サドラーズウェルズ(Sadler’s Wells)の最近の死亡は、間違いなくクールモア牧場の種牡馬がサラブレッドの血統改良にどれだけ影響を及ぼしたかについて考えさせる機会となった。しかしサドラーウェルズが競走と生産において成し遂げた功績は、50年前の5月27日に生まれた小柄だがパワフルな父ノーザンダンサー(Northern Dancer)にはかなわない。
ノーザンダンサーは1961年、カナダのオシャワ近郊にオーナーブリーダーのE・P・テイラー(EP Taylor)氏が所有していたウィンドフィールズ牧場(Windfields Farm)に生まれたが、このときは誰一人としてこの馬の革命的な影響力を予想することはできなかった。
ノーザンダンサーは現役時においても常識を超えて、カナダ産馬で初めてケンタッキーダービーを制した。同馬は1歳セールにおいて2万5,000ドル(約225万円)で買い手が見つからなかったため、もっぱらE・P・テイラー氏の勝負服で出走していた。
ノーザンダンサーは18戦で14勝し、その中にはプリークネスS(G1)、カナダで最も権威ある競走のクイーンズプレートSが含まれている。
ノーザンダンサーに騎乗していたビル・ハータック(Bill Hartack)騎手は、同馬が亡くなった1990年11月に、「常に積極的で自身の能力を伸ばすことのできた本当に素直な馬として、私はいつもノーザンダンサーを思い出します。いったん走り出せば、減速させることができませんでした。小さな戦車のようでとても負けん気の強い馬でした」と語った。
ノーザンダンサーは、その種牡馬生活において605頭の競走馬を送り出した(サドラーズウェルズは4シーズンでこの数字を達成した)が、そのうち99頭が欧州のパターン競走を優勝した。このようにしてノーザンダンサーに対する人気は高まり、英国にもアイルランドにも一度として供養されていなかったにも拘らず1970年、1977年、1983年および1984年の4回、両国の最優秀種牡馬となった。その種付料は一時は100万ドル(約9,000万円)に達していた。
ノーザンダンサーは2年目の産駒であるニジンスキー(Nijinsky)を含む3頭のダービー馬を送り出し、その影響力の強さが証明されたことから、ロバート・サングスター(Robert Sangster)氏、ジョン・マグニア(John Magnier)氏およびヴィンセント・オブライエン(Vincent O’Brien)氏のクールモア三大勢力が、競走馬としての可能性からではなく将来的な種牡馬としての魅力からノーザンダンサー産駒を買い占め始めた。このようなことはかつてなかった。
今日の種牡馬系統におけるノーザンダンサーの影響力は驚異的である。米国の種牡馬リストを見れば、トップ20の種牡馬のうちの85%が5世代以内にノーザンダンサーがいる。欧州においても、80%が直系の父系にノーザンダンサーがいて、トップ20の種牡馬のうちの90%が5世代以内にノーザンダンサーがいる。
2011年の英国ダービーへの出走登録馬22頭のうち21頭がこの種牡馬と血統的な繋がりがあり、そのうち77%がその血統において少なくとも1度はノーザンダンサーの近親交配が確認される。唯一その傾向に抵抗しているのが、女王陛下所有のカールトンハウス(Carlton House)である。
サラブレッド生産におけるノーザンダンサーの影響力は、まったく前例がないほど持続的に形成されており、最高というほかない。
ノーザンダンサーの並外れた産駒として、ビーマイゲスト(Be My Guest)、ダンジグ(Danzig)、エルグランセニョール(El Gran Senor)、フェアリーキング(Fairy King)、リファール(Lyphard)、ニジンスキー、ノーザンテースト(Northern Taste)、ヌレイエフ(Nureyev)、サドラーズウェルズ、ストームバード(Storm Bird)およびヴァイスリージェント(Vice Regent)がおり、私たちはその影響力が少なくともあと50年は安泰であると確信できる。
By Richard Griffiths
(1ドル=約90円)
[Racing Post 2011年5月27日「It was 50 years ago today・・・」]