世界一成功しているプエルトリコの競馬学校(アメリカ)【その他】
不動産において最も重要な金言は「立地、立地、立地」である。しかし、どうやら騎手になることに関してもこの言い古された文句はあてはまるようだ。
ここで考えてみたい。プエルトリコのカマレロ競馬場(プエルトリコ・サンフアン東部)にある競馬専門学校(Escuela Vocacional Hípica:EVH)は、唯一競馬場の敷地内にある騎手養成学校である。
エクリプス賞が1971年に創設されて以来、EVHの卒業生は9名が最優秀騎手として、7名が最優秀見習騎手としてこの賞を受賞している。その中にはジョン・ヴェラスケス騎手とオルティス兄弟が含まれている。
北米のトップジョッキーがEVHから誕生していることはまず間違いない。しかしほかの追随を許さない騎手課程を可能にし、実地の騎乗を経験できるのは、その立地のおかげであることに議論の余地はない。
ヴェラスケス騎手は、EVHの2年間の騎手課程で学んだことが輝かしいキャリアを実現するのに大きく寄与していると信じて疑わない。"ジョニー・V"として知られる人気ある殿堂入りジョッキーは、「EVHに行く前は街でプレジャーホースやポニーに乗る程度の経験しかありませんでした。街の馬から競馬場の馬に乗り換えただけで、くらべものにならないほどの刺激でした」と語った。
ヴェラスケス騎手によると、"何もかも"が難しく、バランスを取れるようになるのにとりわけ苦労したという。そして「鞍や鐙をつけて乗ることがなかったのですごく難しかったですね」と振り返った。
ケンタッキーダービー(G1)3勝を含む6,500勝以上を挙げ、およそ4億7,000万ドル(約705億円)の賞金を獲得しているヴェラスケス騎手は、北米における史上最高賞金獲得ジョッキーである。
鞍と鐙をつけた樽の上で
しかしヴェラスケス騎手がEVHで初めて鞍と鐙を使ったのは、バネのついた樽の上に乗ったときである。現在の生徒も同じである。
1988年に入学したヴェラスケス騎手によると、当初はほかの生徒よりも遅れていたという。「生徒の大半はすでに駆歩ができたり、この競馬場について多少の知識があったりしました。彼らに追いつかなければならなかったのですが、ありがたいことに"才能がある"と言われ、メキメキと上達しました」。
25年前のヴェラスケス騎手と同様に、現在のEVHの生徒たちも入学の1年後からカマレロの内回りの砂コースで2週間ごとに全10回のフルゲートの"練習レース"で切磋琢磨する。
入学の1年半後には、通常のレースで使用される外回りのダートコースでさらに10回の練習レースを行う。練習レースはすべて5ハロン(約1000m)だが、20回目の最後の競走だけは昔から1マイルとされている。
しかしその名にかかわらず2年課程の最後の半年のあいだに2週間ごとに行われるこの午後のダート競走は、"練習"どころではない。カマレロの競馬ファンの目の前で行われるその日の"最終レース"なのだ。
生徒たちは騎手の宿舎で勝負服に着替え、競走前と競走後の検量を行い、すべて"ちゃんとした"騎手と同じようにする。これらのレースで馬券発売はないが、プエルトリコでの競馬人気を証明するかのように、大半のファンは次世代のジョッキーやスターに目をつけるために競馬場に残る。
米国の競馬場へ直行
EVHでの2年間を経て卒業する騎手たちはどれほど腕を持っているのだろうか?卒業生の大半はカマレロや米国の競馬場で騎乗馬を集められるエージェントを見つけて巣立っていく。実際のところ、通常卒業生の80%が米国の競馬場に直行する。
つまり多くの卒業生にとって、朝に競馬場で厩舎を歩き回って馬を急かせて調教させたり、裁決委員の監視の下で発馬機から3回発走練習をしたりする必要がなくなるということだ。
また最も大切なことだが、彼らはまずまずの馬に乗せてもらえる。調教師がEVHの卒業生に敬意を抱いており、減量ジョッキーを使いたがるからだ。これほど完成度の高い"バグボーイ(見習騎手)"たちはそういないだろう。
実際、EVHの理事であるアナ・ヴェラスケス氏はある調教師が米国で卒業したばかりの生徒と交わした次の会話が特に記憶に残っているという。
調教師「EVHの卒業生ですか?」
卒業生「そうです」。
調教師「ではうちに来てください」。
