海外競馬ニュース 2013年11月07日 - No.45 - 2
内モンゴル自治区で第1回中国馬文化フェスティバルが開催される(中国)[その他]

 約900年前に、チンギス・ハーン(Genghis Khan)は北東アジアの遊牧民族統一を開始した。そしてモンゴル騎馬隊は向かうところ敵なしで西へ西へと席捲し、最終的に世界最大の帝国誕生に繋がった。「馬の背に乗って世界を征服することは簡単である」という言葉は、チンギス・ハーンが偉大なリーダーであったことを形容するときに引用される。

 2013年の今、チンギス・ハーンのかつての本拠地の1つが逆方向のちょっとした侵略に直面している。すなわち、クールモア牧場の後援するプロジェクトが、この度西洋式競馬を内モンゴル自治区に持ち込んだ。

 9月に開催された第1回中国馬文化フェスティバル(China Equestrian Cultural Festival)は、中国大陸の地場産業の確立に向けた画期的な出来事と言える。中国大陸ではこれまで、競馬が賭事に繋がることは当局の同意を得られていない。

 チャイナホースクラブ(China Horse Club)の主導でフフホト市において開催されたこのフェスティバルは、英国のデシー・スカヒル(Dessie Scahill)氏がレース実況を行うとともに世界中の有名騎手が騎乗し、真に国際的な行事となった。

 このフェスティバルの発起人となったのは、マレーシアの華僑商人で建築家のテオ・アー・キン(Teo Ah Khing)氏である。同氏は香港を拠点とするデザートスター社(Desert Star Holdings)の会長であり、ウィジャボード(Ouija Board)を母とするガリレオ牡駒オーストラリア(Australia)の共同馬主として、今シーズンよりアイルランド競馬に関わっている。同馬は9月に、レパーズタウン競馬場のアイコンBCジュヴェナイルトライアル(G3)を制し強い印象を残した。

 クールモア牧場はこのフェスティバルに14頭を提供し、ジャー・ホーリガン(Ger Hourigan)調教師が数ヵ月間これらの馬を管理した。かつて同調教師は、ウォーオブアトリション(War Of Attrition)がチェルトナムゴールドカップ勝馬になる前ポイント・トゥ・ポイント競走(アマチュアジョッキーよる障害競馬)に出走していた頃に、同馬を管理していた。

 14頭のうち3頭がフェスティバルで勝利を挙げ、またあるレースでは同調教師の管理馬が1〜5着を占め、往年のマイケル・ディキンソン(Michael Dickinson)調教師を彷彿とさせた。

 そのうちの1頭は、4月にケンプトン競馬場の全天候型馬場の未勝利レースを制していた、元リチャード・ハノン厩舎所属馬のビートオブザドラム(Beat Of The Drum 父デュークオブマーマレード)であり、この日の最高賞金レースを制した。また他の2頭の勝馬はこの状況にふさわしい名前を有した馬で、アウトポスト(Outpost 前哨基地)とシュルレアリスト(Surrealist 超現実主義者)である。

 少なくとも現時点で内モンゴル自治区は確かに世界競馬の前哨基地であり、また、アイルランド人のポイント・トゥ・ポイント競走の調教師がチンギス・ハーンの土地で勝馬を出したことに何か超現実的なところがある。

 しかし、このプロジェクトに関係している人々の構想や熱意を過少評価するべきではない。

 テオ氏は、内モンゴルの草原がサラブレッド生産地になりうると信じている。テオ氏はクールモア牧場の最有力馬の共同馬主となっており、ここ数年のうちに、屈指のアイルランド生産者との繋がりが強固になるものと思われる。

 これは両者にとって有意義となりうる。クールモア牧場の看板のもとで利用可能な専門知識は最高のものであり、大きな発展の可能性をもった内モンゴル市場へのアクセスは、途轍もない富をもたらすものと考えられる。クールモア牧場はこれまで先駆的な事業を続けてきており、今やサラブレッド生産界における最後の未開拓地の可能性を探求している。

By Alan Sweetman

[Racing Post 2013年10月2日「Mongol alliance sees Coolmore exploring racing’s final frontier」]