競走馬を生産して1歳セリに上場するまでにかかるコスト(イギリス)【生産】
格安で購買した繁殖牝馬がチャンピオンを誕生させたり、小規模な生産者が6桁(数十万ギニー)で売れるような仔を送り出す魔法のようなファミリー(牝系)を発掘したりといった話を読むと、多くの人たちが自分もその分け前にあずかってみたいという空想に耽ることだろう。
なにしろ競走馬の生産はジョン・マグニア氏やモハメド殿下にかぎられた領域ではないのだ。たとえば、ジョン・ヘイズ氏は2007年に初めての繁殖牝馬を2万5,000ユーロ(約363万円)で購買し、この繁殖牝馬は優秀な仔を出し大変な成功を収めた。ティペラリーに住む建築技師であるヘイズ氏は、フランケルの種付料を捻出し、生まれてきた牝駒を1歳のときに65万ユーロ(約9,425万円)で売却したほどだ。
馬を1頭でも所有することは大多数の人々にとってはファンタジーである。毎年およそ2万ポンド(約330万円)のコストがかかる。このため馬主シンジケートの発達がますます重要になってきている。
しかし、大半の馬主が"賞金からコストを回収する見込みはほとんどない"と認識しているが、楽観的な生産者の目標は、生産馬を市場に送り込みそこで利益を得るということになるのだろう。つまるところ、セリに流れ込む目もくらむような数百万ドルは必ず誰かのポケットに入るはずなのだから・・・。
コストを回収することは可能なのだろうか?
理論的にはもちろん可能なのだが、いろいろな障害や統計が現実に存在し当惑させられる。サラブレッド生産者協会(TBA)が2018年に発表した『経済影響調査報告』は、そうした問題を取り上げた最も決定的な報告書である。
そこには英国の3,318人の生産者が記載され、調査の結果、66%が採算を取れていないことが明らかにされている。しかし別の項では、32%が馬を販売することよりも、将来産駒を出走させることに純粋に興味があると説明している。そして、そのような人々の多くが赤字を出している生産者の中に含まれているのではないかと推測される。
生産者といっても千差万別であり、不況の影響を受けない人から、壊れたトラックを使って借地で何とかやっている人までいる。しかしここでは、平地向けに生産した1歳馬を販売しようとする新参生産者の仮想コストと起こり得る結果について考察してみた。平地競走馬の1歳セールは最も競争が激しく、儲かる市場だ。
その者は牧場を所有していない。だから架空の繁殖牝馬を他の者に預託しなければならない。その預託先牧場はある程度の利益を得るが、そのためにはこの繁殖牝馬に餌をやり、世話をし、なるべく余計なコストがかからないようにすることになる。
2020年の年明けまでに繁殖牝馬を手に入れたとする。おそらく冬の繁殖セールで購買したのだ。英国とアイルランドでのスタッドへの預託料にはばらつきがあるが、1日20~25ポンド(約3,300~4,125円)が目安となるだろうから、ここでは1週間の預託料を140ポンド(約2万3,100円 付加価値税は除く)と仮定する。
大きな事故がなくても、この牝馬のために装蹄・歯の治療・予防接種などでさらに500ポンド(約8万2,500円)ほどのコストがかさむだろう。彼女がその年に種付けされるとして、若くて人気のある種牡馬の中からセリで利益を生みそうな種牡馬を選ぶと、輸送費を含めて7,000ポンド(約116万円)が上乗せされる。
2019年末の数週間の預託料を含めると、2020年末までに1万5,500ポンド(約256万円)程度の出費になりそうだ。
2021年に初仔が生まれ、ふたたびコストは上昇する。仔馬の出産費と登録料を負担しなければならないのだ。仔馬が離乳するまでの生後6ヵ月間は1日20ポンド(約3,300円)の預託料に5ポンド(約825円)の追加料金がかかるかもしれない。離乳後は仔馬の預託料は別計算となり、おそらく1日15ポンド(約2,475円)の追加料金がかかる。ざっと計算すると1万1,500ポンド(約190万円)になる。
2022年の真夏まで母馬と仔馬は同じ預託先牧場において同一の預託料で飼養されていたが、秋のセリに上場することを見込んで1歳馬を仕上げなければならない。さらに追加料金が発生する。1日あたり35ポンド(約5,775円)で8週間。そのうえ1歳馬をセリに出し、そこに収容するために数百ポンドの費用がかかる。全部でおよそ1万4,000ポンド(約231万円)近くになると予想される。
極めて一般的な計算だが、1歳馬がセリに上場されるまでに3年間で4万1,000ポンド(約677万円)近くを費やしている可能性がある。
これまで、繁殖牝馬は徐々に価値が下がっていくとはいえ固定資産のようなものとして扱ってきた。しかしそもそも買う必要があるだろう。目安としては、立派なセリに上場できるよう仔を送り出す可能性のある血統と競走成績を持ち合わせた繁殖牝馬の中間価格は2万ポンド(約330万円)程度になる。
これらの数字は、同じようなことをやっている生産者に確認したうえで出てきたものであるが、この期間に繁殖牝馬をあと2回交配させ、もう1頭の仔馬を生産できたかもしれないという現実は含まれていない。
つまり、一般的なレベルでスタートするために8万ポンド(約1,320万円)程度の資金が必要だということは考えられないことではない。のちにセリで回収できることを期待するとしてもだ。
潜在的な回収