卒業生「でも私の名前をご存じありませんよね?」
調教師「関係ないよ」。
騎手のエージェントたちは生徒が卒業する前にEVHに頻繁に電話してきてヴェラスケス氏に対し、「どの生徒が一番上手か」、「どの生徒を推薦するか」、さらには「どの生徒が英語をうまく話せるか」を尋ねてくる。また午後の練習レースのリプレイ映像をじっくり見て、次世代のイラッド・オルティス騎手やジョン・ヴェラスケス騎手を探している。
エージェントたちはEVHに入学する女生徒が増えるにつれ、第二のキャロル・セデノ騎手がいることに気づくかもしれない。彼女もまたEVHの卒業生である。今年卒業した8人の少人数クラスのうち2人が女性騎手だった。
エディ・ベルモンテとアンヘル・コルデロ
プエルトリコ出身の2人の伝説的ジョッキー、エディ・ベルモンテとアンヘル・コルデロがこの学校が創設されるきっかけを作った。彼らはプエルトリコ出身者として初めて騎手免許を取得した。そして彼らの成功により、プエルトリコ政府は学校で正規の騎手を養成するというアイデアを思いついた。
政府機関は1974年にEVHを創設した。政府の資金で運営されているため授業料は無料であり、生徒には毎月100ドル(約1万5,000円)の奨学金が支給される。
当初は騎手課程しかなかったが、時間とともに1年制の調教助手課程、装蹄師課程、調教師課程、そして厩務員課程までも追加された。
騎手課程(2年制)と調教助手課程(1年制)には学科もカリキュラムに含まれている。生徒たちは競馬史・競馬場・競馬産業・職業倫理・体育・英語などの科目を履修する。調教師と装蹄師の候補生は体育以外のすべての学科を履修する。
さらに、高校教育を修了していない騎手課程の16歳(入学最低年齢)の生徒は高校卒業資格を取得するための授業も受ける。16歳が騎手課程の入学最低年齢だが20代半ばや後半に入学する生徒もいる。
毎年50人の志願者
米国でのプエルトリコ人ジョッキーの活躍を考えると意外なことだが、EVHの騎手課程への志願者は毎年50人程度に過ぎない。
そのほか調教助手課程には30人~35人、サラブレッド調教師課程には20人ほど、装蹄師課程には10人ほどが入学する。
厩務員課程への志望者が最多であり、毎年60人ほどが入学する。
騎手課程の50人の志願者の中から、EVHは15~19人の入学を認めている。しかし入学したからといって騎手免許を取得できるという保証はない。たとえば2022年1月にクラスは16人でスタートしたが、今年8人が卒業したので、成功率は50%ということになる。
これほどの度合で減少する主な理由は"厳しい体重制限"である。入学時と1年目は102ポンド(約46.3㎏)、2年目は106ポンド(約48.1㎏)を超過してはならない。馬具一式を含めると見習騎手の体重は109ポンド(約49.4㎏)を超過してはならない。
16歳で入学した肉体的に未成熟な生徒にとって体重管理の労力は同等というわけではないので、17歳以上になって体重との闘いに敗れた生徒の多くは、調教助手課程(1年制)への編入という道を選ぶことになる。
もう一度くり返すが、乗馬経験は入学の必須条件ではない。学校はむしろ、未経験の生徒のほうを歓迎している。というのも、特にプエルトリコの田舎でよく見られる、頭絡も手綱もつけない裸馬のレースで、悪い癖が身についている可能性があるからだ。
騎手課程は6ヵ月ずつの4段階で構成される。馬の世話から始まり、バネで支えられたドラム缶に乗ってバランスを学ぶ。そしてついに、最初の半年で馬にまたがってラウンドペンで走るまでになる。
ヴェラスケス氏は、「この段階が終わると学校の在厩馬と一緒に小回りの砂コースに行きます」と述べる。EVHには引退サラブレッド11頭が在厩しており、初心者を乗せることに慣れている。
生徒たちは1年目をやり遂げると、トレーニングの激しさと深みがかなり増す2年目を迎えることになる。カマレロのダートコースで学校の在厩馬に騎乗することから始め、競馬場に厩舎を構える調教師が管理する現役競走馬に騎乗するようになる。カマレロで最も経験を積んだ調教助手と同じように、調教師の仕事を手伝う乗り手となるのだ。
2年目の最初に始まるこの第3段階はおそらく、若手ジョッキーの養成において最も価値のあるものだろう。
感触をつかむ
