産】
ショワジールは先駆的な豪州のスプリンターであり一流種牡馬だった。南半球調教馬として初めてロイヤルアスコット開催のキングズスタンドS(当時G2)とゴールデンジュビリーS(G1)の名誉あるダブル制覇を果たしたショワジールは、18年間繋養されてきたクールモアスタッド(ハンターバレー)で息を引き取った。
この人目を引く栗毛の種牡馬は、12ヵ国でステークス勝馬100頭とG1馬11頭を送り出している。現役時代にはポール・ペリー調教師に管理され、欧州の競馬場で偉業を成し遂げて"国民的英雄"とたたえられていた。2020年種付シーズンの前には種牡馬生活を終え、この2年間は引退生活を送っていた。
そしてクールモアにおいて、安らかに22年の生涯を閉じた。
ニューキャッスル競馬場を拠点とするペリー調教師はショワジールのことを振り返った。2003年にシンガポールの競馬が中止に追い込まれていなければ、この馬は英国に渡ることはなく豪州競馬の伝説になることもなかっただろう。
SARS(重症急性呼吸器症候群)によってシンガポールへの遠征計画とクリスフライヤースプリントへの挑戦を断念せざるをえなくなり、ペリー調教師は、運命に導かれるように、方針を変更してショワジールをロイヤルアスコット開催に向かわせた。世界が新型コロナで耐え忍んでいる現状を考えると、そこで起きたことも、運命というよりはむしろとても辛い出来事だったといえよう。
ペリー調教師は当時を回顧し、ANZブラッドストックニュースに対してこう語った。「彼はスプリント競走に出走するためにシンガポールに遠征しようとしていました。しかしウイルスがシンガポールで蔓延して競馬が中止となりました。どこかに遠征する準備はできていましたので、(元騎手でメディア関係者に転身した)ジャック・ペトリー氏の提案により英国に行くことにしました。彼が提案したことに私たちは賛成したのです」。
「ショワジールはシンガポールの競走に向けて調教を積んでいたのですが、それが突然水の泡になってしまい、それ以外に検討していたレースはありませんでした。ただ、ロイヤルアスコット開催のスプリント競走は直線コースで施行されることと、彼がフレミントンの直線をとても得意としていたことは分かっていたので渡英することにしました」。
ショワジールが有名なロイヤルアスコット開催で果たした偉業は、豪州のスプリンター、とりわけテイクオーバーターゲット、ミスアンドレッティ、ブラックキャビアなどが後に歩むことになる道を切り開いた。ショワジールはこの開催の2戦目となったゴールデンジュビリーSでコースレコードを更新したのだ。
のちに種牡馬になるショワジール産駒、スタースパングルドバナーはコーフィールドギニー(G1)とオークレイプレート(G1)の優勝馬であり、彼もまた2010年に英国でゴールデンジュビリーSとジュライカップ(G1)を制している。
クールモアは、ロイヤルアスコット開催で目覚ましい偉業を成し遂げた直後のショワジールをいち早く手に入れた。その2年後には同じくペリー調教師が手掛けたファストネットロックを種牡馬候補として購買することなる。ショワジールのロイヤルアスコットでの偉業において、ペリー家とその長年の顧客であるテリー&ダイアン・ウォレス夫妻は疑うことをしらない英国の大手ブックメーカーの油断に付け込んでキングズスタンドSでショワジールの馬券を高いオッズで購入し、同時にとんでもない配当の2重勝式馬券(2競走の1着馬を当てる)も的中させたと言われている。
現在72歳のペリー調教師はいつものように控えめに「この馬に賭けてかなりの金額を稼いだと思いますよ」と語った。
ショワジールは最後の一戦となる2003年ジュライカップ(ニューマーケット)でオアシスドリームの2着となった。そしてその年の9月にクールモア・オーストラリアで種牡馬生活を送るために引退した。
クールモア・オーストラリアを率いるトム・マグニア氏は12月6日、ショワジールの死のわずか数時間後にこのスプリンターに敬意を表した。
「幸運にも2003年にアスコットでショワジールが火曜日と土曜日にジョニー・ムルタ騎手を背に挙げた素晴らしい勝利を目にすることができました」。
「彼を管理したポール・ペリー調教師の素晴らしい功績であり、将来の豪州のスプリンターが世界を舞台に殊勲を立てる道を開きました」。
「2003年に種牡馬となるために引退してからは、彼に関わったすべての人々に愛され、とりわけ長年種牡馬マネージャーを務めてきたジェリー・ライアン氏は彼のことを特に気に入っていたようです」。
