ダリル・ホランド(Darryll Holland)騎手(40歳)にとって、イタリアとドイツにおける2000ギニーの勝利はすでに過去のものとなっている。また英ダービーでは2着が最高で、ダービー優勝の夢を抱くのは至極当然である。しかし英国で成功を収めたこのホランド騎手の姿は、6月1日のダービー当日のエプソム競馬場にはない。同騎手にとっての騎乗拠点は、心を寄せる場所ではなくチャンスのある場所であり、目下のところそれは英国とは大変異なる土地である。
4月10日付の本紙には、これまでにない衝撃的な見出しがあった。『ホランド騎手、核戦争の脅威にも拘わらず韓国にとどまる』という見出しがそれで、その記事は、「ダズラー(Dazzler ホランド騎手のニックネーム)は堅い意志で、北朝鮮の金正恩第1書記が“米国への核攻撃を行動リストの上位に置いたので外国人は韓国から去るべき”とした勧告を無視するだろう」という内容であった。
しかしホランド騎手は思いとどまることはなく、韓国に来るに当たっての動機が変わることはなかった。かつて英国に留まる理由は山ほどあったが、今はない。多くの一流騎手にとって、時代は変わりチャンスは枯渇した。ホランド騎手は自身がその状況にあることに気付き、その打開のために行動を起こした。
ホランド騎手は、2月から朝鮮半島南端の釜山に移っているが、「中途半端な気持ちで行った決断ではありません」と語る。
そして次のように続ける。「英国競馬界は素晴らしいものでしたが、私には騎乗拠点の転換が必要でした。昨シーズン検量室でのお決まりの話題は、いかに多くの騎手が生計維持に苦労しているかについてでした」。
「私は欧州でG1競走を17勝し、一流レースでの騎乗依頼を受けるよういなっていた当時、チャンピオンシップで2度2位となったあとの月曜日に下級競走2レースに騎乗するためブライトン競馬場に赴くことに満足を感じるのは無理です」。
「優秀な若手ジョッキーが次々と頭角を現しており、そのことに不平は言いませんが、多くの騎手にとって状況は厳しくなっています。英国に背を向けているわけではありません。座して待つのではなく自分から向かって行かなければならないと悟ったのです。私が下した決断は正しかったと思っています」。
ホランド騎手の最近の成績をちらっと見れば、なぜ海外へ渡る必要があると感じたのか簡単に理解できる。同騎手は、クイーンエリザベス2世S(G1)、インターナショナルS(G1)、エクリプスS(G1)およびセントジェームズパレスS(G1)を優勝し、あのファルブラヴ(Falbrav)にも騎乗し、2005年2月にはオッズ1-2(1.5倍)の一番人気でバリードイル勢の騎手になると見込まれていた。
しかし2012年には、G1競走で騎乗するチャンスはたった1度しかなかった。2003年には157勝、2004年には152勝を挙げていたが、2011年には44勝、2012年には33勝と勝鞍は急激に減少した。何か行動を起こす必要があり、実際に行動を起こした。報酬が英国をずっと上回っている韓国において、釜山競馬場での最初の開催ですでに2勝している。
同騎手は、「素晴らしい賞金額です。一番格下のクラス5でも1着賞金は8,000ポンド(約120万円)で、クラス1は3万ポンド(約450万円)です。2000ギニー(KRAカップマイル)は15万ポンド(約2,250万円)を少し上回っていました」と語る。
そして次のように続ける。「釜山競馬場で平凡なレースを勝って得られる賞金を英国で稼ぐには、そこそこのレベルのハンデ戦や準重賞を勝たなければなりません」。
「韓国人も競馬を愛しています。私は韓国で騎手免許を取得した最初の英国人で、初めてお目見えしたとき、お立ち台に立たされ1万4,000人の観客に紹介されました。騎手はそれぞれ自分の勝負服を選べるので、私は深緑色に近い色の勝負服にしましたが、評判は上々でした。韓国競馬は賭事総額が巨額で、馬の質も上がってきており、近い将来国際レースが開催されることを望んでいます」。
「韓国の文化は西洋で慣れ親しんだものと非常に異なります。しかし、韓国の人々は外国人と会うことには慣れていませんが、極上のもてなしをしてくれます。私はそれを満喫しています」。
ホランド騎手は、少なくとも最初の契約が切れる6月まで韓国での騎乗を続けるつもりである。その前に、5月19日のコリアンダービー(韓国G1)で2000ギニー(KRAカップマイル)2着のラオンボス(Raon Boss)に騎乗する。長年釜山のリーディングトレーナーの座に君臨しているキム・ヨングァン(Kim Yeonggwan)調教師およびオーストラリア人のピーター・ウォルスリー(Peter Wolsley)調教師から引き続き騎乗を依頼される予定であり、ウォルスリー調教師とは特別な関係を築いている。(訳注:ホランド騎手は韓国ダービーで2000ギニー(KRAカップマイル)3着馬ファンタスティックジャズ(Fantastic Jazz)に騎乗し12着となった。優勝したのは日本人の藤井勘一郎騎手騎乗の牝馬スピードファーストであった)。
同騎手は次のように語る。「ここではほとんど誰も英語を話さないため、孤立してしまいます。したがってピーターと私が仲良く出来るのは幸運です。そうしなければ、誰とも口を利かなくなってしまいますので。韓国馬事会(Korea Racing Authority:KRA)は通訳を手配してくれており、私の考えは通訳を通じて調教師に伝えています」。
「ときどき上手く伝わらないときもありますが、私自身もあちこちで言葉を覚えつつあります。唯一難しいことは、8ストーン7ポンド(約54 kg)で騎乗できなければ騎手免許を取得できないことです」。
「それは私の最低体重ですが、その重量で騎乗するには体重をわずか8ストーン5ポンド(約53 kg)にする必要があります。20年間53kgになったことはなく、減量のために非常に味気のない食事をしなければなりませんでした」。
しかし、ホランド騎手が東洋を目指した理由は食べ物ではない。同騎手は英国で、食べ物ではなく仕事の満足に“飢えて”いた。
そして次のように語る。「私には騎乗拠点の転換が必要でした。これまではバリー・ヒルズ(Barry Hills)、マーク・ジョンストン(Mark Johnston)、ジョフ・ラッグ(Geoff Wragg)などの一流調教師のお抱え騎手でしたが、今年はお呼びがかかりませんでした」。
「私が新しい道に踏み出すには絶好のタイミングでした。ジョン・ゴスデン(John Gosden)氏やハリー・ハーバート(Harry Herbert)氏などの目先のきく人も、競馬の将来は東洋にあると言っており、私も同感です」。
ホランド騎手の将来も、東洋にあるのかもしれない。最も確かなことは、彼が現在の拠点を愛していることだ。リーディングジョッキーがこのように思い切った転身をすることはめったにない。
ダズラーを知らない人々にとって、彼の韓国への移動は有効だがリスクもある選択に見えるかもしれないが、英国から遠く離れた地でホランド騎手は幸福である。
By Lee Mottershead
(1ポンド=約150円)
[Racing Post 2013年4月15日「Holland enjoying his Korean journey despite obvious risks」]