海外競馬ニュース 2007年08月30日 - No.33 - 1
限定的な口蹄疫の影響(イギリス)[獣医・診療]

 6年前に競馬界に大混乱をもたらした口蹄疫(foot and mouth disease)に対する不安が再びイギリスに起きているなか、英国競馬統括機構(British Horseracing Authority: BHA)は、“競馬界は混乱する必要はまったくない”と強調している。

 2001年に発生した口蹄疫が競馬界に与えた影響、すなわちチェルトナムフェスティバルの中止などの大規模な影響がまだ記憶に新しいなか、8月3日にギ ルフォード(Guildford)近郊の牧場で口蹄疫の発生が確認されたあと、BHAは不安の鎮静に努めるとともに、緊急の予防措置を講じた。報道による と、ほかの少数の口蹄疫発生の可能性についても、8月4日の夜に調査が行われた。

 “競馬に対して差し迫った影響はないと思われる”との8月4日午前のBHA声明に従い、口蹄疫発生地域に最も近いリングフィールド競馬場を含め、同日に予定されていたすべての競馬開催は実施された。

 イギリス政府の迅速な対応を見て、アイルランド・ターフクラブ(Irish Turf Club: ITC)は、馬の移動を制限しないように指示した。他方、フランスギャロ(France-Galop)は口蹄疫の感染地域における馬の移動を禁止すること と、イギリス調教馬に獣医師の診断書をつけるよう命じた。これらの措置の結果、8月5日午後にモーリスドゲスト賞(Prix Maurice de Gheest)に出馬登録していた5頭のイギリス馬は、フランスに渡ることを許可された。

 BHAは競馬統括機関として初めての大きな試練に対して、感染地域から10 km内にいる免許調教師に管理馬を競馬場に移動させないようにとの通達を出すことで、対応した。環境食糧農村省(DEFRA)は、過去のケースでは3 km立ち入り禁止区域内の家畜の移動を禁止した。

 ゴダルミング(Godalming)を本拠とするプル・タウンズリー(Pru Townsley)調教師は、自分は10 km“監視区域”には入っていないと述べているものの、この調教師だけが馬の移動制限の影響を受けるものと考えられている。

 イギリス競馬界の対応についてBHAの獣医委員リン・ヒリアー(Lynn Hillier)氏は、次のように詳しく説明した。

 「重要なメッセージは、あまり大きな影響を受けずに競馬を継続すること、これを私たちが望んでいることです。BHAは、DEFRA、ITC、フランス ギャロおよびその他の競馬関係機関と絶えず連絡をとるつもりです。混乱する必要はまったくありません。競馬界が行うべきことは、DEFRAの専門家が事態 を把握しているこの初期の段階において、綿密かつ慎重な措置を講じることだけです。“暫定的”な予防措置として、口蹄疫の伝染性が非常に高いことと、馬運 車といった物によって伝染する可能性があるので、BHAは馬を10 km監視区域外に移動させないように勧告しました。しかし、イギリスの首席獣医委員であるデビィ・レイノルズ(Debby Reynolds)氏が8月5日に述べたことを繰り返したいと思います。つまり、牛、豚および羊のような口蹄疫にかかる危険のある家畜を飼っている競馬関 係者に対し、これらの家畜を細かく観察し、異常がないか特に注意を払うよう要請します。疑いがある場合は、BHAまたはDEFRAに連絡して下さい」。

 口蹄疫が発生した牧場から約64 kmのところにあるリングフィールド競馬場を運営するアリーナレジャー社(Arena Leisure)の広報担当ケート・ヒルズ(Kate Hills)氏によると、同競馬場は8月4日の夜に全く問題なく競馬を開催した。

 同氏は、「ニール・マッケンジー=ロス(Neil Mackenzie-Ross)馬場取締委員は、DEFRAおよびBHAと連絡を取り続けており、現段階において通達は出ていませんので、業務は通常どお り行っています。私たちは、10 km監視区域内から当競馬場に馬が輸送されてこないよう十分にチェックしております」と述べている。