生産者はセリで神経質になる。うちの1歳馬の外見は気に入ってもらえるだろうか?そして父馬は今年どのように評価されるのか?また牝駒ではなく牡駒を産むという幸運にでも恵まれれば、もう少し高い値がつくかもしれない。
セリの結果は、平均価格よりも中間価格を目安にすれば洞察力がいっそう高まる。平均価格は最高レベルの価格によって歪められることがある。もし私たちが父馬としてハバナグレイを選んでいたのなら、交配相手として選べる種牡馬の中でも最高の結果を得ていたことだろう。ハバナグレイの初年度産駒はレースで上々の成績を収めているのだ。
そのような成功の結果として、ハバナグレイの1歳産駒の1頭は23万ポンド(約3,795万円)で購買され、2022年のセリでのハバナグレイ産駒の中間価格は4万2,000ポンド(約693万円)となっている。ただし上場者への手数料として5%を差し引かなければならず、手元に残るのは3万9,900ポンド(約658万円)である。つまり全部込みで1,100ポンド(約18万円)が不足していることになる。
しかし思い出してほしい。ハバナグレイの産駒を産ませていれば、限られた予算でもそこそこのものになったということなのだ。この価格帯の種牡馬には、ほとんど人気がなく、中間価格が種付料すら上回っていないような種牡馬がいるのだ。
さらに1歳馬が中間価格より高く売れる可能性は十分にあるが、主取りとなってしまい4万1,000ポンド(約677万円)(およびその他すべて)のコストだけでなく、1歳馬が手元に残ったままということだってありえる。
そのうえルーレットをもう一度回して繁殖牝馬をふたたび交配させるということに普通はなるだろう。アーダッドやハバナグレイを抜け目なく選べばトンネルの先に光が見え、繁殖牝馬の初期費用もカバーできるかもしれない。しかしあまりうまくいかなかったら、深みにはまっていくばかりだ。
よく言われるように、競走でも生産でも馬は機械ではない。繁殖牝馬が運良く8年連続で仔を出しても時には1年の休養期間が必要だったり、種牡馬をふたたび訪れたり受胎しなかったりすることもある。そしていつでも事故は起こりうる。
ある小規模な生産者はこう言う。「当歳馬や1歳馬をセリに出すだけでもお金はかかりますし、売れないかもしれません。繁殖牝馬をがらりと交替させていくか、突然人気が出た種牡馬の仔がお腹にいて誰もがその仔馬をほしがるといったことでもないかぎり、底辺にいて利益を上げるのは間違いなく難しいのです」。
今後の方針
説明してきたシナリオ以外にもさまざまな可能性がある。それは、すでに仔がお腹にいる牝馬を引き取ったり、コストを削減するために仔馬を当歳のうちに売ったりといったことだ。
フォントヒルスタッド(ウィルトシャー)でパートナーのマット・ボーウェン氏とともに繁殖牝馬を預かるナタリー・フォランド氏は、新規の生産者からよく連絡を受けると述べる。
彼女は見込み客に対して、"一定の繁殖牝馬で生産を行ってはいけない"とか"知名度の低い種牡馬を交配相手に選んではならない"とか率直に話す。そして彼らがもともと何をやりたいのかについて尋ねる。
フォランド氏はこう語った。「リスクを減らすということもありますが、きちんとした競走馬を生産するために手伝いたいのです」。
「利益を追求する生産者やオーナーブリーダーの共通目標は、レースで勝ち数年間の現役生活を健康に過ごす"正しい"馬を生産することです。またそのような生産者にとっては儲けを出すことは追加的な目標です。優秀な競走馬を生産することで、母馬の価値は上昇し、ひいては生まれてくる仔馬の価値も上がるのです」。
このようなことは多くの人にとって高くつく追求であり、手の届かないものであることはほとんど間違いない。しかし英国とアイルランドで産駒数が減少傾向にあることに、業界内では懸念の声が高まっている。
収益に直接的な影響が及ぼされるようにならなければ、競馬産業は広範にわたりこの問題に適切な対処ができないのかもしれない。しかし、これまで以上に生産者が必要とされていること、新しいアイデアが渇望されていることを思い起こす必要がある。
フォランド氏はこう続けた。「シンジケートが発達しており、人々の関与を奨励するうえで肯定的な動きだと実感しています。これについて私たちが将来何か提案できるかもしれないので、ここ数ヵ月間に多くの議論をしてきました。 純粋に問い合わせてくる人々がいたからです」。
「競走馬の生産を始めるのに最適な方法だと思います。財務リスクも少なく、経験豊富なシンジケートマネージャーが全体のプロセスを監督していることが多いからです」。
フォランド氏は生産を開始するにあたり最も簡単な方法はネットワーキングであると助言する。それは、馬主・マネージャー・エージェントに情報を聞いてまわること、そして基本的には常に油断なく気を配ることである。
「うまくいっているときは素晴らしく、満足感が得られる経験です。いろんなことが失敗してしまうと、お金もかかるし心が折れそうになります。現実的に考えること、そしてあらゆる側面について率直に話し合うことが大切です。そうすれば、途中で驚愕するようなことはないでしょう」とフォランド氏は語った。
By Tom Peacock
(1ユーロ=約145円、1ポンド=約165円)
[Racing Post 2022年10月9日「How much does it cost to breed a racehorse?」]