「ショワジールは成し遂げてきたことすべてにおいて究極のプロフェッショナルであり、すべての種馬場が彼のような種牡馬を供用することを夢見ています」。
「彼にはとても感謝しており、クールモアのチーム全員が彼の死を心から惜しむでしょう」。
クールモアのシャトル種牡馬デインヒルダンサーの南半球の2年目の産駒であるショワジールは、2001年イングリス社クラシック1歳セールに上場された。ペリー調教師は、ロス・デイズリー氏により生産されたショワジールを5万5,000豪ドル(約440万円)で購買し、ウォレス夫妻とともに所有した。
その頃デインヒルダンサーはまだ実績が証明されていないシャトル種牡馬だったが、デインヒルダンサーが2歳馬として競走していた1995年にペリー調教師はアイルランドを訪れ、競馬場で彼の勝利を目の当たりにしていた。
ペリー調教師はこう語った。「あるときアイルランドで競馬を見に行きました。パット・エデリーが乗っていたと思うのですが、デインヒルダンサーが勝利を挙げるのを見て、そのときから気に入っていたのです」。
「ショワジールは1歳のとき、大きな存在感がありました。たくましくて大きな馬だったのです。彼についてはいつも好ましいところがありました」。
記録が示すように、ショワジールはブリーダーズプレート(L)とスカイラインS(G3)を制した後、パゴパゴS(G2)、ゴールデンスリッパーS(G1)、ATCサイアーズプロデュースS(G1)、ATCシャンペンS(G1)で3着内に入っている。
3歳のときには欧州遠征に先駆けて、フレミントン競馬場でVRCライトニングS(G1)とエミレーツクラシック(G2)を制し、オークレイプレートで3着に入った。ヴィクトリアダービーデーのロレアルプレートで見せた奇行も記憶に残っている。このレースでは裁決委員の抗議により、プランシェ(Planchet)とブラー(Blur)がショワジールよりも上の着順に繰り上げられ議論を呼んだ。
ガリレオが初年度リーディングサイアーのタイトルを獲得した翌年であり、エクシードアンドエクセルが台頭する前のシーズンである2006-07年に、ショワジールは豪州の初年度リーディングサイアーに輝いた。その後、スタースパングルドバナー、ジャポニズム、ディヴァインプロフェット、ATCシャンペンS優勝馬ザミッション(ペリー厩舎)などを送り出している。
豪州の種牡馬ランキング(産駒獲得賞金別)でトップ20に9回入ったショワジールの直近のステークス勝馬は、11月にニューキャッスル競馬場のスプリングS(G3)を制したフェスティバルダンサー(Festival Dancer)である。
ショワジールが送り出したステークス勝馬100頭のうち33頭は2004年~2010年、2014年、2015年にアイルランドで供用されたときに北半球で生産された。その筆頭はG1馬のオリンピックグローリー、オブヴィアスリー、ザラストライオンである。これは歴代の偉大な逆シャトル種牡馬であるエクシードアンドエクセル(83頭)、ファストネットロック(46頭)、リダウツチョイス(14頭)、ロンロ(11頭)に引けを取らない。
ショワジールはブルードメアサイアー(母父)としても高く評価されており、商業的な生産者はショワジールの牝馬を求めている。重賞2勝のスプリンター、エブリーローズは今年、オンラインのセリにおいて130万豪ドル(約1億1,700万円)で購買された。
すでに彼の牝馬は欧州のG1馬5頭を含む23頭のステークス勝馬を送り出しており、クールモアのウィンターもその1頭だ。G2勝馬ボーロッサ(Beau Rossa ウィル・クラーケン厩舎)、G3勝馬エクスタイン(Eckstein)、将来有望なリステッド勝馬アイソトープ(Isotopeトニー・ゴラン厩舎)もショワジールの牝馬から生まれている。
ショワジールの17シーズンにわたる種牡馬生活は種付料3万250豪ドル(約272万円)から始まりピーク時には3万5,750豪ドル(約322万円)に達した。最後のシーズンに送り出したのは現在1歳の13頭である。そのうちの2頭(牝馬と牡馬)は、1月に開催されるマジックミリオンズ・ゴールドコースト1歳セールに上場される予定。
ペリー調教師はこう付言した。「クールモアのスタリオンパレードではほぼ毎年彼を見かけました。牧場に行って彼を見たものです。愛らしくて、優しくて、大きな馬でした。懐かしく思っています」。
By Tim Rowe of ANZ Bloodstock News
(1豪ドル=約90円)