生産者が損失を被り続ければ競馬界は存亡の危機を迎える(イギリス)【生産】
サラブレッド生産者協会(Thoroughbred Breeders Association: TBA)の経済影響調査報告書(Economic Impact Study)の主な結論の1つは、"当歳馬や1歳馬の生産コストは馬の売却時の収益を大きく上回る"というものだ。
多くの生産者のリアクションは「えーと、私たちが知らないことを教えてくださいよ」というものかもしれない。しかし、2014年以降に損失が前年比で増加し続けるのが棒グラフにはっきりと示されており、とりわけ1歳馬における損失の中間値が英国の平均賃金3万472ポンド(約488万円)を上回っているのを目にしてハッとさせられる。
報告書にはこう記されている。「この調査によると、2021年の1歳馬と当歳馬を販売したときの収益性の中間値はそれぞれおよそマイナス3万3,000ポンド(約528万円)とマイナス2万7,000ポンド(約432万円)だった。つまり、大半の馬が売却時に大きな損失を出している。さらに損失の中間値は年々大きくなっており、英国生産界の持続可能性に疑問を投げかけている」。
高水準のインフレと金利上昇により今年はこの問題がさらに悪化すると予測されている。特に過去1年間に飼料や寝藁のコストがおおむね20%高騰していることを考えると、この予測に驚く者はいないだろう。
調査を実施したプライスウォーターハウス・クーパーズ社(PricewaterhouseCoopers: PwC)の描いた絵は陰鬱なものだ。小規模生産者が手頃な価格で使える妥当な種牡馬を見つけようと苦悶する様子は、まるで経済におけるムンクの『叫び』である。
報告書は最大のコスト要因としてノミネーション料(種付権料)を挙げている。そして、種付権料が産駒価格を押し上げるという悪循環に陥っており、それゆえ高い種付権料の種牡馬を使う事は、当初のリスクが高いにもかかわらず、報酬を最大化する可能性を高めているのだと主張する。
しかし当歳馬を販売したときの損失の中間値が2万7,000ポンド(約432万円)という世界では、ほとんどの生産者の銀行口座ではより高い種付権料を支出することはできない。
「私たちの収益性分析は、これまで以上に高い種付権料が生産者にとっての"損益分岐点"に関係していることを示しています。すなわち、2013年には種付権料3万ポンド(約480万円)以上を費やして生産した1歳馬を売却すればおおむね黒字だったのに対し、2021年には種付権料12万5,000ポンド(約2,000万円)以上を費やしてやっと1歳部門での平均収益が黒字になったのです」。
小規模な生産者はこれを読むと、ムンクの有名な作品に登場する苦悶する人物に変わってしまうだろう。
多くの人が知りたいのは、報告書が何を提案しているかということだ。
筆者が思うには、その提案はたいしたものではなく使い物にならないだろう。
3つの提案のうち最初の提案は、"仔馬のシェア"である。これは理論的には素晴らしいアイデアで、生産者は種牡馬をずっと使いやすくなり、種馬場と繁殖牝馬所有者のあいだでリスクを分散できる。仔馬がよく売れれば誰もが満足し、生産コストの最大の要因である種付権料の問題が生産者の方程式から排除されるため、潜在的な損失がすぐに減少する。
しかし現実にはどうだろう?報告書の作成に携わった人は小規模な生産者として仔馬のシェアを持とうとしたことがあるのだろうか?良血の繁殖牝馬の仔であったとしてもかなり難しい。理論的には素晴らしいアイデアだが、それを成り立たせるためには、生産界の態度と実践をいちから大きく変えていかなければならないだろう。
種付権料の高騰に対処するための2つ目の提案は"トップスライシング"だ。仔馬がある閾値を超えた価格で購買された場合、種牡馬オーナーに一定金額が支払われるというものである。この方法により効果的にリスクを共有でき、仔馬のシェアに比べてより洗練されたオプションが利用できる。
あまり馴染みのないコンセプトではあるが、基本的な判断ではリスクと困難を伴いそうで、かつとても複雑になりそうなコンセプトである。生産者が置かれる状況をどのように認識すれば良いのか、その一定金額の計算をどのように行うのか、そして全体的にどのように機能するのか。
この分野で生産者を支援するために、生産界は明確な指針を策定し、最良の方法(ベストプラクティス)を実践すべきではなかろうか。
3つ目の提案は、"マイクロシェア"という面白いコンセプトである。
「このコンセプトが種牡馬の所有に実際に応用されることはめったにありませんが、この場合、似て非なる利点があると思われます。まず、種牡馬を所有しやすくすることで、繁殖牝馬の所有者は高い種付権料という恩恵を分かち合えるようになります。第二に、シンジケートは繁殖牝馬の所有者がより大幅に"主取り"に関われるようにするでしょう」。
シンジケートを組むことはすでに多くの大手種馬場にとってうまく機能しているが、大多数の小規模な生産者にとって手頃なオプションではない。
新種牡馬の株を購入することは、種付権料を支払うよりもずっと高額になってしまう。なぜなら種牡馬を見つけるのは容易でなく、多額の譲渡料がかかるためである。たしかに通常は1回限りであるコストを出してしまえば、単発的に種付料を支払う場合よりも多くのシーズンで使うことができる。しかし4~5年後にその種牡馬が期待外れだった場合、生産者は価値のない株を押し付けられたことになる。
これもまたリスクと報酬の問題であり、とりわけ小規模な生産者にとって手頃な価格で使える種牡馬という問題への真の答えとはならない。
マイクロシェア制度は多くの人々が小規模株を取得することを提案するが、これもまた混乱とリスクの気配が醸し出されている。大きな疑問を投げかけよう。種牡馬のマイクロシェア制度はどのように機能するのだろうか?実際にその種牡馬を所有するのは誰か?種牡馬が供用されている種馬場と馬主はどのような関係なのだろうか?結局のところ全てが利益のためだとすれば、誰が儲けることになるのか?
生産者、とりわけ生産界の大多数を占める小規模な生産者にとって、収益性に大きな違いをもたらすシンプルで単純明快で分かりやすい解決策が1つある。それは結果的に、競馬界と生産界の存続性を高めることになる。
ここで危険を冒すようなことを考えなければ、おそらくこの問題への答えは種付権料の支払い方法を工夫することではなくて、種付権料そのものが高すぎることを認め、適切な値下げをすることではなかろうか?
結論は、生産者が被る巨額の損失が英国の生産頭数の規模を縮小しており、このままでは英国競馬界の質と量に有害な影響を及ぼすというものだ。
報告書の後半では、このような傾向が続けば2030年まで出走頭数が減少し続けることが予測されている。最悪のシナリオでは1レースあたりの平均出走頭数が6.2頭まで落ち込み、最も楽観的な読みでも7.9頭になると見込まれる。
これは、生産者が損失を被り続けた結果として予測される生産頭数の減少を根拠としている。2030年の英国の現役競走馬は1万3,600頭~1万7,300頭、中間値は1万5,500頭程度と推定されている。
これは存亡の危機の領域である。生産者が業界から撤退する可能性は高い。
このような報告書はある意味で、気候変動に対する姿勢を彷彿とさせる。世界が危険なほど熱くなっており人類にもう時間がないことを誰もが知っている。私たちは皆、リサイクルやエネルギー消費の削減など少しでも貢献するために努力している。しかし権力を行使する人々に鉄のように強固な意志と決意がなければ、それは基本的に"タイタニック号のデッキチェアを並べ直すこと"にすぎない。その結果どうなったかを誰もが知っている。
By Aisling Crowe
(1ポンド=約160円)