英ダービー(G1)の輝かしい5馬身差の勝利をはじめ、きらきらするようなパフォーマンスで最高峰のレースを3勝し、1991年夏を煌々と照したジェネラス(Generous)は、1月15日に25歳で死去した。
人目を引く栗毛のカーリアン(Caerleon)産駒ジェネラスは、馬主サルマン殿下(Prince Fahd bin Salman)の契約騎手であるアラン・ムンロ(Alan Munro)騎手を背に、英ダービーでマルジュー(Marju)に圧勝して以降、競馬ファンの間で根強い人気を保った。
英ダービーで見せた鋭い脚の回転と1マイル半(約2400m)の間に途切れることのなかった力強いギャロップは、他馬とは全く違った次元であった。その後も同馬は2つのG1競走でさらに力強いフットワークを見せた。カラ競馬場の愛ダービーで大げさに賞賛されていたフランスからの挑戦馬スアーヴダンサー(Suave Dancer)と同じオッズであったが、ジェネラスはこの強力な対抗馬につけ込む余地を全く与えず、3馬身差をつけてゴール板を駆け抜けた。
また、同馬の最高と思われるパフォーマンスが展開されたのは初の古馬との対決となったアスコット競馬場でのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイアモンドS(G1)で、ロジャー・チャールトン(Roger Charlton)厩舎のサングラモア(Sanglamore)を7馬身差で破り、無敵に見えた。
アスコット競馬場にいた人は皆、ポール・コール(Paul Cole)調教師が管理するジェネラスが残り2ハロンのところで末脚を炸裂させ、完歩毎にどんどん差を広げ、あたかも栗色の稲光のようにあの名高いホームストレッチを駆け抜けたことを忘れることはないだろう。
その着差はミルリーフ(Mill Reef)やダーリア(Dahlia)を上回り、歴史あるこのレースで記録を打ち立てた。これは真のチャンピオン馬のパフォーマンスであった。しかし、2歳時にニューマーケットのデュハーストS(G1)をオッズ50-1(51倍)で優勝したことなどの並外れたキャリアを凱旋門賞(G1)優勝で締めくくるという期待は、オッズ9-10(1.9倍)の本命だったもののスアーヴダンサーの8着に敗れたことで打ち砕かれた。
ジェネラスはその後出走せずに獲得賞金額112万ポンド(約1億5,680万円)で競走生活から引退し、馬主のバンステッドマナースタッド(Banstead Manor Stud)に繋養された。そして、数年後に拠点を日本そしてニュージーランドに移し、その後英国に戻ってきた。
ジェネラスは北アイルランドのアルフレッド・ブラー(Alfred Buller)氏が所有するスカーヴァハウススタッド(Scarvagh House Stud)に繋養され、ドイツのG1勝馬カテラ(Catella)を送り出したものの、種牡馬としてのキャリアは競馬場での偉業とは同じではなかった。
ブラー氏は1月15日、次のように語った。「ジェネラスは信じられないぐらい賢い馬で、やさしくて実に堂々としていました。ジェネラスに接した人は皆寂しく思うでしょう。晩年の彼を世話したことは光栄なことでした」。
By Richard Birch
(1ポンド=約140円)
[Racing Post 2013年1月16日「Death of superstar Generous aged 25」]