真実は解明されるのでちょっと待ってほしい。メリーランド競馬委員会(Maryland Racing Commission)は、1973年にピムリコ競馬場で行われたプリークネスSにおけるセクレタリアト(Secretariat)の勝ちタイムにまつわる長年にわたる議論について、今日のビデオ技術の進化によって“編集された”証拠を精査するために公聴会を実施することに同意した。セクレタリアトの馬主ペニー・チェナリー(Penny Chenery)氏とメリーランドジョッキークラブ(Maryland Jockey Club)のトーマス・チャッカス(Thomas Chuckas)理事長により要求されていたこの公聴会は6月19日午後1時にローレルパーク競馬場で開催され、一般にも公開される。
当時使われていた電子タイマーは、勝ちタイムを1分55秒と記録していた。しかしデイリーレーシングフォーム紙(Daily Racing Form)の2人の計測担当は手動でタイムを測定しており、そのタイムが公式タイムよりずっと速い1分53 秒24であったため、議論を呼んでいた。プリークネスSの数日後、ピムリコ競馬場の裁決委員たちは電子タイマーにありがちの酌量すべき事柄があったと結論付け、メリーランド競馬委員会もそれを認めた。その結果、公式タイムはピムリコ競馬場の計測係によって報告された1分54秒24にその後変更されていた。
セクレタリアトのタイムがデイリーレーシングフォーム紙によって現在でも確認されているタイム1分53秒24が公式とされるのであれば、同馬はカノネロ(Canonero II)が1971年プリークネスS(1900m)で出したコースレコード1分54秒を破っていたことになる。それどころか、プリークネスSはセクレタリアトが、新しいコースレコードを確立しなかった唯一の三冠競走となっている。
チェナリー氏は、「私にとってこの問題を再検討することは、歴史家、スポーツ記者および競馬ファンのために、この問題を解決するという意味がありました。彼らの意見はしっかりした根拠に裏付けられており、耳を傾けるに値します」と語った。
そして次のように付言した。「40年間の間に、ビデオ技術は施行者の意思決定における公正性と正確性を確実にする手段として他のプロスポーツにおいても認められるようになりました。この歴史的なレースでの正確なタイムを確認することは、競馬とレコードブックのために重要なことです」。
近年のプリークネスSにおいて、1985年のタンクスプロスペクト(Tank's Prospect)、1996年のルイキャトーズ(Louis Quatorze)、2007年のカーリンがそれぞれ現在のプリークネスSのレコードタイムである1分53秒24を打ち立てている。なお、ピムリコ競馬場の1900mのコースレコードは、1991年ピムリコスペシャル(G1)を1分52秒24で制したファーマウェイ(Farma Way)が記録している。
By Blood-Horse Staff
[bloodhorse.com 2012年6月12日「Secretariat's Preakness Time Under Review」]