フランスの馬主ウィルデンシュタイン家(Wildenstein)所有馬の多くがフランスから英国へ移籍することになり、その内のビューティーパーラー(Beauty Parlour)はサー・ヘンリー・セシル(Sir Henry Cecil)調教師の厩舎に転厩した。また、セシル調教師と同様にニューマーケットを拠点とするルカ・クマーニ(Luca Cumani)調教師へも12頭の2歳未出走馬が転厩する。
フランス1000ギニー(G1)で優勝したがフランスオークス(G1)では一番人気にも拘わらず2着に敗れたビューティーパーラーは、セシル調教師が拠点とするウォレンプレイス(Warren Place)にもう一頭の牝馬と共に転厩する。一方クマーニ調教師は、転厩馬が到着するニュースに関して、“非常に光栄である”と述べた。
ビューティーパーラーは、前の管理調教師エリー・ルルーシュ(Elie Lellouche)氏が極めて高く評価しており、凱旋門賞(G1)において現在12-1(13倍)のオッズをつけている。なお、セシル調教師は同レースの優勝経験がない。
ルルーシュ調教師はコメントを控えたものの、ウィルデンシュタイン家は次のような声明を出した。「ウィルデンシュタイン家は本日、所有馬85頭のうち14頭を英国に移籍させることを決定し、そのうち2頭の牝馬はサー・ヘンリー・セシル調教師、12頭の2歳馬はルカ・クマーニ調教師が管理することになります」。
「フランスにおける他の偉大な厩舎の野心と動向を考慮に入れながら、ウィルデンシュタイン家はより国際的なスタンスをとっていくことを決めました」。
「英国でウィルデンシュタイン家のブルーの勝負服を代表する馬の中には、今後セシル調教師が管理することになるビューティーパーラーがいます。このことは、ウィルデンシュタイン家とセシル厩舎を結びつけている長い歴史を考慮した上で決定されました」。
そして声明は、「ウィルデンシュタイン家は他の所有馬を、フランスのそれぞれの厩舎に留めます」と付言している。
この転厩は、セシル調教師とのパートナーシップ復活となる。このパートナーシップは、かつて1970年代後半と1980年代前半に、バックスキン(Buckskin)がドンカスターカップ(G2)、ハローゴージャス(Hello Gorgeous)がロイヤルロッジS(G2)とフューチュリティーS(G1 現レーシングトロフィー)、そしてベルモントベイ(Belmont Bay)がロッキンジS(G1)とクイーンアンS(G1)を制したことで、両者に成果をもたらしていた。
ダニエル・ウィルデンシュタイン(Daniel Wildenstein)氏から所有馬を預託されていたピーター・ウォルウィン(Peter Walwyn)調教師が、1978年のロイヤルアスコット開催のゴールドカップ(G1)でのバックスキンへの騎乗指示について同氏に批判されたため、預かっている馬の転厩を希望した結果、セシル調教師は、歯に衣着せずに発言するダニエル・ウィルデンシュタイン氏の馬を管理することとなっていた。
ウィルデンシュタイン氏は後に次のように回顧した。「もし私が英国人であったなら、冷静であり続けたでしょうが、私はフランス人なので、自分を抑えることができませんでした。そして15分後に私は自分が言ったことに後悔しました」。
ウィルデンシュタイン氏がニューマーケットから馬を引き上げて今日に至っているのも、当時騎乗契約を結んでいたレスター・ピゴット(Lester Piggott)騎手を巡ってのセシル調教師との間の不協和音であった。なお、ロリーポリー(Rolly Polly)だけが例外的にこの古いパートナーシップの下で2001年フレッドダーリンSで優勝していた。
7月12日午前に8頭の牡馬と4頭の牝馬を受け入れたクマーニ調教師は、これは英国競馬に対する大いなる信任であると述べ、新しい管理馬の到着で高揚した気持ちを以下のように表明した。
「これは素晴らしいことです。英国で出走させるためにこのような馬を預かることは、英国競馬への大いなる信任の表明です。ウィルデンシュタイン家から、より国際的に競馬に関わることを検討しているのだが、厩舎に余裕はあるかまた数頭の馬を管理するつもりはないか、と尋ねる電話がありました。そして今朝これらの馬を私の元に届けました」。
「私はこれらの馬を管理することを光栄に思います。これらの馬は自家生産馬で3歳時から出走させることを考えているので、時間をとってニューマーケットに順応させるよう依頼されました」。
By Peter Scargill
[Racing Post 2012年7月13日「Cecil and Cumani receive horses from Wildensteins」]