2年生のマリアンへリス・アルメディナさんは「一番難しかったのは、本質的に馬の感触をつかむことでした」と言う。彼女はフアン・カルロス・アルメディナ元騎手の娘であり、大西洋中部のサーキットを拠点とするヘアン・アルベロ騎手の妹である。
「追い切りで走っている馬を見るのと、実際に騎乗してみてインストラクターや調教師からどのように馬を走らせるのか指示をもらうのとでは違うのです」。
ほかの調教助手と同じように馬を走らせることは、競馬界で調教を担うことの難しさと要求の高さを知るための入門となる。アルメディナさんはこう説明した。「調教師はどんな仕事を任せるときも、事前にこう言ってきます。『彼の左脚の感触をつかんでほしい。そして走るのを止めたら教えてくれ。疲れていないかどうか見てみよう』と」。
「調教師の指示に気を配らなければならず、そこからが大変な仕事になりますね。彼らは『脚はどうだった?なにか変な感触はあった?』と聞いてきます。そこで意見を伝えるのです」。
騎手課程と調教助手課程の生徒が行う追い切りの回数は、米国の競馬場で学ぶ生徒が行う回数を上回ることもある。「ここにいる生徒は1日に20回も追い切りを行うこともあるのです。追い切りを行う馬の中には練習レースで騎乗する馬もいます」とアルメディナさんは付け加えた。
習うより慣れろ
20回の練習レースは、朝の厳しい追い切りの積み重ねの総仕上げのようなものである。それゆえ、米国やほかの国の競馬場での生徒の活躍をお膳立てしようとしている競馬場の内部関係者に公然の秘密のようなものを与えてくれる。
しかしいわゆる過酷な競走に入る前に、ゲート練習をすることで生徒たちは馬混みの中で騎乗することに慣れていくのだ。そのためには十分な冷静さと少なからぬ勇気が必要である。
アルメディナさんは、「ほかの2組の人馬とともに発走することもありました。隣にいた馬が近づいてきて、走路の真ん中や、右端のラチ沿いに追いやられることもありました。それでも落ち着いていなければならないのです」。
ゲート練習のあとに8頭立ての練習レースが行われる。アルメディナさんによれば、"よく覚えていない"という。「リプレイ映像を見るまで何が起こったのかわかりません。レースで走っているときは、『さあ行こう!行くぞ!』というふうなことしか考えていないのです」。
「ほかの馬がどうするかも、自分の馬がどうするかもわかりません。自分と馬に集中し、馬を落ち着かせなければなりません。それに馬が怖がるようなことがないように見張っていなければならなかったのです」。
アルメディナさんは今年これまでに、カマレロの内回りコースで行なわれた練習レースの第4競走と第7競走を制し、クラスでトップクラスの成績を収めている。
彼女は午後のダートレースの第10競走で優勝トロフィーを手に入れるために競い合い、その後今年いっぱいで卒業し、2024年に正式な見習騎手となる。
また、騎手課程の最終段階で練習レースを最多勝した生徒にも賞が授与される。調教助手課程では、最多の追い切りを行った生徒が表彰される。
EVHの騎手課程の生徒にとって努力と経験の集大成となるのが、卒業して見習騎手の免許を付与されてから行われるレースである。このレースは昔から、元旦にカマレロで開催される。
アルメディナさんは、練習レースで勝利した1頭で見習騎手レースに挑む心構えをはっきりと語った。彼女は21歳とは思えない早熟さと落ち着きを備えている。
「この馬はレースで初めてコンビを組んだとき、調教で走っているみたいで、持っている力をあまり発揮しませんでした。調教師と話し合って、『次のレースに向けていくらか調教すれば、もっと良くなるかもしれません』と進言したのです」。
「彼はチャンスを与えてくれて、信頼してくれました。そして『わかった。今週追い切りで走らせて、来週レースに出してみよう』と言いました」。このようなフィードバックはベテランで熟練したジョッキーに期待されるものであって、21歳の生徒からは必ずしも期待できるものではないだろう。
その結果、彼女は練習レースで初勝利を挙げた。そこでのリアクションはとてもおもしろいものだった。「私勝ったの?何が起きたの?」。
世界一成功した騎手学校として、これまでの卒業生たちが経験してきたことを考えれば、彼女は勝利の感触に慣れたほうがいいのかもしれない。
By Ken Snyder
(1ドル=約150円)