 タウンズリー調教師は、2001年に口蹄疫が発生した際、近隣の牧場に配慮して管理馬を出走させなかったが、今回は3週間出走予定はない。1967年〜1968年に口蹄疫が発生した時は、牧場経営者として大きな被害を受けた。

 同調教師は、次のように述べている。「口蹄疫に感染したあらゆる家畜は、屠殺されなければなりませんでした。その結果、私どもは牛100頭、豚200頭 そして羊300頭を失いました。口蹄疫は、人々を精神的に破滅させてしまいます。自分たちの家畜のすべてが屠殺されるのを目にするのです。つまり、育てて きた家畜が目の前で大量に殺されるのです」。

 

過去に発生した口蹄疫が競馬界に与えた影響

>> 1967‐68年

 2001年にイギリスとアイルランドの競馬界を襲った口蹄疫ほど影響は大きくなかったが、1967‐68年の危機は81開催の中止をもたらし、トート社(Tote)は推定約250万ポンド(約6億円)の馬券売上高を失うほど厳しいものであった。

 1967年10月28日にバンゴール競馬場の開催が中止になったとき、その後の事態の推移を予見する者はほとんどいなかった。次の開催が取りやめになるまでに3週間が経過したが、牧場の危機が増大するにつれて、競馬開催中止が余儀なくされた。

 競馬は、1967年11月27日から1968年1月5日まで中止された。しかし、再開は地域ごとに行われなければならなかった。

 アイルランドは、さらに多くの打撃を受け、1968年2月14日まで競馬はまったく実施されなかった。そのときまでにイギリスの事態は改善し、チェルトナムフェスティバルは中止を免れた。

>> 2001年

 チェルトナムフェスティバルが57年間の歴史上初めて中止となったほか、イギリスで121開催が取りやめとなり、またアイルランドでは7週間競馬が中止された。2001年の口蹄疫の発生が競馬界に与えた影響は甚大であった。

 イギリスでは33年ぶりに口蹄疫によりニューキャッスル競馬場が2月末に開催を取り止めたが、開催中止はそれにとどまらなかった。

 ニューキャッスル競馬場の開催中止が発表されてから4日後の2月27日、イギリスの競馬統括機関は、競馬界内外からの圧力の増大に屈し、7日間競馬を中止した。

 口蹄疫が急速に広がるなか、アイルランド競馬は無期限に中止され、アイルランド政府は、イギリスのレースには、たとえチェルトナムフェスティバルでも、馬を送ってはならないと勧告した。

 アイルランド政府は、この点に関して心配する必要はなかった。2月14日までチェルトナム競馬場で羊が放牧されたことは、口蹄疫に関するイギリス政府のガイドラインに違反しており、最大の開催であるチェルトナムフェスティバルを4月まで延期する結果となった。

 しかし、チェルトナム競馬場からおよそ6 km離れているウールストーン(Woolstone)での口蹄疫発生により、同競馬場が感染地域に入れられたため、4月1日に2001年のチェルトナム フェスティバルは最終的に取りやめになった。チェルトナムフェスティバルの中止に備えて同競馬場がかけていた保険により、約800万ポンド(約19億 2,000万円)の保険金請求を発生させた。

 口蹄疫の発生中、イギリス政府は感染地域から3 km内で競馬を行うことを禁止したが、それ以外の場所では競馬を開催することを許可した。

 しかし、英国競馬公社(British Horseracing Board: BHB)は、感染地域で競馬を開催することを禁止した。これは、BHAが“壊滅的な疾病である口蹄疫の全国的な蔓延に対して、強い責任と分別をもって行動 することと、それを外部に対して明らかにすること”を希望したためである。

 4月11日になってから、BHBは4月末から口蹄疫に関するルールを緩和することを決定した。 

 

By Lee Mottershead
(1ポンド=約240円)


〔Racing Post 2007年8月5日「Racing has no need to panic over foot and mouth‐BHA」〕