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海外競馬情報
2024年08月21日  - No.8 - 6

伝説のジャーナリスト、ハワード・ライト氏が79歳で死去(イギリス)【その他】


 ハワード・ライト氏は本紙(レーシングポスト紙)の創刊メンバーのひとりで、ジャーナリストとして競馬界で尊敬されてきた。最近病を発し闘病していたものの、8月16日(金)朝に亡くなった。79歳だった。

 ライト氏は1964年にタイムフォーム社に入社し、競馬ジャーナリストの道を歩み始め、亡くなる数週間前まで執筆をつづけていた。

 1986年に本紙が創刊されたとき、ライト氏は創刊時の編集長のグラハム・ロック氏のもとでニュース編集長を務めた。

 その後、産業編集長に任命され、競馬界の政治と財政について、そして賭事産業について信頼のおける発言者となった。2012年にフルタイムのジャーナリストを引退したが、数週間前まで本紙やほかの出版物への寄稿を続けていた。

 ライト氏は1945年にドンカスターで生まれ、ほどなく地元の競馬場の常連となった。1948年に初めてセントレジャーSを観戦し、その後亡くなるまで毎年戻って来てはこのレースを観戦した。

 最初はロンドンで公務員となったが、スポーティングライフ紙にタイムフォーム社の求人広告が掲載されているのを見つけ応募した。そして北部のハリファックスに戻り、1964年にタイムフォーム社の事務員として競馬界でのキャリアをスタートさせた。

 それから競馬編集者としてシェフィールド・モーニング・テレグラフ紙に入社して11年間勤務し、スポーツ部門の副編集長にまで昇進した。

 ロンドンに戻ってデイリーテレグラフ紙の競馬担当の副編集長になり、その後1985年にスポーティングライフ紙のライバルとして本紙の創刊を計画するチームから打診を受け、グラハム・ロック氏から2年契約を提示された。

 ライト氏は本紙に在籍したほとんどの期間、産業編集長として活躍した。ニュースやインタビュー、競馬界に関する論説、そして「壁にとまったハエ(The Fly On The Wall)」として知られる謎の内通者から寄せられるうわさ話や見識に関するコラムを毎週執筆した。

 ライト氏の広い人脈は伝説になっていたほどで、英国競馬界で彼からの電話をとらない人はほとんどいなかったが、ときには率直な意見ゆえに競馬界のリーダーたちと摩擦を引き起こすこともあった。

 本紙の現編集長、トム・カー氏はこう述べた。「ハワードはレーシングポストの伝説的人物であり、真のジャーナリストでした。創刊メンバーのひとりであり、競馬界随一の人脈づくりの名人でした。世界中のレースでいつでも目撃されており、次のスクープを手に入れたばかりだったに違いありませんね。2012年に"引退"したものの、つい4月まで本紙の読者に膨大な経験と知識から生まれた記事をもたらしてくれていました」。

 「ハワードはメディアで働く同業者からも取材対象者からも、多大な尊敬と好意を集めていました。それは彼の完璧な情報に基づく仕事、深い誠実さ、ぶっきらぼうな魅力ゆえに寄せられたものでしょう」。

 「レーシングポストの新旧のメンバー全員を代表して、奥様のアンさん、お嬢様のアンドレアさんとカレンさんにお悔やみを申し上げます」。

 本紙の元編集長、アラン・バーン氏はこう語った。「ハワードはレーシングポストを土台から作り上げた少数メンバーのひとりです。創刊時はニュース編集長を務め、その後は産業編集長の道を自ら切り開きました。すべての仕事に、プロ意識、誠実さ、生来のフェアプレー精神がはっきりと表れていましたね」。

 「競馬界とレーシングポストへの献身は揺るぎないものでした。彼にとって、それよりも大切なものは家族とドンカスターだけだったでしょうね。ドンカスターの街、サッカークラブ、そして特に競馬場。ハワードのいないセントレジャーSは決してこれまでと同じものにはならないでしょう」。

 ライト氏が有名で尊敬される存在だったのは英国競馬界だけでではない。中東から豪州、南アフリカからスカンジナビアまで、さまざまな競馬開催やレースでおなじみの顔だった。

 さらに、タイムフォーム社の創設者フィル・ブル氏に関する伝記を執筆して高く評価されている。また『平地競走事典(Encyclopaedia Of Flat Racing)』のような多くの書籍を編集した。

 1990年からドンカスター近郊の国立競馬学校(National Horseracing College 元北部競馬学校)の理事を務め、2004年からは副会長となっていた。そして1986年から2009年までは英国平地パターン競走委員会のメンバーを務めていた。

By Bill Barber

編集者註:ハワード・ライト氏は2012年から2023年までたびたびジャパンカップを取材し、日本競馬を紹介する記事を多数執筆してくださいました。またこの海外競馬情報では、数百件以上にもおよぶライト氏の記事の翻訳を掲載してきました。ここに哀悼の意を表します]。

(関連記事)海外競馬ニュース 2012年No.35「名物記者のハワード・ライト氏の現職引退を記念したレース開催(イギリス)

[Racing Post 2024年8月16日「Racing Post founding news editor Howard Wright dies at the age of 79」]


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