欧州最強種牡馬ガリレオが23歳で死亡(アイルランド)【生産】
2001年の輝かしいクラシック戦線で英ダービー(G1)を制し、エイダン・オブライエン調教師により「彼のようなサラブレッドには二度と出会えないだろう」と称賛された究極の種牡馬、ガリレオが23歳で死んだ。
リーディングサイアーに12回輝いたガリレオはG1馬92頭を送り出しており、その中には偉大なフランケルがいる。ジョン・マグニア氏は、ガリレオは空前の成功というレガシーを残してくれたと述べた。
ガリレオが前肢付近に"慢性的で、治療策がなく、衰弱性の"怪我を負っていたことにより、人道的な理由から安楽死措置を取る決定が下された。
クールモアスタッドのオーナーであり、ガリレオの優秀な産駒を数多く所有しているマグニア氏はこう語った。「本日はとても悲しい日ですが、ガリレオがここクールモアにいたのは信じられないほど幸運なことでした。長きにわたって献身的にガリレオの世話をしてきたスタッフに感謝したいと思います」。
「彼は我々にとっていつも極めて特別な馬であり、ポスト・ヴィンセント・オブライエンの時代に、バリードイル(クールモアの調教拠点)にとって初めてのダービー馬となりました。また、ガリレオを手掛けたエイダンとそのチームの素晴らしい仕事ぶりにも感謝しています」。
「ガリレオがその牡駒や牝駒を通じて血統にもたらしている影響は、永続するレガシーとなるでしょう。彼の驚異的な成功はまさに前代未聞です」。
ガリレオの父はリーディングサイアーに何度も輝いたサドラーズウェルズであり、母は1993年凱旋門賞(G1)で優勝した牝馬アーバンシーである。ガリレオは最高レベルの競走馬として、2001年の英ダービー、愛ダービー(G1)、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS(G1)を制した。さらに、愛チャンピオンS(G1)ではファンタスティックライトの2着となり、このレースの歴史において人々の記憶に最も残るものの1つとなった。
しかし彼が競走馬として残した成績にも増して、種牡馬としての驚くべきキャリアのほうが光彩を放つことになった。現役時代に無敗を誇り現在は評判の種牡馬としての地位を確立しているフランケルを筆頭に、数限りないほどのスーパースターを送り出している。
バリードイルでガリレオ産駒の大半を調教してきたオブライエン調教師は、ガリレオと密接につながっており、同調教師はガリレオ産駒の"他とはかけ離れた本物の資質"を称賛した。
オブライエン調教師はこう語った。「ガリレオは実に際立っており、彼のような存在には二度と出会えないでしょう。彼がその産駒に伝える不屈の精神、それこそが彼を他とは違う種牡馬にしたのです」。
「たくさんの馬、それもそれぞれ異なる特徴を持つさまざまなタイプの馬を調教してきました。しかし、ガリレオのようにその精神的特性を産駒に伝える馬はほとんどいないと言うよりも、実際のところ皆無です。彼が産駒の精神に伝えたものは、それは本物の資質なのですが、この世のものとは思えないほどでした」。
ガリレオは競走馬として6勝を挙げたが、そのうち5勝はミック・キネーン騎手とのコンビで達成した。キネーン氏は、かつて騎乗してきたさまざまな最強馬にガリレオは匹敵すると述べ、2001年のダービー制覇は信じられないほどスムーズだったと語った。
キネーン氏は本紙(レーシングポスト紙)にこう語った。「偉大な馬の死です。私の娘でさえ、ガリレオが死んだと聞いて感情的になっていましたね。彼女にとってどれほど大切な馬だったかを示しています。彼はあらゆる点で私の人生の大きな部分を占めており、彼がもう少し長く生きられなかったのは残念なことです」。
「ダービーはとてもスムーズでした。ゲートを出たときから、一瞬たりとも不安になることはありませんでした。私たちは何を行っているのかを常に掌握していました。あれほどうまく行ったのは、ガリレオの偉大さの証だと思います。あのようなビッグレースで誰もが勝つと予想する馬に乗っているときに、そんなことが起こることはめったにありませんからね」。
さらにキネーン氏はこう述べた。「彼は乗りやすい馬でした。最初のころは自分で支配するところがあり、とても夢中になりすぎる馬でしたから、はじめに落ち着かせるのにしばらく時間が掛かりました。彼はしきりに人を喜ばせようとしていましたし、美しくバランスのとれた馬で、とてもコンビを組みやすかったです」。
「ガリレオは英国とアイルランドのダービーとキングジョージを勝てたのですが、そんなことができる3歳馬はめったにいません。私がこれまでに乗った馬の中で、彼は間違いなく最高の1頭でした」。
フランキー・デットーリ騎手は、ガリレオを負かした最初のジョッキーとなった。前述の愛チャンピオンS(レパーズタウン)でファンタスティックライトとコンビを組んで優勝し、ガリレオの無敗記録に終止符を打ったのだ。同騎手はニューマーケットでガリレオに特別な敬意を表した。
「ガリレオはまず第一に素晴らしい競走馬でしたし、種牡馬としても驚異的な存在となりました。究極の種牡馬です。サドラーズウェルズは偉大だと思っていたのですが、ここが重要なんですけど、この馬はいくつかのレガシーを残しているのです。クールモアのチームにとってはとても残念なことですが、この20年間、彼は競馬界に多大な貢献をしてきたのですから、今こそ彼を称えなければなりません」。
直近ではボリショイバレエが父の死の数時間後にベルモントダービー(G1)を制したことで、ガリレオは現在92頭のG1馬を送り出していることになり、その数はまだ増えるが、ガリレオは2001年シーズン末の現役引退以降、種牡馬として史上最多のG1馬を送り出していることが判明している。その種付料は2008年以降"プライベート価格"と記載されているが、50万ユーロ(約6,500万円)を超えていると考えられていた。
G1競走で優勝した産駒の中には、父を見習い英ダービー馬となった5頭、ニューアプローチ、オーストラリア、ルーラーオブザワールド、アンソニーヴァンダイク、サーペンタインが含まれており、それ自体も記録となっている。
ガリレオのその他の代表的な産駒は、ナサニエル、ヴァルトガイスト、ファウンド、ラブ、マジカル、ハイランドリール、テオフィロ、マインディングなど多数である。
ガリレオの影響はセリにも及んでおり、1歳の産駒はもう当たり前のように7桁(100万ギニー以上)の価格で取引されるようになった。
ジョアン殿下のアルシャカブレーシングは2013年、当時1歳のアルナーマ(Al Naamah)を500万ギニー(約8億1,375万円)で落札して、それがガリレオ産駒の最高価格となっている。一方ガリレオがスプリンターの牝馬と相性が良いことが判明したことをうけ、クールモアのパートナーたちは2017年、優良スプリンターのマーシャを600万ギニー(約9億7,650万円)で購買し、ガリレオと交配させた。
By David Jennings
(1ユーロ=約130円、1ポンド=約155円)
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[Racing Post 2021年7月10日「'We will never see the like of him again' - glorious Galileo dies at 23」]