ジェラルド・モッセ騎手が引退(フランス)【その他】
ときに亀裂がはしる競馬界で、つねに全員の賛辞を集めるジョッキーはほとんどいない。しかし7月14日(日)、シャンティイ競馬場にいた関係者の誰もが異口同音にそのひとりを褒めたたえた。
1980年代初めに10代のジェラルド・モッセは故郷マルセイユからやって来た。キャリアの早い段階から、「偉大なジェラルド」と呼ばれていた。
たしかに、彼らはこの57歳のジョッキーの才能について話していたが、勝負どころでのまるで血管に氷がめぐっているかのような冷静さについても触れていた。41年にわたるキャリアのほとんどで、ビッグレースに挑むべく生まれてきたような騎手だった。
13日(土)のパリ大賞(G1 ロンシャン)の直前に引退を表明し、革命記念日の14日(日)にシャンティイ競馬場で実施される大きなハンデ戦がラストランとなった。
最後の騎乗馬にシャンキールが選ばれたのは偶然ではない。長年の雇い主であるアガ・カーン殿下により生産されたこの馬は、ミケル・デルザングル調教師に管理され、馬主にはアラン・ド・ロワイエ-デュプレ元調教師が名を連ねている。
仲間たちはモッセが最後のレースに向かうのを見に来た。パドックでモッセがデルザングル調教師に足上げしてもらっているときに、馬主のひとりピエール-イヴ・ルフェーヴル氏の言葉が響いた。「最後だから楽しんで回っておいでよ、ジェラルド」。
フランキー・デットーリでもないかぎり、偉大なキャリアの最後にはありがちだが、シャンキールは16頭中15着で終わりこの場面にふさわしい活躍ができなかった。しかしモッセが多数のカメラマンや応援する人々のもとに戻って来たとき、それはほとんど問題ではなかったようだ。騎手たちが敬意をあらわすために整列したとき、モッセは"泣かない"という約束を守ることができた。
騎手仲間に囲まれる様子を見れば、彼があらゆる世代のジョッキーと固い絆で結ばれていることは一目瞭然だ。マキシム・ギュイヨンやアントニー・クラストゥスとレース前に冗談を言い合っていたことからも明らかだった。モッセが1990年にソーマレズで凱旋門賞(G1)を制したとき、彼らはそれぞれ1歳半と5歳だった。
最後尾にいたのはイオリッツ・メンディザバルだ。50歳で青年ふぜいだが、短期間にモッセとオリヴィエ・ペリエが引退したために、フランスの検量室における年功序列の階段を一気にふたつあがった。
モッセはこのもてなしに心から感謝していた。ロワイエ-デュプレは花束と1998年仏オークス優勝馬ザインタの額入り写真を手渡した。しかしモッセの言葉から判断すると、すでに将来を見据えており、早ければ9月にも調教師としてのキャリアを開始するようだ。
「この仕事についたときと同じように、つまり笑顔で引退しようと決めていたのです。いちばん大事なのは、情熱を注いできたこのスポーツとの関わりを長続きさせるための計画があるということです」。
「免許を取得して、厩舎を購入するといった必要なことはすませました。いまでは野心をもってセカンドキャリアに取り掛かろうとしているのです」。
モッセはこう続けた。「1歳セールを念頭にタイミングを見計らったわけではないと言うと嘘になりますね。8月になる前にやめる必要がありました。そうすれば将来馬を預けてくださる馬主のみなさんと会う時間ができますし、9月から管理馬を出走させられるかもしれませんね」。
「シャンティイのエーグル調教場に隣接する美しい厩舎を手に入れました。立地がすべてだと言われたのです。敷地全体を改装したので、これ以上ないくらい良い状態ですよ」。
これまでともに働いてきた人たちが、モッセの調教での直感について話していることを考えると、調教師への移行はかなりスムーズだろう。いま彼がしなければならないのは、レースで名手モッセに代わって騎乗してくれるジョッキーを探すことだ。
By Scott Burton&John Randall
(1ポンド=約205円)
[Racing Post 2024年7月14日
「'For the last time, travel well Gerald' - Mosse out of luck on final ride but retires from the saddle with a smile on his face」]